京都の珍種「あんこ屋のもなか」

 先週末のこと、京にお住いのグルメ先生が空から舞い降りて来て、「あーた、これ」と言って、さり気なく手土産を手渡した。いつもながら、その心遣いにうるうる。グルメ先生は風の又三郎のいとこかもしれない。先生の手土産は、普段はなかなか手に入らないものばかりで、村長もその都度、小さな目を見開かされる。 

それが「中村製餡所」の「あんこ屋さんのもなか」だった。北野天満宮近く、大将軍通り商店街にある店で、創業は明治41年(1908年)。昔ながらのあんこ作りを続ける製餡所で、15年ほど前から、「もなかセット」を売り出している。これが和菓子好きの間でひそかに評判を呼び、今では、売り切れになることも多い。
          中村製餡所 
          極上の世界へ

小倉(粒)あん、こしあん、白あんの3種類あるが、グルメ先生が持ってきてくれたのは、小倉あん(1パック500グラム、税込み550円)だった。ドンピシャ。あまり関係ないが、小倉さんはお元気か?
          中村製餡所① 
          慌てるな

シンプルな紙袋を開けると、その小倉あんがぎっしり詰まったパックと菊形の最中(もなか)の皮(10組入り、同550円)が別包みで現れた。何というシンプルさ。一枚一枚手焼きしているそう。自分であんこを詰めるというスタイルのようで、これだけそのままの世界というのは極めて珍しい。村民2号が渋茶を入れてきた。
          中村製餡所② 
          まだまだ・・・
          中村製餡所③ 
          あんこの銀河

これがスグレモノだった。小倉あんは見事なツヤと色味で、ひと目で只者でない雰囲気が見て取れる。スプーンでたっぷりと取って、皮(種)に盛り、上から蓋をする。寒さのためか小倉あんは思ったよりも固めで、きれいに盛るのにひと苦労するが、その後が凄い。
          中村製餡所⑦ 
          手焼きの皮
          中村製餡所⑥ 
          利休の世界?
          中村製餡所⑧ 
          盛る楽しみ・・・

ガブリと行くと、最初のアタックで皮の香ばしさとパリパリ感に驚かされる。いやいやパリパリだけではない。サクッとした羽毛のように軽い感触が神業的で、まるで空気投げのような皮。一部がほんの少し剥がれ落ちていたが、これは村長が電車で運ぶ際に出来たものだと思う。
          中村製餡所10 
          隙がない
          中村製餡所11 
          香ばしい誘惑・・・

小倉あんはやや甘めで、手作業でじっくり煮詰められていることがわかる。小豆の皮まで柔らかく、きれいで深い味わい。北海道十勝産の小豆と砂糖は多分ザラメ、それに水飴を加えているようだ。塩を使用している気配はない。小豆の風味は思ったほどない。皮の香ばしさが凄すぎて、小豆の風味を消しているのかもしれない。いや、待てよ。そんな単純な話ではないはずだ。
          中村製餡所13 
          もそっと近こう・・・

「あんこだけ見ると、華やかなあんこではないよ。いぶし銀のあんこということかな。そうか、千利休の世界・・・」

「何わけのわからないこと、言ってるのよ。確かにこの皮、すごいわねえ。あんこも甘くて本物って感じ。絶妙なコンビだわ。これに比べたら、村長が作るあんこなんて相撲で言うと、フンドシ担ぎってとこかな」(村民2号)

たまたま遊びに来ていたグルメ親父・ドン圭氏にもすすめると、「へえー、こんな最中があるんだ。京都は奥が深いなあ。今度、行ってみっか」そう言って、バリバリ食べ始めた。その手と口が止まらない。どないしよう・・・。

本日の大金言。

北野天満宮は関白・秀吉が北野大茶湯を開いた場所。秀吉は和菓子好きだったようで、そのせいか、周辺には今もいい和菓子屋や餅屋が多い。


                中村製餡所15 

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幻の「煉り羊羹の元祖」を求めて

今日は天気がいいので、煉り羊羹(ねりようかん)の旅の最初のクライマックスを書くことにしよう。あまりにややこしいので、さらりとご紹介したい。京都・伏見「駿河屋本店」の紅煉り羊羹である。あの豊臣秀吉が大茶会に出して、居並ぶ大名を驚かせた羊羹も紅色だったと言われている。もっとも当時は寒天がまだなかったので、それは煉りではなく、蒸し羊羹の一種だったようだ。
         駿河屋本店 
     伝統を受け継ぐ「駿河屋本店」

駿河屋総本家(旧鶴屋)は創業が室町時代にまで遡り、秀吉が伏見指月城を築いたときに伏見に「饅頭所」として店を構えている。駿河屋は秀吉御用達の店だったようだ。秀吉の命で作った紅煉り(蒸し羊羹?)も駿河屋が工夫して作っている。

その五代目岡本善右衛門の代(江戸初期)に初めて寒天を使った「煉り羊羹」を考案したと言われている(諸説ある)。駿河屋総本家はその後、分家・暖簾分けを繰り返し、バブル以降に経営不振に陥り、トラブル続きで、直近の平成26年にいったん閉鎖している。
         駿河屋本店① 
     幻の紅煉り羊羹が・・・

今回ご紹介する伏見「駿河屋本店」の方は十代目善右衛門から天明元年(1781年)に分家、煉り羊羹の作り方や伝統をもっとも受け継いでいる、と言われている。その幻の紅煉り羊羹を求めて、伏見下油掛町にある本店を訪れた。京町にも新しい総本家があるのでややこしいが、村長の本命は油掛町の本店。幻の紅煉り羊羹は「その昔」という名前でひっそりとオーラを放っていた。
         駿河屋本店④ 
         歴史の詰まり方
         駿河屋本店② 
         紅煉り羊羹めっけ

当主は十一代目岡本善吉。店構えは江戸末期のもので、敷居が高そうに見えるが、入ってみると、家族的で街の老舗和菓子屋さんのよう。目的の「その昔」(半棹1本850円=税別)を買い求めた。竹皮でないのが少々残念だが、その中身が驚くべきものだった。
         駿河屋本店③ 
       ついに賞味の時が

羊羹の賞味期限は約1か月。ウマズイめんくい村でゆっくり賞味となった。きれいな紙包みを解くと、透明なラップに覆われた淡いピンク色の紅煉り羊羹が現れた。桃色と表現した方がいいかも。表面は砂糖が結晶化していて、白い雪がかかったよう。村民2号がお茶を入れながら「わあ、きれいね」と声を上げた。
         駿河屋本店④ 
         驚きの桃色
         駿河屋本店⑤ 
         包丁を入れる

ラップを取り、包丁を入れると、ザクッとした感触が伝わってきた。小皿に移してから、黒文字でひと口。きれいな風味で、ほどよい甘みが口中に広がる。糖化した表面のガサッとした歯触りがとてもいい。中はほどよいねっとり感。
         駿河屋本店⑨ 
         ため息が出る
         駿河屋本店2 
         秀吉も食べた?
         駿河屋本店10 
         半分かじる

調べてみると、備中白小豆と十勝白小豆を使っていた。インゲン豆の3~6倍はする高価な白小豆で、清流を思わせる風味が素晴らしい。さらに砂糖も和三盆というこだわり。余分な添加物は使用していない。淡い桃色はクチナシで着色している。桃山文化を思わせるような華やかできれいな味わい。そう表現したくなる。

駿河屋本店に電話してみる。たまたま十一代目岡本善吉さんが出た。ツイテいる。

「江戸時代初期に寒天を使った現在の羊羹が完成したようです。それを再現したものですが、まったく同じではありません。当時は砂糖はそんなになかったので、甘さは今ほどはなかったでしょうね。竹の皮に包んでお出ししていたようですが、現在は紙で包んでます。秀吉が食べたのも紅煉りと言われてますけど、よくわかりません。おそらく蒸し羊羹を工夫したものだったと思います」
         駿河屋本店⑦ 
         紅煉りの頂点

ついつい長話になってしまった。お客が来たような雰囲気だったので、失礼を詫びてから、慌てて電話を切った。目を閉じて、2016年10月26日から400年以上前の桃山文化と江戸文化に想いを寄せてみた。だが、悲しいかな、桃色の紅煉り羊羹は歴史の闇の奥に浮いたまま、こちらに向かって謎の矢を放ってくるのだった。

本日の大金言。

寒天を使った煉り羊羹の元祖は他にも江戸発祥説がある。寛政年間(1798年~)に日本橋で喜太郎という和菓子職人が作った、という説も有力。だが、寒天が京都伏見で誕生していることを考えると、駿河屋説の方が実感として説得力がある気がする。



                駿河屋本店7 

恐るべき京都、花街の「洋食弁当」

 本日テーブルに乗せるのは、京都の花街・宮川町の老舗洋食店で食べた「洋食弁当」である。

グルメ先生と大出氏との待ち合わせ場所が四條南座前となった。グルメ先生は歌舞伎通で、待ち合わせ場所に南座前を指定することが多い。夕方6時前、待ち合わせ完了。グルメ先生はいつもながらオシャレな帽子。大出氏はフランクなスタイル。村長はヨレヨレの綿スーツ姿。

夕暮れが忍び寄る鴨川を遠目に見ながら、グルメ先生の先導で宮川町通りに入った。宮川町は上七軒や先斗町、祇園などとともに京都五花街の一つ。

まるでグラビアのような絵になるお茶屋が並ぶ石畳を歩く。グルメ先生の渋い講釈と毒舌が続く。中国人観光客の多さに辟易しているのが伝わってくる。
          富久屋② 
       花街の一角?

グルメ先生が案内してくれたのが「グリル 富久屋(ふくや)」だった。丸太町の食堂に案内する予定だったようだが、ちょっとした行き違いで、南座で待ち合わせとなってしまったために、歩いて行ける距離にあるこの洋食屋になったようだ。
          富久屋① 
          地味な佇まい
          富久屋③ 
          ポエムやで

だが、この洋食屋がなかなかの店だった。入り口にある、やや寂し気なサンプル棚が古き良き街の洋食屋の必須条件を満たしている。サンプル棚にはわざとらしさがあってはいけない。明るすぎてもいけない。敷居が高くないのも好感。

三条商店街にある、グルメ先生行きつけの「ちから」もそうだが、京都の街の古い食堂の底力には驚かされる。この「富久屋」も創業が明治40年(1907年)。だが、どこにも百年以上の歴史があることを表記していない。「京都では百年くらいの歴史で老舗言うたら笑われます。そんな恥ずかしいことあらしまへんで」祇園の和菓子屋「松葉屋」の店主の言葉が耳に残っている。
          富久屋⑤ 
          メニューの一部

さて、「洋食弁当」(並1360円=税込み)
。グルメ先生は「高い」と言ったが、場所柄仕方がないと思う。生ビールを飲みながら、待っていると、12~3分ほどで、その「洋食弁当」がやってきた。楕円形の漆器の弁当で、ひと目でその実力の高さがわかった。きめの細かい、揚げ立てのフライがいい色で納まっている。店主の姿は奥の厨房の中にあり見えないが、腕のいいコックなのは間違いない。
          富久屋6 
          さり気ないぜい沢
          富久屋⑦ 
          盛りつけの妙

タルタルソースがかかった小ぶりの海老フライが2本、ひと口カツが2枚、それにデミグラスソースで包んだミニハンバーグが二つ。さらに正体不明の唐揚げのような大きめのフライも。ミニトマト、それにシシトウ、レモンも添えられていた。艶やかに炊かれたライスには黒ごまがパラパラとかかっている。タクワンが二切れ。盛りつけも素晴らしい。手抜きがどこにも見られない。ポエム。
          富久屋⑧  
          不思議なフライ
          富久屋⑨ 
          白身魚の正体は?
          富久屋11 
       サクッと揚がったヒレカツ
          富久屋14  
          手抜きがない

正体不明の大きなフライは、プルンとした白身魚で、実に美味い。女将さんに聞くと「ボラです」。海老フライ、ひと口カツ、ミニハンバーグもフツーに美味い。この「フツーに美味い」がフツーに存在していることが京都の凄味ではないだろうか。スマホ片手の観光客が殺到する店などにはない世界だと思う。

街なかに潜む百年洋食屋の底力と、こういう店をフツーに知っているグルメ先生の底力に素直に脱帽することにしよう。

本日の大金言。

東京は下町の洋食屋がいい。京都も裏通りの洋食屋がいいと思う。入り口に余分な飾りやこけおどしのない店がいい。入り口が狭くて奥の深い文化。その先の迷路。別の見方をすると、恐ろしい世界でもある。



                 富久屋15

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卵サンド変じて「すき焼き弁当」

 ペンの仕事で久しぶりに京都へ。開始までに1時間ほど時間があったので、卵サンドの伝説的な店「コロナ」(すでに閉店)の作り方を受け継いでいる「喫茶マドラグ」に立ち寄ることにした。烏丸御池で降りて、押小路通りへ。

だが、スマホ片手の行列があまりに凄いので、方針を転換することにした。近くをブラ歩き。時間も限られている。すると、京町家の料理屋が視界に入った。「牛の助」の看板と暖簾。ちょうどランチタイムで、「すき焼き弁当」(850円~)の文字が「おこしやす」とささやいた(気がした)。入り口にいろんなものが貼ってあるのが少々気になったが、そう悪くはない雰囲気。時間もないことだし、ここいらで妥協することにした。
         牛の助①  
         ディス・イズ・キョート?
         牛の助② 
         掘り出し物か

古い京町家を改修した造りで、引き戸を開けて入ると、左手にテーブル席と掘りごたつ席が見えた。座敷もあるようだ。右手奥が白木のカウンター席になっていて、そこに案内された。対面にいい雰囲気の料理人が二人いた。うむ。

メニューから「すき焼き弁当定食(並)」を選んだ。850円というのは国産和牛切落とし70グラムで、90グラムになると950円(税込み)。少々見栄を張って、90グラムにした。
         牛の助③ 
         財布と相談・・・


10分ほどの待ち時間で、いい匂いとともにすき焼き弁当がやって来た。生卵、ご飯、味噌汁付き。90グラムの切落とし和牛は見るからに旨そうで、ボリュームもある。焼き豆腐、長ネギ、糸こんにゃくもいい色で湯気を放っていた。思わずヨダレが出かかる。山菜のおひたし、千切りキャベツ、煮豆、柴漬けなど脇役陣も気が利いている。悪くない構成。
         牛の助④ 
         すき焼き弁当さま
           牛の助⑤ 
         たまらん
         牛の助10 
         和牛の切落とし

表面がプルンとした生卵を溶いて、まずはそこに熱々のすき焼きをくぐらせる。京都のすき焼きは砂糖を多めに加えるので、東京より甘い気がする。ラードを敷き、そこに肉を入れて軽く焼き、砂糖と醤油をそのまま入れる。割下を使う東京流とはいささか違う作り方。そのためか、意外と味が濃い。
         牛の助11 
         ゆっくりと急げ
         牛の助⑨ 
       秀逸な糸こんにゃく
         牛の助6  
         長ネギの存在

だが、生卵につけると、それがいい味加減になる。和牛の切落としは値段の割には柔らかくて旨い。店のスタッフに聞いたら、店主の実家が京都・美山の牛飼いで酪農家だそう。そのために「安く和牛を提供できるんですよ」。オープンして7年になる。

糸こんにゃく、長ネギ、焼き豆腐もまずまずの旨さ。ご飯が艶やかに炊かれていて、ボリュームもほどよい。途中で炊き立てのご飯にのせ牛めしにして食べる。じんわりと幸せ感が胃袋のあたりから立ち上がってくる。
         牛の助13 
         どないでっか?
         牛の助14 
         秀逸な煮豆

東京・人形町「今半」ほどの満足感ではないが、値段を考えると、これはめっけもの。京都の底力を感じる。脇役の煮豆の美味さも気に入った。夜はグルメ先生と落ち合うことになっている。元国会議員秘書・大出氏も一緒。京都はいつ来てもスリリングで奥が深い。

本日の大金言。

京都が日本の食の最高峰であることに意義はない。だが、最近、スマホ片手の観光客が多すぎる。どうしたものか。グルメ先生は中国人観光客の多さとマナーの悪さに顔をしかめている。おこしやす文化は繊細の上に成り立っている。




                 牛の助15 

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若冲も食べた?にしん棒煮の味

 待ち時間が最大320分(5時間20分!)というアンビリーバボーな「生誕300年記念 若冲展」(東京都立美術館)が本日で終わる。京都にお住いのグルメ先生おすすめの絵画展だったが、村長はあまりの加熱ぶりに恐れをなして、結局行かずじまいだった。

友人と3人で押しかけた村民2号も炎天下の大行列に方向転換、同じ上野公園の東京国立博物館で開催されていた「黒田清輝展」(こちらも混み合っていたそう)を楽しんできた。伊藤若冲の最近の人気ぶりには驚かされる。

NHKが二度にわたって特別番組を組んで放送したことが、ブームの過熱に油を注いだと思う。ここからが本日の本題。

ちょうどひと月前、4月24日(日)に放送された「若冲 天才絵師の謎に迫る」を岩手・一関の安ホテルで見ていた村長はおったまげた。NHKの取材班がこれまで未公開だった京都・信行寺の天井画に入っていたからである。伊藤若冲最晩年の傑作とも言われる作品で、テレビで公開されるのは初めてのこと。

信行寺は浄土宗の古刹で、京都にお住いのグルメ先生の菩提寺でもある。何を隠そう、約3年ほど前に村長はグルメ先生のご案内でこの天井画をこっそり見ていたのである。「この若冲の天井画はほとんど知られていまへん。メディアも知らない。面白いでっしゃろ」グルメ先生の慧眼にはしばしば驚かされるが、今回は輪をかけておったまげた。
         松葉① 
         あの松葉の「鰊棒煮」

そのグルメ先生おすすめの一品が京都「松葉」の「鰊棒煮(にしんぼうに)」(2本入り税込み864円)。「松葉」は創業が文久元年(1861年)で、南座隣に本店を構えている。にしんそばがあまりに有名だが、にしん棒煮をそばに初めて乗っけたのは二代目で、明治になってからのことらしい。

にしん棒煮は山国でもあった京都の伝統料理で、北海道から北前船で運ばれてきた身欠きにしんを、時間をかけて米のとぎ汁に浸し、さらに灰汁抜きをし、日本酒、醤油、砂糖、みりんなどでじっくりと炊いたもの。手間暇がかかり、京都の食文化の粋の一つ。
         松葉② 
         京都食文化の粋

それが目の前にある。若冲が生きていた時代(1716~1800年)ににしんそばは誕生していなかったが、にしんの棒煮はあったかもしれない。そこで村長は、そばではなく、ご飯の上に乗っけることにした。いわばにしん丼、である。
         松葉③ 
         そばではなく黒米で
         松葉⑥ 
       このテカリの凄味
         松葉⑤ 
         裏側の黒さ

ご飯は黒米を使うことにした。これが想像以上に旨かった。にしんの棒煮は多分、そばに乗せた方が味わいが柔らかくなり、京都の食文化に合うとも思うが、レンジで温めることによって、柔らかさが増す。味がかなりこってりとしていて甘い。ガサッとした崩れ方がいい歯触りになる。小骨など気にならない。にしんの風味がじわりじわりと口中に広がってくる。
         松葉⑦ 
         にしん丼にする
         松葉⑧ 
         美味の予感
         松葉⑨ 
       極楽への入り口?

黒米と一緒にかっ込むと、実に旨い。京都食文化の歴史と凄味が柔らかな津波となって味覚中枢に押し寄せてくる。伊藤若冲がもしこれを食べていたとすると、不思議な気分になる。そう考えた方が面白い。

「そんなアホな。若冲はんは青物問屋の倅で、金持ちやったから、黒米ではなく白米やった思うで。第一、会津の足軽の末が松葉のにしんの棒煮を食べること自体がありえんこっちゃ。不謹慎いうこっちゃで。ひっひっひ」
西の方から妙な声が聞こえてきた。

本日の大金言。

「にしんそば」は明治15年(1882年)、松葉二代目が考案したもので、関東の人間にとっては驚きのそばだった。にしんの棒煮自体は関東以北でも食べられていたようだが、それをそばに乗っけるのは、当時はミスマッチの極みだったようだ。伊藤若冲が評価されたのもごく近年のことで、若冲自体「私の絵は千年後に理解される」と半ばあきらめていた節がある。にしんの棒煮と若冲のこじつけ二題話、お終い。


                松葉10
プロフィール

赤羽彦作村長

Author:赤羽彦作村長
あの!エンターテインメント新聞で記者、デスク、編集プロデューサーとして活躍。思うところあって、原発で揺れるヤポネシアを辺境から見つめ直すべく、イカダを組み、オンボロ旗を揚げ、組織を脱出。荒海に乗り出す。「B級うまいものの宝島」を目指して、櫂をガタガタと漕ぎ出すことにした。一か八か泥船となるか、間違って宝船となるか?
特に麺類と和菓子にはうるさい。「舌の上から斜めに世界を見る」などとほざいている。はっきり言ってバカの3乗である。年齢不詳。乙女座、AB型。村民を募集している。

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