恐れ入谷の元祖カツカレー
本日はカツカレーの話である。元祖カツカレー、については諸説あるが、彦作村長はこれまで、今や定説になっている東京・銀座「スイス」が昭和23年(1948年)に始めたものとばかり思っていた。当時、「スイス」の常連客だった巨人軍・千葉茂さんの発案で「トンカツとカレーを同時に食べれるように」作られたというものだった。そのストーリーは多分本当だろう。
「バカ言っちゃあいけないよ。カツカレーを最初に始めたのは、浅草の『河金』で、銀座『スイス』が始める30年も前にすでにメニューにして評判を呼んでいたんだよ。大正7年(1918年)、洋食屋台からスタートした初代河野金太郎が国際劇場近くに店を出して、このカツカレーを河金丼と名付けた。これが元祖カツカレーで、『河金』は凄い人気だったてえ話だ」
老舗出版社の編集者がなぜか江戸弁になって、彦作村長にまくしたてた。調べてみたら、大筋その通りだった。
「とんかつ 河金」
その浅草『河金』はすでに廃業していた。だが、その初代のお孫さんが浅草からほど近い入谷で『河金』の暖簾を守っていることを、その編集者から聞いて、村長は長靴のまますっ飛んだ。日比谷線入谷駅から言問通りに出て1分ほど、やや寂しげに『とんかつ河金』の暖簾が下がっていた。村長の好みの世界。
暖簾をくぐると、2人用テーブルが二つ、右手には小上がりがあり、そこにもテーブルが二つ。奥が厨房になっていて、そこに店主の姿が。今どきの小ぎれいさはない。メニューはとんかつ中心で、面白いことに、量が匁(もんめ)で表示されていた。ウケ狙いではなく、当時のスタイルを頑なに守っていることがすぐに理解できた。好感。出されたお茶を飲みながら、目的の元祖カツカレー「河金丼」(750円)を頼んだ。とん汁(100円)も付けてもらう。
おお河金丼!
注文してから作るようで、肉を叩いている音、卵に付けて、パン粉をまぶし、油で揚げる軽やかな音。丁寧な作り方。12~3分ほどで、ドンブリに入ったカツカレー「河金丼」がやってきた。旨そうな匂いが控えめに立ち上る。ルーがたっぷりっとかかったトンカツの下には千切りキャベツが敷かれ、その下のご飯の盛りはそれほど多くはない。
元祖カツカレー「河金丼」
カレーのルーは神田・神保町「キッチン南海」のようなギタギタした黒ではなく、どんよりとしたキツネ色。小麦粉とカレー粉の素朴な風味で、まったりとしたやさしい味だった。その下のとんかつは、肉が驚くほど柔らかい。脂身がない。脂身好きの村長には少々物足りないが、コロモのサクサク感といい、ルーのまろやかさと実によく合っていた。ご飯はつややかに立っている。物足りなさを補う旨味。その底力。
ルーととんかつの歴史
ライスがいい
本物は控えめである、と村長は改めて思った。店主は昭和25年生まれ。初代・河野金太郎のお孫さんで、作り方からすべて初代の味を守っているという。同じ入谷で兄も『河金』の暖簾を下げて、初代の味を受け継いでいることもわかった。
村長は思い切って、「元祖カツカレー」の話を切り出した。
「どうして元祖カツカレーをもっと宣伝しないの?」
「元祖は浅草にあったおじいちゃんの店ですよ。ここは暖簾分けした店だから、元祖とは言えないよ。作り方は受け継いでいるけどね。ここは昭和43年に始めたんですよ。『河金支店』としてね。元祖のおじいちゃんはずっと昔に亡くなってるしね」
時折、下町の江戸っ子のシャイが顔をのぞかせる。
村長はいい料理人に出会ったことと、いいものを食べたことに感謝したくなった。胃袋がB級の美味で一杯になった。
河金支店の江戸文字
本日の大金言。
歴史は時々ウソをつく。もう一つの真実は、表からは見えない裏側に潜んでいることも知るべし。
「バカ言っちゃあいけないよ。カツカレーを最初に始めたのは、浅草の『河金』で、銀座『スイス』が始める30年も前にすでにメニューにして評判を呼んでいたんだよ。大正7年(1918年)、洋食屋台からスタートした初代河野金太郎が国際劇場近くに店を出して、このカツカレーを河金丼と名付けた。これが元祖カツカレーで、『河金』は凄い人気だったてえ話だ」
老舗出版社の編集者がなぜか江戸弁になって、彦作村長にまくしたてた。調べてみたら、大筋その通りだった。
「とんかつ 河金」
その浅草『河金』はすでに廃業していた。だが、その初代のお孫さんが浅草からほど近い入谷で『河金』の暖簾を守っていることを、その編集者から聞いて、村長は長靴のまますっ飛んだ。日比谷線入谷駅から言問通りに出て1分ほど、やや寂しげに『とんかつ河金』の暖簾が下がっていた。村長の好みの世界。
暖簾をくぐると、2人用テーブルが二つ、右手には小上がりがあり、そこにもテーブルが二つ。奥が厨房になっていて、そこに店主の姿が。今どきの小ぎれいさはない。メニューはとんかつ中心で、面白いことに、量が匁(もんめ)で表示されていた。ウケ狙いではなく、当時のスタイルを頑なに守っていることがすぐに理解できた。好感。出されたお茶を飲みながら、目的の元祖カツカレー「河金丼」(750円)を頼んだ。とん汁(100円)も付けてもらう。
おお河金丼!
注文してから作るようで、肉を叩いている音、卵に付けて、パン粉をまぶし、油で揚げる軽やかな音。丁寧な作り方。12~3分ほどで、ドンブリに入ったカツカレー「河金丼」がやってきた。旨そうな匂いが控えめに立ち上る。ルーがたっぷりっとかかったトンカツの下には千切りキャベツが敷かれ、その下のご飯の盛りはそれほど多くはない。
元祖カツカレー「河金丼」
カレーのルーは神田・神保町「キッチン南海」のようなギタギタした黒ではなく、どんよりとしたキツネ色。小麦粉とカレー粉の素朴な風味で、まったりとしたやさしい味だった。その下のとんかつは、肉が驚くほど柔らかい。脂身がない。脂身好きの村長には少々物足りないが、コロモのサクサク感といい、ルーのまろやかさと実によく合っていた。ご飯はつややかに立っている。物足りなさを補う旨味。その底力。
ルーととんかつの歴史
ライスがいい
本物は控えめである、と村長は改めて思った。店主は昭和25年生まれ。初代・河野金太郎のお孫さんで、作り方からすべて初代の味を守っているという。同じ入谷で兄も『河金』の暖簾を下げて、初代の味を受け継いでいることもわかった。
村長は思い切って、「元祖カツカレー」の話を切り出した。
「どうして元祖カツカレーをもっと宣伝しないの?」
「元祖は浅草にあったおじいちゃんの店ですよ。ここは暖簾分けした店だから、元祖とは言えないよ。作り方は受け継いでいるけどね。ここは昭和43年に始めたんですよ。『河金支店』としてね。元祖のおじいちゃんはずっと昔に亡くなってるしね」
時折、下町の江戸っ子のシャイが顔をのぞかせる。
村長はいい料理人に出会ったことと、いいものを食べたことに感謝したくなった。胃袋がB級の美味で一杯になった。
河金支店の江戸文字
本日の大金言。
歴史は時々ウソをつく。もう一つの真実は、表からは見えない裏側に潜んでいることも知るべし。
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