銀座三越デパ地下のワンダーな世界

 本日はデパ地下第2弾、東京・銀座三越の巻である。デパ地下好きの彦作村長が久しぶりに江戸に出たついでに潜入したのは、2010年9月11日にリニューアルした銀座三越。開業80年にして初めてのリニューアルということでメディアも大きく取り上げたが、よりによって何も9.11にリニューアルオープンすることはないだろうに・・・。2年前のその日、エンターテインメント新聞記者だった彦作村長は、ごった返す人の渦の中で、そんな不埒な感想を持ったものだった。

そのときはあまりの混雑に身動きが取れずに、ここでテロでも起きたらもうお終い(おシュウマイ)だ、などと悪態をついたりした。あれから約2年。彦作村長の目的は、言わずもがな地下2階の食品売り場。厳しい残暑も峠を越したもののそれでもまだ日中は27度を越している。スイーツの充実ぶりは目を見張らされる。午後3時を回っているのに、女性客が目立つ。世代は様々。その流れに乗ってしばしデパ地下をクラゲのごとく彷徨(さまよ)っていると、角のあたりのアイスクリーム屋らしき店で、若い女性のかたまりが見えた。好奇心から近づくと、「フローズンヨーグルト専門店 スノーラ」という看板。ロサンゼルスに本店があるもっか最前線のスイーツ人気店らしい。

         スノーラ③ 
            このまわりに女性が群がっていた

見た目はソフトクリームだが、「オーガニック無脂肪フローズンヨーグルト」なんだそうである。すべてにおいて体験しないと気が済まない村長は、若い女性の間に割って入ると、人気ナンバー1という「「イタリアン・タート&サワーチェリーソース」(420円)を賞味することにした。横文字が多すぎるのが気にくわないが、ソフトクリームのような渦巻き状の盛り上がりとシロップ漬けのダークチェリーが5~6個、そしてサワーチェリーソースがいっぱいかかったそのド派手なお姿に心を奪われた。

                 スノーラ② 
                  ムフフフ・・・

フローズンヨーグルトは濃厚なヨーグルトの舌触りと甘い酸味がほどよくまとまっている。そこにチェリーとソースのジューシーな甘みが混じり合って、フローズンヨーグルトの新しい世界を切り開いている。この感じ、何かに似ている。一瞬、ある種の痛ましさとともに、一人の女優の姿が脳裏に浮かんだ。「別にイ」の前の上り坂だったころの沢尻エリカみたいだ。彦作村長は心地よい冷たさと甘い果実味をぺろぺろ味わいながら、エリカ様、原点に戻れと心の中で叫んだ。ほとんどバカである。

          小洞天・銀座三越 
              シュウマイ?いやシウマイが正解

すっかり冷たくなった彦作村長が次に目を付けたのは、日本橋生まれのあの「小洞天」のポークシウマイ(6個入り960円)。ここのシウマイは焼売好きなら、たとえ槍が降ってもレディ・ガガが激太りしても、避けては通れない。何よりシュウマイではなく「シウマイ」なのである。6個で960円はかなり高いが、そんなことを言ってる場合ではない。とにかくゲット。

          小洞天② 
             レンジでチンはいけません

ウマズイめんくい村にお持ち帰りして、賞味することにした。もちろん、ビールもそろえる。これはシウマイに対する礼儀でもある。レンジでチンは味が落ちる。ここはしっかりと蒸し器で20分ほど。

               小洞天④ 
                  ここは蒸し器で約20分・・・

これも小洞天のシウマイへの礼儀である。ふたを取ると何とも言えないほんわかした湯気とともに小洞天のシウマイが「ニーハオ」と現れる。デカい。普通の焼売の2倍はありそう。うまそうな匂いが半径1メートルを実効支配する。

          小洞天⑤ 
            このボリューム! 私を好きにして・・・

洋ガラシを付けて酢醤油に付けてから、ひと口がぶり。絶妙なうまさ。ポークとタマネギのの甘い香りが口中に広がってくる。奥にショウガの隠し味が見え隠れする。これは中国の焼売ではない。崎陽軒のシウマイと同じように、日本の繊細も加味されたシウマイだと思わざるを得ない。ポークの旨味が引き出されて前面に出てくる。その至福の余韻を惜しむようにビールを咽喉奥に流し込む。
中国も日本も排除ではなく共生でいくことができなければ、この味が泣こうというもの。小洞天のシウマイを賞味しながら、彦作村長は尖閣諸島での中国の自制を願うのだった。

          小洞天⑥ 
              まだこれからよ



本日の大金言。

老舗のシウマイには知恵も詰まっている。加熱しすぎと水分の不足でもし戦争が起きたら、残るのは死体の山だ。それはあなたかもしれない。シウマイに聞け、もある。


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小原庄助の謎とニシンの山椒漬けの夜

 綾瀬はるか主演のNHK大河ドラマ「八重の桜」(来春スタート)で盛り上がる会津。しかし、赤羽彦作村長は、戊辰戦争の悲劇によって作られた会津人のイメージにいささか違和感も覚えている。白虎隊や娘子隊の悲劇とか一族郎党の自刃とか、最後まで徳川に忠誠を尽くして武士道を貫いたとか、どこか悲劇を美化することに「ちょっと違うのではないか」と思ったりするのだ。

「桜」は見て楽しむものであって、桜になったらお終いだ。美化も何もない。彦作村長は会津の町中を歩きながら、会津人のイメージの真逆に位置する小原庄助さんのことを思った。「朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上つぶした」あの方である。一部でウワサになっている小原庄助という同名の人物のお墓がある「秀安寺」に行ってみた。本物の小原庄助さんのお墓なのか? たまたま住職がいて、話を聞くことができた。

          小原庄助 
             小原庄助さんのお墓がここに・・・

「確かに小原家のお墓があります。しかし、ここに眠っている小原庄助さんは、唄の小原庄助さんとはまるで人格が違ったようです。真面目なお方で、戊辰戦争では戦死しています。唄の小原庄助さんにはいろいろな説があるんですよ。材木で大儲けして、東山温泉で連日連夜豪遊していた商人説があれば、酒がめっぽう強かった漆器職人の久五郎説もあります。まあ、東山温泉が宣伝を兼ねて、こういう人物がいたらなあ、と願望も交えて唄に歌ったということなのかもしれません」

小原庄助さんが架空の人物だとしても、彦作村長は会津人のイメージを覆す存在として、いつも頭の片隅にある。そうだ、今夜は小原庄助になった気分で、会津の夜を散策しよう。その瞬間、彦作村長の頭に地酒と「ニシンの山椒漬け」の神々しい姿が浮かんだ。

友人の一言居士タカじいを誘って、居酒屋「だいこん家」のノレンをくぐった。タカじい推薦の店である。

          だいこん家⑨  

カウンターと座敷があり、料理人のご主人と女将さん2人で切り盛りしていた。カウンター好きの彦作村長は座るなり、ご主人をチェックした。向こうもチェックしているのがわかった。無口でひたすら料理に専念している姿に好感を持った。
目的の「ニシンの山椒漬け」(400円)と「会津中将 純米酒」(1合500円)を注文。タカじいは生ビールと「タコのから揚げ」(500円)。乾杯した後、ニシンの山椒漬けを賞味。この料理は知る人ぞ知る会津の郷土料理。乾燥させた身欠きニシンを山椒の新芽と一緒に醤油、酢、日本酒少々などに1週間から2週間ほど漬け込む。江戸時代初期からの料理法で、新潟港から運ばれてきた身欠きニシンで作る。海がない山国・会津独特の伝統料理である。これが実に日本酒とよく合う。

         だいこん家① 
           香りを伝えられないのが残念

山椒の香りとともに、酢醤油に漬け込んだ身欠きニシンが「早く食べておくんなんしょ」とささやき始めている。あまり関係ないが、綾瀬はるかが会津弁を猛特訓中で、この「おくんなんしょ(ください)」などの言い回しに苦戦しているらしい。

乾燥した身欠きニシンなので、漬け込んだといっても、かなり固い。しかし、この固さがじわじわといい旨味をにじみ出させるのである。ここがわかるかわからないかで、ニシンの山椒漬けに対する見方が変わってくる。こんなの固くて食えないとなるか、その奥の桃源郷にたどり着けるか。もちろん、彦作村長は後者である。口中にニシンと山椒と醤油だれのハーモニーが広がってくる。それを噛みしめながら、純米酒を流し込む。何という幸せ。小原庄助さんもこの至福を味わったに違いない。

          だいこん家⑤ 
            サラダもイケた
 
「うちのは、1か月漬け込むんですよ。店によっては砂糖を入れるところもありますが、うちは入れません。で、長く漬け込む。この方が旨いと思います」
無口なご主人が、さらりと、秘伝を話してくれた。
酔いの回ってきたタカじいが「本郷焼の器に漬け込むのが伝統なんだよ。あんたもニシンと同じで漬け込みが足りない。苦労が足りない。修行が足りない」などと彦作村長に説法し始める。タカじいは仏教にやたらと詳しい。天上がぐるぐる回ってきた。
「小原庄助さんのようになりたいなあ」
彦作村長のつぶやきが会津の夜に融け込んでいった。2軒目をどうしようか? ハシゴは外されているのに2人は気づかない・・・。

           

本日の大金言。

「八重の桜」と「庄助の酒」。どっちを選ぶかと問われたら、後者を選びたい。会津は悲劇より喜劇が似合う。


          だいこん家⑧ 

綾瀬はるかも食べた?会津ソースカツ丼の圧巻

 会津若松は赤羽彦作村長のご先祖が眠る町である。久しぶりに街中を歩くと、あちこちに「ハンサムウーマン 八重の桜」の旗が立っている。来春スタートのNHK大河ドラマ「八重の桜」の宣伝をかねて盛り上がろうとする会津。主演の新島八重(旧姓山本八重)を綾瀬はるかが演じる。

彦作村長の友人で放送ジャーナリストの鈴木嘉一さんによると、NHKが会津藩出身の山本八重を主人公にするという企画を決定した背景には、3.11で大きな打撃を受けた福島を応援するメッセージがあるという。八重は戊辰戦争という悲惨を闘い抜き、京都で新島襄と再婚、同志社大学の設立やその後の活躍などで皇室以外の女性で初めて叙勲を受けたスーパーウーマン。3.11後の福島の悲惨を戊辰戦争後の八重に重ねることによって、何とか立ち直ってほしいというメッセージをこめているというのである。NHKもやるもんだ。N(何だか)H(へんな)K(公共放送)と揶揄されても、やるときはやるのだ。

          鶴ヶ城① 


主演の綾瀬はるかはすでに会津でロケを終えたという。その綾瀬はるかが会津でどんな食事をしたのか、彦作村長は気になった。インタビューなどで好きな食べ物は「本当に好きなのはごはんと漬け物です」と答えていることを確認。彦作村長は十津川警部にでもなったつもりで綾瀬はるかの食事をあれこれ推理した。ロケの重労働などを考えると、「それは多分、どんぶりものではないだろうか。ごはんと漬け物が必ず付いている。しかも場所は会津。会津でどんぶりものと言えば、ソースカツ丼しか考えられない。漬け物とみそ汁も付いている。第一、スタッフも会津名物を賞味したいはずだ」と勝手に推測したのだった。

会津若松市は、福井県や群馬・桐生市、長野・駒ヶ根市などとともに「ソースカツ丼のメッカ」として、知る人ぞ知る街でもある。赤羽彦作村長は鶴ヶ城や山本八重の生家跡からほど近い「美由希食堂」に狙いを定めた。創業が1964年(昭和39年)、ここは会津ソースカツ丼の名店の一つである。

         ミユキ② 


入り口に昔の荷馬車の大きな車輪が飾ってあった。看板がデカい。顔が大きめの綾瀬はるかとスタッフがここに入った可能性もないわけではない。中に入ると、懐かしい昭和の匂い。座敷と小テーブル、囲炉裏をそのまま使ったような大テーブル。広い厨房が開放的に広がっている。おばさん店員が3、4人ほどしゃきしゃきと動き回っている。午後1時過ぎなのにどんどん客が入ってくる。

「ソースカツ丼」(900円)を注文した。注文してからとんかつを揚げるので、15分ほど待たされた。来た! おおっという大きなとんかつが一枚にさらに一切れ。厚さは1センチほどありそう。その勇姿がどんぶりからはみ出そうな勢いで鎮座している。下に千切りキャベツが敷かれていて、特製ソースのいい滲み具合とともに、彦作村長の食欲を刺激した。

          ミユキ③ 
               綾瀬はるかに食べさせたい

肉はロース。ほどよい肉汁がソースの合い間からジュワジュワと滴り落ちてくるよう。900円という価格設定は安くはないが、柔らかい肉の歯ごたえがその価格設定を納得させてくれる。特製ソースは思ったよりもソースそのもの。ソースをこれだけ前面に押し出してくるソースカツ丼は会津ならではかもしれない。キャベツは自家製農園で栽培したものを使っているそう。

         ミユキ ソースかつ丼④ 
             わっ、このボリューム・・・参りました

うまい。とんかつの存在感が圧倒的。みそ汁も大きな器でしかも豆腐とわかめと味噌のバランスがいい。おしんこはきゅうりと大根漬けで、これも自家製。食材に神経を使っているのがよくわかる。全体として、会津でも人気店なのは理解できた。だが、しかし。彦作村長はごはんが柔らかすぎるのが気になった。好みの問題だろうが、ソースの滲み具合を考えると、もう少し固めの方がいいと思う。

綾瀬はるかがこの店に来たのか、店員さんに聞いてみると、「いろんな方が来るから、いちいちわかりませんよ」と笑われてしまった。しかし、彦作村長は、必ず来ていることを確信した。はるかなはるか。外に出ると、鶴ヶ城が見えてきた。瞑目して、144年前の鶴ヶ城を思った。彦作村長の胸めがけて、アームストロング砲の砲弾が飛んでくる錯覚に陥った。



本日の大金言。

「八重の桜」と会津ソースカツ丼。「志」と「胃袋」。この二つで観光客を呼び込めるか? 平成維新の時代に会津の命運を握っているのはこの二つかもしれない。



            山本八重生家 


喜多方に勝てるか、会津ラーメン老舗の謎

 赤羽彦作村長は、久しぶりに福島県会津若松市に草鞋を脱いだ。エンターテインメント新聞社時代に担当していた直木賞作家で歴史小説の大家でもあった故・早乙女貢氏のお墓参りを兼ねての旅だった。出版社の編集者や評論家、作家など「早乙女一座」の面々との毎年恒例の旅でもある。有名女優や「国家の品格」の著者などが参加することもある。実に賑やかな一座で、冗談が飛び交い、時に脱線もするが、笑いの絶えないこの集まりを彦作村長も毎年、楽しみにしている。

新選組・近藤勇や会津藩家老・萱野権兵衛の墓もある天寧寺に早乙女貢氏の立派なお墓がある。名所のコースの一つにもなっていて、歴女の墓参も多く、最近は特に若い女性ファンの来訪が増えているという。パーティーなどでいつも周囲に女性が多かった早乙女氏も泉下でニンマリしているに違いない。

墓参を終えた彦作村長は、もう一つの目的でもある旨いもの探しに乗り出した。今回の旅には娘のキオも同行。「会津と言えばラーメンかソースかつ丼。まずはラーメンを食いたい」などとほざいて、村民2号の代役を演じている。

          いさみ②   

目指すは以前から行ってみたかった「手打ちラーメン いさみ」。
昭和21年創業。会津では老舗の店で、有名なラーメンの街・喜多方を含めてもきわめて珍しい、完全手打ちのラーメン屋さんである。しかも、佐野ラーメンのように青竹を使った手打ち麺である。

神明通りの裏側にある戦国の英雄・蒲生氏郷の墓所から歩いて、2~3分ほど。こじんまりとした入口の横にはガラス張りで麺打ちの光景が繰り広げられていた。中は意外に広く、テーブルとカウンター、奥には座敷というレイアウト。空気が新鮮で、いい雰囲気である。午後1時を過ぎていたが、7~8組ほどの客。ちょうどいい混み具合。ラーメンの他ソースかつ丼を注文している人も多い。

村長はさっそく「手打ちラーメン」(600円)を注文。キオは「手打ちワンタンメン」(750円)を注文した。
「喜多方もうまいけど、この店も期待できそう。店の雰囲気でわかる」
社会人になってにわかグルメになったキオが分析する。

         いさみ⑨  
                実にシンプル!これが手打ちラーメン

         いさみ⑥ ワンタンメン 
                    こちらは手打ちワンタンメン

湯気をたててやってきたラーメンはかなりの太麺。平打ち縮れ麺で、太さがバラバラ、たぶんそれは計算ずくのワザで、すぐに手打ちとわかる。スープは見た目はかなり濃い。チャーシューは2枚ほど。小ぶりだが、脂身がいい具合に乗っていて、しかも厚みがある。メンマ、刻みねぎが浮かんでいる。ナルトがない、海苔もない。シンプルな構成。

まずはスープをひと口。見た目と違って、まろやかで深みがあり、濃い味ではない。煮干しかかつお節を使っていると思ったが、後で確認したら、ダシはとんこつ中心で、鶏ガラも煮干しも使っていないという。麵はかなりもちもちしていて、まるで佐野ラーメンのよう。喜多方ラーメンとは明らかに違う。

          いさみ③ 

チャーシューはよく煮込んであり、脂身がいい具合で、喜多方の老舗「坂内食堂」のような味わいだが、それよりも柔らかくて、いい食感である。全体のバランスが見た目よりも奥が深い。妙な言い方だが、喜多方ラーメンと佐野ラーメンのいいとこどりをしたような印象。「昔からずっとこうです。67年前の創業当時と同じ味ですよ」老舗の意地か、店員さんがさらりと言った。

         いさみ④ 

「ワンタンメンのワンタンも手づくりなのね。こっちもうまいよ。村民2号もきっとワタシの好みと言うはずよ」
キオが「ウマズイめんくい村」で留守番をしている美熟女の村民2号の代わりにそう言った。村民2号は今ごろ大の字で昼寝をしていることだろう。ひょっとして黒糖かりんとうの残りを平らげているかもしれない。

彦作村長は満足顔でちゃっかり「ごちそうさま!」と箸をおいて去っていったキオの見事な去り具合を見ながら、リチャード・ドーキンスの「人間は遺伝子の乗り物に過ぎない」という言葉を噛みしめていた。



本日の大金言。

会津若松と会津喜多方はライバル関係でもある。宣伝上手な喜多方と宣伝下手な若松。町人商売と殿様商売。ラーメンもまた。

            いさみ⑦ 


マルゴーもかすんだウソみたいな黒糖かりんとう

美熟女の村民2号は大のかりんとう好きである。「少しやせなきゃ」とダイエットに励んでいるときにも、台所の奥にこっそりかりんとうだけは確保している。特に沖縄産の黒糖を使ったかりんとうが好みで、よくもまあ、とあきれ返るほど、うまそうなかりんとうをどこかから仕入れてくる。その村民2号が久しぶりに腰を抜かしそうになった。ぎっくり腰になったわけではない。オーバーではなく、こんな黒糖かりんとうがあったとは・・・とすっかり脱帽してしまったのだ。まさか?

キッカケは京都にお住いの調布先生である。これまでも「亀末廣」の干菓子や「緑壽庵清水」の金平糖など、京都でも別格の和菓子を教えてくれたり、案内してくれたり、時にはクロネコしてくれたり。「あんたは修行が足りん。この味がわかるか?どないや?イッヒッヒ」と愛なのか鞭なのかわからない、謎かけのような深いメッセージを送ってくれるお方である。

その知識、経験、洞察力は、永田町でも一目置かれていて、時の政権のブレーンの一人だったこともある。その調布先生が難問山積の江戸城の意を受けたのか、はたまた単に美女に会いに来ただけなのか、水戸黄門に変身してこっそり東下してきた。ウマズイめんくい村にも草鞋を下してくれた。そのとき手土産として持ってきてくれたのが、「和菓子処 箕面かむろ」の「黒糖菓凛糖」だった。

         黒かりんとう④ 

彦作村長はご近所を招いて、とっておきの秘蔵ワイン「シャトーマルゴー1998」などを出して歓迎の宴を開いた。天国特派員の村犬チャイも駆けつけて、宴は大いに盛り上がった。話は多岐にわたり、やがて宴がそろそろ終わりかけたとき、調布先生が村民2号に耳打ちした。「あのかりんとう、後でゆっくり食べてね。イッヒッヒ」。

調布先生がお帰りになった後、円筒形のブリキの缶を開けてみた。黒かりんとうは一つ一つパッケージされていた。どこか只者ではない雰囲気が漂っている。
「これって本当にかりんとうなの?」
村民2号が驚きの声を上げる。
彦作村長もその色に目を見張らされた。見事な黒檀色。黒糖かりんとうはこれまで何度も食べているが、まるで黒さが違うのだ。色むらがない。油のテカリがない。ベルギー産の手づくりチョコレートのような黒なのだ。
「うーむ。味見してみよう」

          黒かりんとう⑤ 

「こんな真っ黒いかりんとう、初めてよ」
シャトーマルゴーにもあまり反応を示さなかった村民2号が、目をとろんとさせて、ため息をついている。単純な奴だ。とはいえ、彦作村長もその最初の口当たりに脱帽せざるを得ない。沖縄でも最高と言われる波照間産の黒糖を使って、職人技で一つ一つ丁寧に仕上げている。その黒糖のまろやかさが優しいのだ。沖縄の残照が頭をよぎっていく。中もサクッとしていて黒糖の余韻とともに口中に溶け込んでいく。絶品と言わざるを得ない。

          黒かりんとう③ 

大阪府箕面にある「かむろ」に興味を持った。一体どれほどの伝統と歴史があるのか? だが、 これほどの和菓子屋なのに、調べても調べても歴史が見えてこない。最近は関西のデパートにも出店し始めているのに、その正体が見えてこないのだ。隠しているのか? 彦作村長は新聞記者だったころを思い出して、秘密の扉を開けようとした。

手がかりはあった。主人がある種の天才型和菓子職人で、まだ40代の若さ。創業したのが2006年。つまり、たった6年ほどの歴史だった。何という和菓子屋か。和菓子の修業を積んで、箕面にノレンを出したという。栗まんじゅうや三笠、最中、大福なども一級品で、すでにかなりのファンがついていることも分かった。

「まるで和菓子界の孫正義かジョブスね。亀末廣ばかりでなく、こういう店を知っている調布先生は人間を超えているわ」
「調布先生のイッヒッヒの意味が少しわかった気がするよ。古いだけではダメで、進取の気性も必要ということかな。食えないお人だよ」
「黒かりんとう、10個しか入ってないのが残念。通販もやっているみたいなので、村長、今度取り寄せてよ」
「キミの体重と相談してからだね」
「かむろって、ハゲ坊主って意味もあるのよ。村長、この意味わかるでしょ?」
毒矢がビュンビュン飛んできた。かりんとう如きで死にたくはない・・・。



本日の大金言。

世の中の常識はくつがえされる。かりんとうの常識を超えた黒かりんとうの存在。すべての常識はいつかくつがえされることを教えてくれる。この黒かりんとうもまた。

        黒かりんとう① 

B級キング「煮込みカツ丼さま」の底力

 「今年の夏は頭がおかしくなるほど暑かったわね。40.9度を記録した5年前も異常に暑かったけど、原発問題などもあって、印象としては今年の方が暑苦しい夏だった。エアコンも最低限にしたり、ウチワをフル回転させたり、とにかくああ疲れた」
美熟女の村民2号が、まだ残暑が続いているというのに、畳の上にドテッと大の字になって、彦作村長をチラ見した。嫌な予感がする。

「疲労回復にはあれしかない。カツ丼だ! そうだ、久しぶりにカツ丼行こ。行こ、行こ。村長に付き合ってうどんやそばばかり食ってたら、干からびてミイラになっちゃうわ」

ミイラになる心配など1ミリもないのに、カツ丼に負けないくらいの脂身がヨッコラショと立ち上がると、彦作村長の意志などお構いなしに、近くのフードコートにポンコツ車を飛ばした。

          カツ丼② 

石焼ダイニングの店「マンマデリ」に新メニュー「カツ丼」が登場したことも、久しぶりのプチ贅沢を後押しした。彦作村長にとっても、カツ丼は久しぶり。宮仕え時代に立ち食いそば屋でよくカツ丼を食べたのを思い出した。カツ丼と言えば、ラーメン、カレーライスと並んで、戦後の庶民のB級グルメ三大メニューの一つ。中でも、そのささやかな高級感とボリュームは圧倒的で、大衆食堂でカツ丼を食べることはそのまま「ちょっとリッチな幸福感」にひたれることを意味した。B級グルメのキングだった。値段もラーメンやカレーライスより少々高かった。

だが、立ち食いそば屋にカツ丼が登場して、状況が変わった。とにかく信じられないほど安くて、しかもバカにできないくらいのうまさ。小諸そば、富士そば、ゆで太郎など大手立ち食いチェーンでは450円~500円出せばボリューム満点のカツ丼が楽しめる。肉も5ミリくらいあったりする。それでもカツ丼がB級グルメのキングであることに変わりはない。

         カツ丼③ 

「マンマデリ」のカツ丼は630円(おしんこ、スープ付き)。立ち食いに比べればちょっと高めではあるが、それでもかなり安い。待つこと12~3分。見事なカツ丼だった。ここは注文してからとんかつを揚げるので、ある程度の時間がかかる。そこは立ち食いそば屋ではできない手間とこだわりと言っていい。

「これよこれよ。ラードのいい香りが食欲をそそるでしょ? 揚げ立てのトンカツのこの存在感。肉の厚さは7~8ミリはある。上にカイワレが乗ってるのも丁寧な心配りを感じるわ」

村民2号がガブリとかじりつく。彦作村長も負けじとガブリ。カリッとしたコロモの奥から煮込み醤油の甘い誘惑とともに豚ロースの柔らかな食感が口の中いっぱいに広がってきた。うまい。薄味がちょうどいい。卵とタマネギの加減もいい具合だ。

          カツ丼① 

「正統派のカツ丼がこの値段で食える時代になったということだね。うれしいなあ。でも、ちょっとだけ不満がある。とじ卵は半熟がいい。これは煮すぎだと思う」

「わたしはこのくらいが好き。要は好みの問題よ。村長は熟女より若いのが好きということ?」
毒矢が飛んできた。ここは逃げるにしかず。
「半熟も熟女のうち、ということもあるよ」
「・・・・・」

         カツ丼④ 

卵とじカツ丼の歴史は諸説あり、1921年(大正10年)早稲田の学生が考え出したという説、新宿馬場下町の蕎麦屋「三朝庵」の主人が考案したという説、大阪ですでに登場していたという説などさまざまある。いずれにせよ大正時代に庶民の味として誕生していたようだ。

カツ丼と言えば「卵とじカツ丼」が一般的だが、ソースカツ丼も同じくらいの歴史があり、地域性があるのも面白い。彦作村長は久しぶりに本格カツ丼を味わいながら、日本におけるB級キング、カツ丼の底力を夢々侮ってはならない、そう思った。キングカズよりキングカツどん、である。



本日の大金言。

酷暑、原発、尖閣・・・今年の夏は異常だった。だが、問題はまだ一つも解決していない。ここで、カツ丼を食って栄養補給するのも悪くはない。


          
           伊東屋⑧ 

まさか?大阪名物タコ焼きのルーツは会津だった

 大阪で食うタコ焼きと東京で食うタコ焼き。この自己矛盾的な落差。赤羽彦作村長は宮仕え時代から出張などで大阪に行くと、必ずといっていいほど道頓堀周辺で、屋台のタコ焼きを食べるのが楽しみの一つだった。

特に「本家日本一大たこ」のタコ焼きが好みで、行列に並んで一人前買い込むと、人ごみの中を道頓堀川沿いに場所を定める。そこで川面に映るネオンと人間模様を眺めながら、缶ビール片手に、大たこ焼きを頬張るのが好きだった。浪速の雑踏の中の孤独。これ以上の至福はなかった。大阪はそのタコ焼きの思い出とともに彦作村長の胸の中にある。

その浪速のタコ焼きを東京で味わえる。約1年前、有楽町駅前の交通会館1階にオープンした「大阪百貨店」は、大阪をそのまま東京に移植したというのが売りのアンテナショップ。彦作村長は久々江戸表に出たついでに、ヨッコラショと足を延ばしてみた。

          たこやき⑤ 

まず入り口から昭和の匂いとともに、「タコ焼き、お好み焼き、イカ焼き、土手焼き、冷やしあめ」といった大阪のメニューが目に飛び込んでくる。ああ、浪速だ、浪速だ。彦作村長はこれまで東京にこうしたアンテナショップがなかったことに思い至った。

大阪と東京のある種のライバル関係は時代とともに大きくなったり小さくなったり、時には「大阪都構想」なる奇妙な対抗意識となって、世相の表面に現れてくる。水と油。本音と建て前。お笑いと笑い。鶴瓶とたけし。文化の違いが互いの存在をいじり合いながら、反発しながら、ライバル関係を維持している。

          たこやき① 

東京で本物のタコ焼きが食えるのか? 彦作村長は、「タコ焼き」(6個入り380円)を注文した。うむ、大きい。ソースを付けてから、青のりとかつお節をかける。さらにマヨネーズもかけるのが村長の好みである。まずはひと口。表面がこんがりとしていて、中がジュワジュワ。クリーミーな生地が「どや、うまいやろ」と語りかけてくる。中に入っている大きめのタコがいい歯ごたえで、「な、うまいに決まってるやろ」と迫ってくる。西川のりおのノリ。う、うまいです。「そやろ、そやろ。もっと食いや」鶴瓶のノリ。あっという間に押し切られるように、6個平らげてしまった。

だが、彦作村長の心の中には、どこか微妙なずれがあった。うまいのだが、本物ではない。それはすぐにわかる。ここから一歩外に出ると、そこは大阪ではない。悲しいかな、あの浪速の匂いがない。それは鶴瓶や吉本芸人がもはや大阪というより東京の芸人になってしまったのと似ているかもしれない。東京で食べるタコ焼きはタコ焼きではない。タコ焼き風とでも言った方がいいのではないだろうか?

          たこやき④ 

ここで意外な話。タコ焼きは浪速のもの、というイメージが強いが、創始者は福島・会津出身の遠藤留吉と言われる。遠藤はタコ焼きの元祖「会津屋」の初代である。今から遡ること約80年前の1933年(昭和8年)当時は、ラヂオ焼きがそれなりに人気を呼んでいた。ラヂオ焼きとは当時最先端のラヂオにあやかって名付けられた屋台の最先端メニューで、タコではなく牛肉を入れていたという。

会津屋の初代がこれに改良を加えて、明石焼きをヒントにして牛肉の代わりにタコを入れ、「タコ焼き」と名付けて売り出した。これが大当たり、浪速っ子の味覚をとらえた。会津屋が大阪・天下茶屋に店を構えたのは1949年(昭和24年)。そこからさらに、タコ焼きは大阪の庶民の味となって、どんどん広がっていった。

タコ焼きと会津のあまりに意外な関係。祖先が会津藩の下級武士だった赤羽彦作村長。あれこれ調べていくうちに、なぜこれほど自分がタコ焼きに惹かれるのか、その理由の一端が解けたような気がするのだった。タコ焼きのルーツが会津人だったとは・・・。

ひょっとして自分はタコ焼きのタコみたいなものではないか? そんな疑問もあるにはあるが、タコ焼き=会津人起源説はほとんど知られていない。歴史には確かにまさかがある。まさかの坂の大阪・・・。あまり関係ないが、多湖輝さんはどうしているんだろう?

         たこやき② 


本日の大金言。

もしも幕末にタコ焼きがあったら、会津がもっとタコ焼きを食べていたら、会津の悲惨はなかったかもしれない。尖閣問題にもタコ焼きの「丸いしたたかな世界観」があればなあ。





人形町柳屋のたい焼きと養殖たい焼きの闘い

 「たい焼き」は冬の風物詩という時代が去って、今では夏でもたい焼きが楽しめる。たい焼きファンとしてはめでたい話である。
1975年(昭和50年)、子門真人が歌う「およげ!たいやきくん」の大ヒットによって、第一次たい焼きブームが巻き起こり、その後、しばらく冬の時代が続き、5年ほど前から、冷めてもうまい「白いたい焼き」(尾長屋)の登場などによって、再びブームに火がついた。

現在は第二次たい焼きブーム。「日本一たい焼き」「たい夢」「かめや」「銀のあん」「かめ福」など、ひと昔前には考えれれなかった「薄皮で、尻尾の先まで入った極上のあん」という「旨いたい焼き2原則」をクリアしたFCチェーン店が次々と登場。東京をぶらぶら歩くと、残暑が厳しいというのに、同じような店構えのたい焼き屋が「暑くてもたい焼き、え~いかがですか」と声を上げている。

ショッピングモールなどに行くと、アイスクリーム屋とともに、たい焼き屋が一角を占めている。値段はそれなりで、1個120円~180円ほど。あんばかりではなく、白あん、抹茶、ずんだ、カスタードクリーム、ジャムなど多種多様。今川焼ファンでもある赤羽彦作村長は、歴史的には明治末期になってからできたたい焼きよりも今川焼にシンパシーを感じる。江戸中期に東京神田・今川橋あたりで売り出されたのがルーツだが、何よりも、1個80円~100円と安いのも気に入っている。派手好みのたい焼きと地味系の今川焼。


          人形町・柳屋① 


今川焼についてはしばらく後に取り上げるとして、今回は夏のたい焼き。中でも一匹ずつ手作業で焼き上げる天然物の代表「人形町 柳屋」と、複数匹をまとめて焼く養殖物の代表「かめ福」のたい焼きを食べ比べしてみた。

「柳屋」はたい焼き業界では別格で、1916年(大正5年)創業。麻布十番の「浪花家総本店」(1909年=明治42年創業)、四谷の「わかば」(1953年=昭和28年創業)と並んで、たい焼き御三家の一つに挙げられている。人形町甘酒横丁にあり、平日でも行列ができるほどの人気。店頭では職人さんが1匹1匹ていねいに焼いている。その光景は彦作村長が初めて足を運んだ20年ほど前と変わらない。1匹140円ナリ。店頭だけでは対応しきれないために、奥でも焼いているようで、行列のさなかに、焼き上がったたい焼きを運んできたりする。
 
表面はパリッとしていて、金型からはみ出た端っこが焦げている。ここがいかにも職人の手焼きを感じさせて、好感が持てる。アツアツをふうふうしながら、まずは割ってみる。北海道産の粒あんがいい色具合で顔を出す。

           人形町・柳屋③ 

           人形町・柳屋⑥ 


皮のモチモチ感はさすがという出来。パリパリもっちり、そして甘さ控えめの粒あんが口中にふくよかに広がってくる。その絶妙なハーモニーが柳屋の歴史でもある。1+1が3の世界。「創業九十余年」の看板がダテではないことがすぐに理解できる。


 
彦作村長は次に「かめ福」のたい焼き(1匹120円)にかじりついた。こちらも北海道産のいい小豆を使っている。「養殖物」といっても、一度に焼くのはせいぜい12~20匹。柳屋のように1匹1匹ではないので、端っこが焦げることはない。それでも外側はパリッとしている。カリカリという音さえ聞こえてきそうなくらい。薄皮で柳屋よりは小さめ。中のあんは尻尾まで詰まっていて、こちらも控えめな甘さ。いい小豆の香りが立ち上ってくる。柳屋のたい焼きを最初に食べなかったら、「絶品だ」そう叫びたくなるほどうまい。たい焼きのレベルがひと昔前より格段に上がっていることを実感できる。

          かめ福鯛焼き① 
          かめ福鯛焼き③ 


しかし、柳屋が1+1=3なら、かめ福は1+1=2くらいの微妙な差がある。このタッチの差が実は重要なのかもしれない。長い年月で築き上げた伝統と職人技の差。たかがたい焼き、されどたい焼き。天然物と養殖物という分類でいえば、天然物が養殖物に負けたら看板倒れにもなるという覚悟。ビジネスの誘惑を振り切るそのぎりぎりの職人的なプライド。

泳げたいやきくん、広い海へ行きたいのはわかるけど、どうか行き先を間違えないでほしい。そこはキミの場所ではないかもしれない。海ではなく一人のファンのために存在することが大事ってこともある。泳ぐな、たいやきくん。



本日の大金言。

たい焼きが一年中食えるようになっても、たい焼きの旬は秋から冬だと思う。冬の花火と夏のたい焼きは少しでいい。



          人形町・柳屋②  










AKBもこっそり食べた?アキバの老舗牛丼

「 牛丼」といえば吉野家があまりにも有名だが、吉野家が1970年代にFCチェーン店展開に成功してから、松屋、すき家、なか卯、神戸ランプ亭などが次々と参入し、途中BSE問題などの危機もあったが、それを乗り越えて、今では牛丼は「24時間営業」の看板とともに、全国どこに行っても存在している。

ところが、そうしたチェーン店とは一線を画した牛丼屋が東京・秋葉原にある。「牛丼専門 サンボ」だ。秋葉原に「神田青果市場」があった頃から営業しているので、その歴史は少なくとも40~50年はあると思われる。「サンボ」という店名の由来は明らかになっていない。ロシアの格闘技サンボから来ているかもしれないし、そうではないかもしれない。あのBSE問題で、吉野家をはじめ牛丼チェーンが次々とメニューから牛丼を外した時に、「サンボ」は敢然と「牛丼」をメニューから降ろさなかった数少ない店でもある。


          秋葉原サンボ① 


牛丼専門店として伝説的な存在となっているのは、FC化には見向きもせずに、「秋葉原のここでしか食えない」というスタンスを守り続けていることが大きいと思う。アキバが電気街からオタクの街、メイド喫茶の街、AKBの街と時代の波に乗って、変化し続けている中で、1970年代の戦後の雰囲気を残して、黄色い「牛丼専門」の看板を掲げ続ける。誰が何と言っても、アキバは牛丼の街でもある、という旗。この反逆性が「サンボ」の凄味、いや隠し味だろう。

店内に入るとすぐ左に自販機が置いてある。赤羽彦作村長は、これまで何十万人のオタクがこの自販機で、食券を買ったのだろうと想像してみる。AKBもここを通過しているはずだ。メイドもアキバ親父もここを通過している。中国人もアメリカ人もひょっとしてアルカイダもここを通って牛丼を食っている。その凄さ。

彦作村長は「牛丼 並」(400円)にみそ汁(50円)を付けてテーブル席に着いた。午後2時を過ぎているというのに店内はほとんど埋まっている。メニューは基本的に牛丼と牛皿のみ。愛想のないおばさんが忙しそうにしている。奥は調理場になっていて、鋭い目つきの料理人が年季の入った動きで牛鍋を仕込んでいる。それはここがアキバであることを一瞬忘れかけるほど、いい下町の料理屋の味わいである。池波正太郎がジャンパーを着込んでドンブリをかっ込んでいてもおかしくはない。


         秋葉原サンボ② 


牛丼がやってきた。いい煮込み具合の薄切り牛肉がタマネギの合いの手に乗って、圧倒的な存在感をかもしだしている。箸を入れると、オーバーではなくその厚さは2センチはあるかというほど。しかも、脂分が少ないためか、パサパサした印象。吉野家や松屋の牛丼とは明らかに違う王者の風格。口にかっ込むと、味がしっかりとしていて濃い。唐辛子を一振り。ツユは少なめ。それはツユダク牛丼とはひと味違って、牛肉本来の「ちょっとつっけんどん」な甘さとなって、口の中いっぱいに広がってくる。飾りのない「正直な牛丼」、そんなコピーが浮かんでくる。バーチャルなAKBと対極の世界。


                    秋葉原サンボ⑨    


紅ショウガは多分自家製だろう薄い肌色で、これがいいアクセントとなっている。塩分と酢がしっかり付いていて、「どうだ、オレみたいな牛丼屋が一つくらいあってもいいだろう?」「バーチャルの街だからこそ本当のリアルを教えてやる」ドンブリからそんな低いつぶやきが聞こえてくる。

陰の実力者である「みそ汁」がいい。具は豆腐と油揚げ、薄味でしっかりとした味わい。サンボの気持ちがみそ汁からも伝わってくる。

アキバが今後どんなに変化していっても、サンボの牛丼だけはきっと1ミリも変わらない。彦作村長は、そう確信した。大いなる満腹感を抱えて、ツマヨウジをくわえると、木枯らし紋次郎気分で外に出た。バカ丸出し。通りは人で一杯だった。オタクもメイドも中国人もひょっとしてアルカイダも?何食わぬ顔で、炎空の下を歩いているかもしれない。しばらくすると、AKB劇場が見えてきた。



本日の大金言。

サンボの牛丼はバーチャルアキバを大地に引き留める一本の鋲(びょう)かもしれない。



                   秋葉原サンボ⑥  

赤ワインと本場いぶりがっこ意外な相性

 「いぶりがっこ」という奇妙な名前を知っている人はまだ少ない。秋田の沢庵漬けみたいなもの、という説明では足りない。「沢庵の燻製」と言った方が近いかもしれない。雪深い秋田では、秋に採れた大根を天日に干すことが難しかった。そのために囲炉裏につるして燻製にしてから、米ぬかと塩で漬け込んだ。「いぶり漬け」ともいう。

「がっこ」とは秋田地方で「漬け物」の意味。直訳すると「いぶった漬け物」となる。この珍しい製法で作られた「いぶりがっこ」が実にうまい。最初は燻製の匂いに戸惑うが、かじってみると、何とも言えない大根の甘みが口中に広がり、ここに炊き立てのご飯があれば、何杯でもお代わりしたくなってくる。

          いぶりがっこ① 

赤羽彦作村長は秋田湯沢市を出て、山形に向かう途中で、小野小町の出身地という伝説もある雄勝野で「道の駅」に入った。ここに「いぶりがっこ」がいぶし銀のごとく鎮座していたのである。手に取ってみると、元祖の「きむらや」のものだった。「保存料、着色料、酸化防止剤、調味料は使用しておりません」という表示が彦作村長の心をとらえた。1本680円。少々高いが、形といい太さといい色合いといい、見事の一語だった。「古来伝承のワザで漬け込みました」というさり気ないひと言も気に入った。いぶりがっこは室町時代からこの地に存在していたという。

ウマズイめんくい村に帰ってから、いぶりがっこを賞味することにした。元祖きむらやのいぶりがっこはナラ、桜、ケヤキといった広葉樹でいぶしている。それが甘い香りの秘密でもある。

「いぶりがっこはワタシが虎ノ門で仕事をしているときに、秋田出身の男性から、お土産でもらったことがあるの。それがうまかった。へえ~、こんなものがあるなんて、知らなかった。それ以来、いぶりがっこのファンになっちゃった」
美熟女の村民2号が遠い目で語る。だんだん自分がいぶりがっこに近づいていることを忘れている。

「昔、スーパーで買ったことがあるけど、しょっぱ過ぎてまずかった印象しかない。色もこんなにうまそうではなかったよ。やっぱり本物は違うね」
彦作村長も半分以上いぶりがっこだった。

         いぶりがっこ④ 

パッケージを取ると、燻製の甘い香りが漂った。本当なら薄く切るのが作法だが、基本的にいい加減な彦作村長は、豪快に厚めに切った。飴色のいい断面が現れた。我慢できなくなって一切れつまんだ。それほどしょっぱくはない。それ以上に燻製のいい香りとともに独特の自然な甘みがじんわりと口中に広がり、一部が鼻腔へと抜けていく。これは日本酒のツマミにもなる。

「ワタシは白ワインにしようかな。いぶりがっこと合いそう。赤ワインもカベルネ系が合いそう」
村民2号がソムリエにでもなったつもりか、あれこれ試し始めた。
「うん。意外だなあ。日本酒よりも赤ワインがいい。いぶりがっこと赤ワイン。ミスマッチみたいだけど、ミスマッチじゃない」
「鮭の燻製がワインに合うのと同じかもね。村長とワタシの関係みたいね」
「キミが燻製で、オレがワイン?」
「村長がいぶりがっこで、ワタシがマルゴー。決まってるじゃない」
いぶりがっこ予備軍同士のさや当てが始まった。皿に載ったいぶりがっこが煙たそうに鎮座していた。ウマズイめんくい村の夜明けは遠い。

          いぶりがっこ⑤ 


本日の大金言。


夏のいぶりがっこもいいが、やはり冬に食べたほうがしみじみ感が出てくる。東北の冬は? 復興は? いぶりがっこの未来に乾杯を。


          夕焼け 

これぞデパ地下の至福、日本橋高島屋の巻

 デパ地下。B級ぐるまにあ(グルメマニアの新語のつもり)にとって、この四文字ほど胸躍らせる場所はない。敷居が高く、値段も高くて普通なら手に負えない老舗が比較的安くテイクアウトしてくれたり、日本中の旨いものが一堂に会したりしている。赤羽彦作村長は、宮仕え時代も、ヒマさえあれば、銀座、日本橋あたりのデパ地下を歩き回っていた。銀座三越の地下で買った「十勝おはぎ」の絶妙、八重洲大丸で手に入れた鯖寿司の圧巻、挙げればきりがない。

日本橋高島屋で開催されている「バーナード・リーチ展」を見終わった後、彦作村長は久しぶりにデパ地下に足を延ばした。この一角にある「銘菓百選」コーナーが目当てだった。
きんつばで有名な金沢の中田屋など地方の老舗がしのぎを削っている中に、東京下町・三ノ輪の「花月堂本店」の豆大福が置いてある。日によっては午前中で売り切れてしまうほどの人気。しかも「賞味期限は本日中」というレアもの。


          日本橋高島屋⑥ 


花月堂は明治4年創業の和菓子屋の老舗で、今では豆大福が看板商品の一つ。虎ノ門岡埜栄泉、護国寺群林堂、原宿瑞穂といった東京・豆大福御三家に迫るポジションにいる老舗でもある。タッチの差で間に合った。豆大福のつぶしあんが1パックだけ残っていた。こしあんは売り切れていた。両方を比較したかったが、彦作村長はかつて三ノ輪の本店に足を運んで賞味したことがあるので、つぶしあんが残っていたことで我慢することに。2個入り1パック(1個180円=360円)を買い込む。

さらに、あちこち歩き回る。見るからにうまそうなコロッケを彦作センサーが捉えた。神戸串乃家の「十勝産牛肉コロッケ」。こちらも2個ゲット。こちらも1個180円(消費税込みで189円)。コロッケは彦作村長の幼少時代からの好物で、学校帰りに肉屋で揚げたてのコロッケを買ってきてはこっそり食べる。安いうえに、そのうまさは格別だった。あの手塚治虫も一目置いた天才漫画家・杉浦茂の登場人物「コロッケ五円の助」のファンでもあった。杉浦茂の漫画は実に不思議な漫画で、登場人物がシュールでミョーなのである。「でるとまけぞう」というヘンな剣豪も面白かった。幼少時の洗礼は強烈で、赤羽彦作がヘンなものやミョーなものについつい惹かれてしまうのは、この杉浦茂の原体験が大きいと今では思う。


          日本橋高島屋① 


その安かったコロッケが189円とは。ここまで来るとコロッケはもはや庶民の味ではない。しかもそれを買ってしまう食い意地って何だろう。それでも外食するよりは安い。そう言い聞かせて、ウマズイめんくい村に持ち帰って、賞味することになった。

まずは花月堂の豆大福。大きさは群林堂や瑞穂と同じくらいで、やや大きめ。特筆すべきは餅だろう。まるでつき立て。手で割ろうとすると、「あなたとは離れられないわ」とベタッとくっついてくる。赤えんどうはほどよい固さ。それに北海道産の小豆で作った粒あんが香り立つよう。控えめな甘さがいい。日本橋高島屋で人気なのも納得の味だ。

ただ少々気になったのは、原材料名に「トレハロース」が入っていること。これは虎ノ門岡埜栄泉や群林堂、瑞穂にはなかったと思う。「賞味期限が当日のみ」というのなら、このトレハロースという添加物がなぜ必要なのか? 村長の現在の頭では理解できない。


         日本橋高島屋⑧ 


次に「十勝産牛肉コロッケ」。大きくてボリューム満点。美熟女の村民2号が忍び足でやってきて、「オーブンで少し焼いてみたら?」と珍しく貴重なアドバイス。確かに、買ってから5時間以上たっていたために、そのまま食べてもうまかったが、揚げたての感触は薄れていた。

オーブンで焼いたら、うまさが倍増していた。神戸串乃家の独自の揚げ方で、余分な油分がハネ飛ばされていて、外側がカリッとしている。中の具は十勝産の牛肉と北海道産のジャガイモがいい具合に練り込まれている。タマネギの甘みも感じた。何も付けずに食べたら、実にうまい。昔、肉屋で買って食べたコロッケの味がよみがえってきた。


          日本橋高島屋③ 


次にブルドッグの中濃ソースを付けてみた。うーむ。ソースの味が強すぎて、コロッケの旨味が消されてしまった。醤油も同じだった。この十勝牛コロッケは何も付けずに食べた方がうまいと思った。
「スーパーのコロッケとはひと味違うわね。値段も違うけど」
「これはうまいけど、たまに食うからいいんだな。コロッケは1個100円以内。昔は5円だったんだから。今でいうと50円くらいかな」
「村長の今の収入じゃ、コロッケも高値の花よ。コロッケ無縁の助さま」
またも毒矢が飛んできた。彦作村長はデルトマケゾウになりそうだった。



本日の大金言。

デパ地下には夢がある。都心に残された唯一のオアシス。疲れたときはここを歩いてみよう。



            日本橋高島屋⑨ 

北海道3大ラーメンと小樽ラーメンの場外戦

 札幌は味噌、函館は塩、旭川は醤油。北海道はラーメンのメッカだが、その中でもこの三つの都市は別格といっていい。「北海道3大ラーメン」といえば、この3都市の名前が冠されている。

いずれもとんこつベースの濃厚なスープが基本にある。しかも、看板はそれぞれ味噌、塩、醤油だが、実際にはこの三つの味がメニューに揃っている。札幌は味噌が看板だが、塩や醤油も実にうまい。函館、旭川も同じで、「塩しかありません」とか「醤油しかありません」という店は極めて少ない。

この三つの味をベースにして、それぞれの店が個性を出して、競い合っている。こういう「三種混合型ラーメン地帯」は北海道だけだろう。明治維新後、全国各地から開拓移民を受け入れて発展した北海道ならではのスケールのでかさともいえる。

今やラーメン戦国時代。この牙城に割って入ろうとしているのが、小樽など新興戦国大名だ。赤羽彦作村長は小樽が大好きで、エンターテインメント新聞社記者時代に、札幌に行ったついでによく足を運んだ。クルマで30分ほどの距離。寿司屋通りでやや高めの寿司をほおばり、天狗山に登っては小樽ワインを飲みながら、鱒のステーキをがっついた。いい気なもんだった。「札幌の人もうまい魚を食べたいときは、小樽に行くんですよ。札幌より安くて鮮度がいいんですよ」タクシーの運転手のそんな話が頭をよぎる。

「春日部に小樽ラーメンの店ができた。東京ラーメンショーにも参加して、評判にもなった店よ。小樽好きの村長なら行かなくちゃ」

美熟女の村民2号と文吾ジイがダブルでささやいてきた。うむ。行かない理由はない。文吾ジイの今日のいでたちは麦わら帽子に浴衣姿。裾の合間から少々黄色くなったふんどしが見え隠れしているのが情けない。美熟女も負けじとピチピチの短パン姿。年齢をまったく考えていないところが恐ろしい。彦作村長は作務衣姿。なぜか泥棒みたいにほお被りしている。警察の職務質問を警戒しているつもりだが、返って怪しすぎるということに気が付かない。掛け値なしに怪しい三人組。

          小樽ラーメン① 

愛馬のポンコツ車を飛ばして、メーンストリートの横に急ブレーキ。「小樽らーめん 豆の木」に着いたのだった。中に入ると、大きなテーブルが4つ、それにカウンター席。お昼前だったので、意外とすいていた。メニューは醤油、味噌、塩がそれぞれあり、小樽ラーメンといっても、北海道ラーメンの手のひらの上にあり、むしろ札幌ラーメンに近い印象。怪しい三人組はテーブル席に座ると、メニューの中から一番安い「しょうゆ」(550円)を選んだ。

「手打ち麵と小樽麵、どっちにしますか?」茶髪の女店員が聞いてくる。
「どう違うの?」と村民2号。
「手打ちは太麺で、小樽麵は卵が入っていて、ツルリとしてます」
「ツルリは嫌だ。手打ちがいい」なぜかほお被りを取らない彦作村長。
「手打ちで手打ちにするか」と意味不明の文吾ジイ。
「ワタシはツルリがいい。2人とも手打ちに致すわよ」とこちらも意味不明の村民2号。

          小樽ラーメン⑤ 


小樽醤油ラーメンがやってきた。550円という価格設定と茶髪女店員の様子から、村長の期待度は低かった。だが、目の前の醤油ラーメンは意外な存在感を示していた。何よりもチャーシューが大きくて、しかも色合いがかなりのレベル。見るからにうまそうなのである。白ネギ、刻みネギ、もやし、それに大きい海苔がわきを固めている。

彦作村長は期待値を上げた。まずスープ。魚介類のダシが効いていて、しかもあっさりした深みが立ち上がってくる。酢が入っているのか、まろやかな酸味が「いい奥行き」となっている。麵は太麺で少々縮れている。しかもコシの具合もいい。でっかいチャーシューをがぶり。硬くもなく柔らかくもなく、多分肩ロースだろう、脂肪分の割合もよく考えられていて、店主のラーメンにかける心意気が感じられる。店主はイタリアンシェフから、ラーメンの世界に入ってきたという経歴の持ち主だそう。チャーシューやスープへのこだわりの秘密が見えた気がした。

          小樽ラーメン③ 

「最初はハズレかな、って思ったけど、当たりだったわね」
「ツルリ麵もうまかったんじゃな。ワシの手打ち麺はなかなかの味じゃよ」
「550円でこの内容はマルだなあ。村民2号と文吾ジイに感謝するよ」
「感謝だけ?次は本物の小樽に連れてってよ。寿司も食べたいし、運河も見たい」
「ワシも連れてってもらおうかな。もう先も長くはないし。天狗山でワインを飲みたい。石原裕次郎記念館にも行ってみたい。小樽のネエちゃんとも交流を深めたい」
怪しい三人組の内紛が始まりかけていた。


本日の大金言。

小樽は夜景もいい。函館ほど華やかではないが、その分、しみじみと人生を感じられる。ひまわりよりも月見草。


                     小樽ラーメン② 

「お江戸のへそ」日本橋で絶品立ち食いそば

今回はとっておきのB級情報、いやT級情報をお届けしよう。「立ち食いそば」である。(立ち食いはウマズイめんくい村ではT級グルメと定義している)
赤羽彦作村長は宮仕え時代から大の立ち食いそばファンである。仕事の合間を縫っては、街中、駅のホームを問わず、「これは」と直感すると、たとえ少々腹がいっぱいでも、ダイビングみたいに飛び込んで賞味した。

10年ほど前までは、B級どころかC級、D級、低級の「この値段じゃぜいたくは言えねえ」という店がほとんどだった。そばはぼそぼそ、汁は甘辛濃いめ、天ぷらは取り置き、という「立ち食いそば3つの定理」が当然のごとく闊歩していたように思う。。それが、日本の技術指導で、レベルアップしたそば粉がオーストラリアや中国から入ってくるようになって、状況が変わってきた。日本経済のデフレ化が進み、サラリーマンやOLの給料がガクンガクンと下がってきたことも背景としてはある。

立ち食いそばに競争原理が働き始め、そばばかりではなく、天ぷらも揚げ立て、汁もダシのきいた本格派の店が登場するようになってきた。東京・有楽町のガード下とか新橋、神田など東京のあちこちに「うまい立ち食いそば屋」ができ始めたのである。「小諸そば」「富士そば」「「ゆで太郎」「箱根そば」などチェーン店もどんどん美味しくなっていき、立ち食いソバ黄金時代の到来となっていった。

              一心たすけ① 

その間、彦作村長の給料ももちろん下がっていった。4年ほど前のある日、花のお江戸の中心地、東京八重洲から日本橋周辺をブラブラ」歩いていると、立ち食いそば屋が3軒ほど軒を並べている地帯に紛れ込んでしまった。据え膳ならぬ据え立ち食いそば屋。これは乗らなければならない。

どれにしようかと迷った末、入口の構えがちょっとしゃれていたという理由で、「蕎麦 一心たすけ」に入った。立ち食いそば屋らしからぬシックな佇まい。モダンジャズが流れていた。ちょっとしたカフェのような椅子も置いてあり、「ゆっくりと食べてってくださいね」というメッセージが伝わってくる。男性ばかりじゃなく女性客もいる。自販機で定番のかき揚げそばを買って、しばらく待つ。注文を受けてからそばを茹でるというのも誠実さを感じた。

当たりだった。立ち食いにおしゃれとジャズは似合わない。そんなシニカルな彦作村長の目線を見事に裏切ってくれた。まず天ぷらがすごい。揚げ立てのかき揚げ天、なす天、イカ天、春菊天などなどが「吉原の顔見世」のように並んでいる。追加でなす天を注文。汁は鰹とおそらくは昆布のダシがよく効いていて、まろやかだった。茹で立てのそばは江戸前の細麺。これも歯ごたえがよく、そのレベルの高さは、自称・立ち食いソバ評論家の彦作村長を唸らせるに十分だった。


           一心たすけ③ 


彦作村長が猛残暑の中、腰痛を抱えながら、久しぶりに花のお江戸の日本橋に足を延ばしたのは、「一心たすけ」が目的の一つだったからだ。相変わらずジャズが流れていた。好みの天ぷらを2個注文できる「天・天そば」(490円)を注文。天ぷらはイカ天となす天にした。
「あったかいのと冷たいの、どっちにしますか?」
「もちろん、あったかいほう」

後ろにはロン毛の美人OLが冷やしタヌキを食っていた。メイクもタヌキだった。様になっている。しかし、暑いときは暑いもの、この立ち食いの原則第1条のイを知らないとは・・・何という残念、何という損失。

「はい、天・天そばの方~」
待つこと5分ほど。石塚英彦みたいな店主の声が天使の声に聞こえた。

         一心たすけ① 

おお久しぶり、天・天そば! 今年はなすが豊作なのか、デカい。カラッとした衣の加減がちょうどいい。イカ天も揚げたてで、天ぷら屋のイカ天に引けを取らない出来具合。これだこれだ。まずは江戸前そばをズズズ。次に汁をズズズ。イカ天をかじってから、なす天へ。うめえ・・・。素材のよさが衣の甘みとともに、彦作村長を天国への階段へと導いていく。490円のシ・ア・ワ・セ。座って食べる立ち食いソバ。

「立ち食いそば」はかつてのウォークマンに並ぶ日本人が生み出した奇跡かもしれないぞ。彦作村長は食べ終えて出ていくタヌキ美人の後ろ姿を横目にしながら、そこに江戸の昔の「見返り美人」を重ねるのだった。



本日の大金言。

迷った時は立ち食いそば屋へ行け。そこには信じられないくらいの先人の知恵が埋まっている。


          
一心たすけ② 




猛残暑!うどんの街で「大根そば」に出くわす

 埼玉県の北の果て、振り向けば群馬・栃木というビミョーな位置にある加須市。ここをまともに「かぞし」と呼んでくれる人は2012年の9月11日現在でもまだ少ない。「かすし?」などとそのまま読む人の方が多い。「カスじゃなくて、カゾ!」まるでギャグみたいな問答がいまだに繰り広げられている。ここは一部では「うどんの街」として知られている。市内には約40軒のうどん屋があり、そのうち24軒が「加須手打ちうどん会」に所属している。

赤羽彦作村長は、そんなイマイチ知名度もグルメの評価も高くない加須に注目している。なにせここは近くに天然温泉「百観音温泉」や「ゆったり苑」などがあり、首都圏のうどん好き、源泉好きにとってはある意味で「極楽」ともいえるからだ。首都圏(中心地から電車で約1時間)に近い距離。そこに雑誌などでもかなり評価が高い源泉かけ流しの温泉。さらにはうどんとくれば、観光資源としてはかなりのものがある。

このうどんの街の中でも麺好きの評価が高いのが「子亀」(冷や汁がうまい)、「久下屋脩兵衛(くげやしゅうべい)」。特に脩兵衛さんは、土・日は首都圏からの客が絶えず、昼飯時は行列さえできたりするほど。猛烈な残暑のせいで、食欲減退気味の赤羽彦作村長と美熟女の存民2号がゼイゼイはあはあ、息も絶え絶えにやってきた。

          久下屋① 

「だ・い・こ・ん・そ・ば、早く出ておいで」
上州生まれの村民2号は、群馬・桐生市で食べた「大根そば」が忘れられない。確かにうまかった。細切りのソバに細切りの大根が織り込まれて、そのシャキッとした味わいは、猛暑を忘れさせてくれるほどだった。あれから1か月半たったというのに猛暑は収まる気配がない。

大根そばはもともと館林や佐野といった上州で育まれた郷土食である。江戸時代中期の料理本に載っているほど歴史が古い。大晦日に厄落としで食べたという歴史があるが、そば粉が貴重なときに大根で量をごまかした、という涙ぐましい説もある。

加須市はうどんの街だが、実はうまいそば屋もある。「久下屋脩兵衛」はその代表的な店。手打ちうどんと手打ちそばの二枚看板である。村民2号はここで「大根そば」を見つけてしまったのである。蕎麦のこだわりが半端ではない。手引きの石臼で玄そばから挽きたてる。そのそばも北海道、福井、山形、長野など国内から一番うまい時期の蕎麦を仕入れるという徹底ぶり。しかも二八蕎麦。うどんの街でこのこだわり。これが人気の秘密ともいえる。

雰囲気のある暖簾をくぐって、中に入る。広々とした店内はテーブル席と座敷がある。座敷好きの村民2号は、そこで、「大根そば」(850円)を注文。村長も今回は同じメニューにした。冷たいそば茶が実にうまい。猛暑に疲れた咽喉を癒してくれる。

         久下屋③ 

「大根そば」は桐生で食べたものと少々違っていた。何よりも大根の量と太さがこちらのほうが圧倒的である。大根の存在が大きいのである。桐生市郊外の「橘(たちばな)」は蕎麦が8、大根が2くらいだった。しかも、実に細く切ってあった。しかし、ここは蕎麦が7、大根が3か4くらいの割合ではないか。しかも、大根はオーバーに言うときしめんとような平切りに近い。薬味にウズラの卵がついているのも面白い。

「こんな大根そばもあるのね。シャキッとしているのは同じでも、食感が違う。こっちのほうが大根そばを食っているという感覚が強いわ。頼りになる大根そばって感じ」
「うむ。上州女に近いかもな。カカア天下大根そば」

          久下屋④ 

「桐生の方が繊細。桐生は絹の街でもあるし、文化的にも洗練されているのよ。まあ、絹の大根そばってところね」
「村長の好みは桐生の方かな。ここも確かにうまい。このつけ汁なんて鰹と昆布が効いていて、深い味わい。絶品と言ってもいい。ダシにも相当こだわっているのがわかるよ。つけ汁はこっちの方が上だね。でも、大根の量がちと多すぎる。ちょっとあきてくる」
「大根が多い方がビタミンCも多く、ジアスターゼも多い。夏に疲れた胃袋を癒してくれるのよ。酒ばっかり飲んでる村長にもいいのよ。身体のためにはこっちに軍配」

「そばを取るか、大根を取るか」
「大根に1ッ票! 大根役者の村長の座布団一枚取りッ」
「そばに1票! 大根足はもっと削りましょう」
あまりにくだらない議論というより口ゲンカに、周囲から冷やかな視線が突き刺さってくるのだった。


本日の大金言。

空前の残暑に大根そば。そういえば、今日はあのNYの9.11から11年目。世界は沈静化するどころかさらにキナ臭くなってきている。今夜は大根そばで厄を断つというのもいいかもしれない。

          久下屋②  

最近のイライラをふっ飛ばす十勝豚丼さま

 「何だか最近、イライラすること多くない?」
美熟女の村民2号が、イライラとは無縁なノー天気顔でささやいた。
「別にイ」
赤羽彦作村長は、沢尻エリカ調で答えた。
「うまい豚丼が食べたくなったのよ。もう察しが悪いのね」

ロンドン五輪が終わってからというものの、気持ちのスカッとする出来事が少なくなってしまった。そこに酷暑が重なり、竹島・尖閣問題が勃発。永田町は国民不在で三文芝居を続けている。3.11後の原発問題はさらに深刻度を増しているというのに、メディアは真相に迫る努力さえしていない。日本中のイライラがどんどん増している。図書館で借りてきた傑作シリーズ「映像の世紀」(NHK)を見るたびに、彦作村長は現代が第二次世界大戦前の状況に酷似してきているように思えてしまう。マッチ一本火事の元。人類が過去から学ぶことができるなんて、所詮、幻想に過ぎないのか。いやいやそうではあるまい・・・彦作村長はまるで似合わない高倉健顔で意味もなく首を二、三度振るのだった。

          十勝亭① 

時代が閉塞している。ウマズイめんくい村も閉塞しかかっている。
「そうか。では、とっておきの豚丼の店に行くとするか」
「そう来なくっちゃ」

愛馬、いや電車に乗ってやってきたのは、クレヨンしんちゃんの街・春日部にある十勝豚丼の専門店、その名も「十勝亭」。ここは、隣の「会津ラーメン」の店とともに、たまに訪れる店だった。
豚丼といえば、吉野家やすき家、松屋など牛丼チェーンがアメリカ産牛肉のBSE問題で大揺れした時に、代打のメニューとして「豚丼(豚めし)」を出したことがあった。この手の豚丼は牛丼と同じように煮込んだものが中心だった。

だが、十勝豚丼はまるで違う。B級グルメ業界では「帯広系豚丼」ともいうが、甘辛の醤油ダレで焼いた豚肉を丼にのせている。今からさかのぼること約80年前、昭和8年に帯広にある大衆食堂「ばんちょう」が初めてメニューに出したと言われている。それが、春日部にあるのである。さすがクレヨンしんちゃんの街だ。

昼飯どきに来たのは初めて。店に入ると、結構混んでいた。財布が軽いという事情もあり、村長と村民2号はランチメニューから「本ロース豚丼」(Mサイズ、690円)を注文した。トン汁とおしんこ付きというのもうれしい。テーブルとカウンター席。店主らしい中年男性が黙々と豚肉を焼いている。ガラスで仕切られているが、うまそうな匂いと煙がいかにも「十勝豚丼の店」という雰囲気を十分に醸し出している。


         十勝亭③ 

注文してから焼き始めるために、約20分ほど待たされた。村民2号のイライラが頂点に達する直前に「本ロース豚丼」がトン汁とおしんこを従えてやってきた。こんがり焼けたでっかい豚肉が数えてみると3枚。ドンブリからはみ出てしまいそうな勢いで魅惑的な「甘辛醤油寝巻き姿」を横たえている。黒コショウとグリーンピースが3個ほどのっている。その風情、そのボリューム、その圧巻。村民2号は息を飲まれ、彦作村長は唾を飲み込むのがやっとだった。

          十勝亭④ 

「やっと会えたのね。豚丼さま」
村民2号が上州女の本性を丸出しにしてガッついた。彦作村長もつられるように、十勝豚丼の世界に入っていった。甘辛醤油ダレが真っ白いご飯にほどよくしみいっている。主役の豚肉は厚さ2~3ミリほど。見た目よりは薄い。
「焼いたからよ。もともとは5ミリくらいあるわよ。柔らかくて、しかも肉汁がいい感じで出ている。いい豚肉を使っている証拠よ。ワタシの好み!」
トン汁は具がかなり多い。味は濃いめ。特筆したいのはおしんこ。大根漬け2切れだが、これが絶妙だった。豚丼とトン汁の重層な攻撃を見事にニュートラルにしてくれる。豚丼の濃厚なうまさに飽きかけておしんこをかじる。すると、口中に一瞬だが、さわやかな風がひと撫で。それが合図となってまた豚丼の世界に入っていく。その至福の繰り返し。食べ終わる頃には、「満足満足。余も姫も満足じゃ」という言葉が漏れてくるのだった。

豚肉にはビタミンB1が牛肉の約10倍も含まれ、疲労回復やイライラを静める効果がある。十勝亭の豚肉は指定業者(栃木県那須)から仕入れているという。このところのイライラ感を十勝豚丼で静める。村民2号の直感はときどきいい方向へ向かう。ウマズイめんくい村の危機も十勝豚丼によって救われたのかもしれない。あまり関係ないが、十勝花子はどうしているのか?



本日の大金言。

イライラ日本。十勝豚丼をもっと食べる運動をしたらどうだろう。日本人も韓国人も中国人も。「ASEAN」をやめて「BUTAAN]を提唱したい。


         十勝亭⑤ 

これはお菓子か?新発見、あずきでっちの謎

 これは和菓子界のツチノコか? ポンコツの愛車で東北を旅行中に、奇妙な小豆菓子を発見した。焼きそばで有名な秋田・横手市を山形方面に南下、美熟女の村民2号が小用ということで、「十文字道の駅」でひと休みと相成った。その合間を縫って、スイーツ好きの彦作村長は「創業百年 いっぷく処 いもや」でソフトクリームでもなめようと思ったが、メニューに妙なものがあるのを見つけた。
「あずきでっち 1個150円」と書かれている。あずきでっち? あずきという三文字に反応してしまう悲しいサガ。

                あづきでっち① 

見ると、明らかに小豆の生菓子ふう。何はともあれ、冷たい水と一緒にその5~6センチの長方形の正体不明スイーツらしきものを1個注文した。「いもや」の若き主人に尋ねると、「小豆ともち米を煮込んで、そこに砂糖を入れた郷土料理というかお菓子です。うまいですよ。まあ、あずきの羊羹みたいなもんです」という答えが返ってきた。

村民2号がトイレに行っている間に、こっそり食べてしまうつもりだった。セロファンの透明な包みを取ると、いい小豆ともち米のつぶつぶが「ふつつかですが、どうぞよろしく」とにっこり微笑んできた。そういえば、このあたりはあの伝説の美女・小野小町の出身地も近い。

小野小町にしては色黒で、美女というより深情けの印象。秋田女の深情け・・・もちもちした「あずきでっち」を口に運ぶ。いい小豆がほのかな甘さで口中に広がってくる。羊羹というよりウイロウに近い。小豆ともち米のつぶつぶ感がとてもいい。
「どう?ワタス、うまいべ。もっと食べて。うふふ」そんな誘惑のつぶやきが聞こえてくる。これは新発見!こんなお菓子が秋田にあったとは・・・。

            あづきでっち② 

それにしてもスイーツの世界は広い、改めてそう思う。まだ見知らぬ逸品がどこかに潜んでいるかもしれぬ。
「このでっちって、どういう意味?」
若主人に聞くと「小豆ともち米をでちでちと潰すからですだ。このあたりの郷土料理なんでがんす。もっともっと全国的に有名になるといいいんだけんど。こんなにうめえのに全国的には無名。でっち旋風をでっちでっち巻き起こして~ですよ」とか。

彦作村長は宿に帰ってから調べてみた。すると、滋賀県近江、福井県若狭、京都府、三重県伊賀にも「でっちようかん」なるものが存在していた。秋田と同じように、小豆ともち米で作ったもの。丁稚奉公(でっちぼうこう)で、郷土のお菓子を奉公先に持ってきたという説や羊羹としては煮詰めが足りず、「半人前」という意味から来たという説までいろいろあった。

この近畿圏から北前船などで東北・秋田に伝わった可能性もある。彦作村長としては、小野小町が京都の宮廷生活に嫌気をさして、故郷の秋田に帰った時に一緒に持って行った。そういう可能性もフィクションとして考えたい。

「あらっ、ずるい! ワタシに内緒でつまみ食いなんて。ワタシだって、つまみ食いしちゃうから」
トイレから帰っってきた村民2号が、プリプリしながら若主人に謎の視線を送った。あ、すき、どっち? 若主人がうろたえるのがわかった。


            あずきでっち⑥  


本日の大金言。

コロンブスのように新しいスイーツを新発見した気分だが、よく考えると、それはヘンだ。あずきでっちは昔からあずきでっちである。







脳天直撃、太田焼きそばの「黒い笑い」

 「村長、以前に真っ黒い焼きそばを食べたわよね。私に内緒で」
美熟女の村民2号が、猫足で忍び寄ってきてささやいた。嫌な予感がする。
「うむ、東村山焼きそばのことかな? イカスミを使った焼きそばでな。まあ、うまかったよ」
「もっとすごい、まっくろクロスケの焼きそば、知ってる?」
「愚かものめ、彦作をなんだと思っておる。太田焼きそばの・・・太田の・・・あそこだろ?」
「あそこって? どこよどこよ。具体的に言ってよ。ぼちぼち認知症かなあ」
「・・・・」

ポンコツ愛車が国道50号をひた走る。目指すは、群馬県太田市。ここはB級グルメ界では知られた街である。秋田県横手市、静岡県富士宮市と並んで、日本三大焼きそばの一つに数えられるB級焼きそばのメッカだ。運転する彦作村長の横で、村民2号が口笛を吹いている。どうやら「となりのトトロ」のようだが、音程がずれている。

「岩崎屋だったな。約80軒ある太田焼きそばの中でも、極めて異色な焼きそば。真っ黒い焼きそばで、歴史も50年以上あるんだろ?」
「町おこしで新しく作ったそんじょそこらの焼きそばとは年季が違うわよ。驚かないでよ。それと、久しぶりに焼きまんじゅうも食べたいなあ。ああ焼きまんじゅう、いけいけポンコツ~」
村民2号が上州出身であることを思い出して、彦作村長は脇の下に冷や汗が吹きだすのを覚えた。


                太田焼きそば① 


「岩崎屋」は太田市の郊外はずれにあった。市内からクルマで20分ほどかかった。太田駅からもかなり離れていて、車がないとまず来れない。焼きそばと孤立感、このアンバランスがいい。

数年前に移転してきたようで、店は民芸風で気さくなおばさん風でもある。店内は意外に広く、テーブルが4つ、座敷もあり、そこにもテーブルが5つほど。甘味屋でもあるため、かき氷やソフトクリーム、ところてん、みそおでんなどもメニューに載っていた。

「まずは焼きまんじゅう! それと焼きそばの中2人前!」
村民2号がうれしそうに半音ずれた声を上げる。一緒にいるのが恥ずかしい・・・。

メニューが面白い。焼きそばは中(1人前)315円、大(420円)、特大(525円)、トリプル(1260円)。「初めての方は中で様子を見てください」などと妙な注意書きが添えられている。
「様子を見るってどういうこと?」
「うふふふ、来て食べてみればわかるわよ」

甘ダレがこってりついた焼きまんじゅうを食べながら、村民2号が意味深に笑う。
ここの焼きまんじゅう(1人前4個170円)は、串に刺してなく、皿に載っている。村長は焼きまんじゅうが苦手だ。具のない皮だけのまんじゅうなんて、まんじゅうではない。そんなものがうまいわけがない。そんなものをうまいという上州人って、感覚がおかしい。この三段論法で、彦作村長は「上州人は宇宙人かもしれない」と思っていた。


         太田焼きそば⑤ 


し、しかし、うまい。いい色合いのまんじゅうがこんがり香ばしく、そこに自然な甘ダレがコッテリからみついて、実にうまいのである。村長の反応を眺めながら、村民2号が謎の笑みを浮かべる。

メーンの「焼きそば」がやってきた。まさか!真っ白い皿に、オーバーではなく真っ黒い焼きそばがギラギラとのっかっている。上にかかった青のりがすがすがしく見える。中なのにかなりのボリューム。「横手焼きそば」のような、汁らしき水分は見当たらない。具はキャベツだけ。それも黒の中に隠れていて、見た目ではわからない。何という焼きそばか!


            太田焼きそば③ 


真っ黒いソースの正体は、ウースターソースをベースにして、独自のタレを加えたものだそう。女主人に聞くと、その調合は「企業秘密だんべ」。イカスミは使っていないとか。

ひと口。もっちりとした食感。甘めのソースがねっとりと絡まって、鈍感なうまみを舌の上で繰り広げる。うまい。イケる。

「太田って、もともとは中島飛行機があった街なのよ。それが戦後は富士重工の街になって、東北とか遠くからいっぱい工員として人が入ってきた。その中に秋田の横手の人たちもいて、その人たちが焼きそばを広めた。まあ、ルーツはそんなところかな。この焼きそばみたいに真っ黒になって汗を流していた人たちの焼きそばなわけよ安くてボリュームがあって、汁もない。だから、長持ちする。お金もないのにぜいたく。村長も少しは太田焼きそばを見習ってほしいわ」
村民2号の毒矢がまたも飛んできた。デリカシーがないのに脂肪分だけいっぱいある。村民2号も見習ってほしいよ。口には出さずに心の中で思った。

食べているうちに、次第に単調な味が鼻についてきた。「初めての方は中で様子を見てください」という意味がようやくわかった。これは長距離ランナー向きの焼きそばなのだ。村民2号にはぴったりだが、短距離・息切れ型の村長には「小」で充分。


          太田焼きそば④ 


「具がもっとあれば、もっとうまくなるのになあ。豚肉なんて合うと思うけど」
「ここは創業51年の太田の老舗なのよ。わかっててもそれをしない、そこがいいのよ。時流になびかない。村長みたいに軽くないのよ」
村民2号の毒矢が彦作村長の後頭部に刺さった。次の瞬間、無口で真っ黒い焼きそばが「むふふ、むふふ」と笑い始めた。その黒い笑いが小石の波紋のように、「バカものめ、バカものめ」に変わって、どんどん広がっていくような気がするのだった。



本日の大金言。

人類にも白人、黄人、黒人があるように、焼きそばにも真っ黒い焼きそばがあってもいい。そのうち、白い焼きそばとか真っ赤な焼きそばが登場するかもしれない。



                  太田焼きそば⑦  

まさか?伊達政宗ずんだ餅説を追う

 スイーツ界で、ここ数年人気急上昇なのが「ずんだ」ではないか。語感でおわかりのとおり、宮城を中心に山形、福島など南東北の「んだんだ文化」(うなずくときに語尾にんだんだと発音する)が生んだ郷土スイーツだ。

ずんだ餅、ずんだおはぎ、ずんだ大福、ずんだクレープ、ずんだ最中、中にはずんだ鯛焼き、ずんだかき氷なんてものまで登場している。そのうち、冗談ではなくずんだ丼とかずんだスパゲティなんてのも登場するかもしれない。

そのずんだ文化の中で最大のスターが「ずんだ餅」である。ずんだとは枝豆をすりつぶし、そこに砂糖と少々の塩を加えてブレンドした枝豆の餡。つまり、あんこが小豆なのに対して、ずんだは枝豆という豆違いである。ちょっと前までは首都圏のスーパーや街中に「ずんだ餅」が並んでいる光景は見られなかった。それが、宮城県仙台市に本店がある「ずんだ茶寮」によって、始めは空港、主要駅などから徐々に首都圏に広がっていった。生もの故にせいぜい一日、二日しか持たないものを冷凍技術と独自の製法によって一年中楽しめるようにした。


          ずんだ茶寮・羽生 


このずんだ餅が実にうまい。かつてはずんだ餅は枝豆が収穫される夏限定のスイーツだった。昔からずんだファンだった赤羽彦作村長はずんだが食べたくなると、「ずんだずんだずんだ」と口ずさみながら、仙台にまで足を運んだものだった。それがいまでは、この人気。

彦作村長は先日の「みちのくの旅」の際にずんだ餅を食いそびれてしまった。で、東北道羽生パーキングで、ようやくゲットしたというわけである。6個入り840円を買い込み、ウマズイめんくい村に持ち帰り、久しぶりの賞味となった。常温で解凍してから、皿に盛る。きれいな枝豆のつぶつぶが香り高く鎮座ましましている。村長も美熟女の村民2号もバター犬状態。


       ずんだ餅⑥ 


「これこれ。まずはひと口」
「ちょっと待ってよ。私が先よ。村長、手くらい洗ってきなさいよ」
ずんだの量がほどよい。つき立ての餅を瞬間冷凍したというだけあって、最初は冷たいが、次第に口中でずんだの何とも言えないほどよい甘みが、柔らかくなった餅と絡み合い、「さわやかな畑の実り」がズンダズンダと囁きながら香り立ってくる。

「正直に言うと、私、初めてずんだのことを聞いたとき、枝豆の甘い餅なんて気色ワル~って思ってた。でも、今は違う。こんなにうまいなんて」
「ようやくわかったか、このうつけ者め」
「でも村長、ずんだってどういう意味なの?」
「うむ。豆をつぶす。東北の田舎では豆を打ってつぶした。で、豆打、ずだ。それが訛(なま)ってずんだとなったという説が有力だが、別の説もある。ムフフ、聞きたいか?」
「話したいくせに。ああ腹立つ。いいわよ、自分で調べるから」

「ま、まあ。戦国の英雄・伊達政宗ずんだ説というものなんだよ。美食家で、自分でも料理を作るのが好きだった政宗が作ったという説さ。陣中で陣太刀(じんだち)を使って枝豆をくだいて、それを餅にからめて食べたのが始まりというもの。じんだちが訛ってずんだになったという説なんだよ」

「へえー、そっちの方が面白そう。伊達政宗って最後は天下を取れなかったのよね。秀吉、家康に取り込まれて、最後は伊達藩62万石で終わった。戦国の英雄も最後はサラリーマン仙台支社長で終わってしまったというわけね」

「うむ。その恨みと成し遂げれなかった天下への思いが、400年という時を経て、ずんだ餅となって、全国制覇へ乗り出したと考えられないこともない」
「ずんだ餅=政宗説。ロマンがあるわ。村長とは器が違いすぎるわ。天下盗りより私の財布盗りでしょ」
村民2号の毒矢がまた飛んできた。ここは逃げるが勝ち・・・。


         ずんだ餅④ 


本日の大金言。

ずんだ餅の未来は明るい。枝豆の栄養分はタンパク質、カロチン、ビタミンC、食物繊維など。今やジャンクフード大国となってしまったキレやすい日本の若者を、ずんだ様が救ってくれるかもしれない。

こんなうどんがあったとは・・・無腰の伊勢うどんの衝撃

 「徹底してコシのないミョーなうどん」の存在を知ったのは、人気コラムニスト・石原壮一郎さんによってだった。赤羽彦作村長がエンターテインメント新聞社時代、石原さんに連載コラムをお願いして、それが7~8年続いた。「会社図鑑」や「大人力検定」など、ベストセラーも数多く出している。目の付け所、柔らかな筆力、換骨奪胎の才能、石原壮一郎さんは泉麻人につづくコラムニストとして、彦作村長の中では爆弾印の存在だった。石原さんは三重県松坂市出身。伊勢うどんのお膝元である。

その石原さんが「伊勢うどん友の会」なるものを立ち上げ、伊勢うどんの普及に努める、と宣言した。うーむ。彦作村長はその着眼点に唸った。おいしいうどんは太麺の讃岐うどんにしても、水沢うどんにしても、細麺の稲庭うどんにしても、コシがあるということが絶対条件になっている。「コシのないうどんなんて論外。うまいわけがない」これが、一般的な価値観である。彦作村長もその延長線上にいた。

伊勢うどんのルーツは何と江戸時代以前。伊勢周辺の農民が味噌のたまりでうどんを食べていたという。彦作村長はまず埼玉で伊勢うどんが食える店を探した。ところが、ない。スーパーや自然食品店を探しても置いている店がない。気配すらない。うどん界における「伊勢うどんの立場」をしみじみ感じた。ま、いつか出会うだろう、そのとき味わってみよう。正直に言うと、どうしてもという期待感もなかった。

         伊勢うどん・松屋 

それが、出会ってしまったのである。江戸に出たついでに、浅草・「松屋」のデパ地下を探索中に、「伊勢うどん」の文字が遠慮がちに光ったのである。三重県四日市市にある「いとめん本店」の「手打ち式 伊勢うどん」(2人前450円)を購入。ウマズイめんくい村で試食と相成った。作るのは彦作村長。食べるのは美熟女の村民2号。

たっぷりのお湯に極太のうどんを入れ約3分ほどゆでる。注意書きを読むと「麵が浮き上がるまで、箸を入れないでください」と書いてある。麵が切れてしまう可能性がある、というのだ。見かけは讃岐うどんのように極太なのに、まったくコシがない。正体の見えない伊勢うどんだが、この珍しい注意書きで、「なるほど」と思う。

           伊勢うどん④ 

ちょうどいいころ具合を見計らって、お湯を切って、用意したドンブリに入れる。釜揚げうどんのようだ。そこに刻んでおいたネギを乗せ、伊勢うどん専用の真っ黒いタレを薄めずにそのままドバっと入れる。タレは溜まり醤油にカツオ節やいりこ、砂糖などを加えた独特のもの。

「面白いうどんね。具もない、汁もない。真っ黒に近いタレがからまってるだけ。でも、存在感がある。うまそうには見えないけど、まずはひと口」
村民2号がこげ茶色になったぶっというどんを口に運んだ。4、5秒の沈黙。
「うまい! 何これ。コシが全然ないのにもちもちしてる。初めての食感! タレもダシがよく効いていて、甘めのいい味。これ、ワタシの好み」

         伊勢うどん② 

つられて彦作村長も、タレにからめた極太麵をひと口。何という食感か。コシという概念がまったくない。というより、何やら、柔らかな入口に足を踏み入れた途端、右も左も、天上も天下もない、ふわふわとした曼荼羅の世界に入ってしまったような錯覚に陥った。この奥深さは何だ? ここはどこ、私はだれ? コシといううどん界の常識さえもここでは無価値だ。

「これはうどんの味覚を根底から揺るがすうどんかもなあ。コシなんかなくてもいいんだ。とんがったり粋がったりするばかりがうどんじゃないよ。もそっともそっと、ゆるりと行こうじゃないか。裃も捨てて、肩書きも捨てて、信念だって、捨ててもいいんだよ。裏返すとそれが伊勢うどんの信念でもあるんだけどさあ。そうつぶやいているみたいだよ」
内外の状況で、このところ声高になってきた感のある彦作村長も、しきりに感心している。

「ウマズイめんくい村も伊勢うどんに学ばなきゃね。もっとも村長はヘルニアでコシがなさすぎるけど」
久しぶりに、コシが強すぎる村民2号の毒矢が飛んできた。それをサッとかわすした瞬間、彦作村長のコシがぎっくり。コシがないというより、悲しいかなコシが切れてしまったのだった。



本日の大金言。

辛くないカレー、具のないみそ汁、甘くないシュークリームもありかも。世の中の常識は常識に過ぎない。そうした固定観念と無縁なところに位置する伊勢うどん。伊勢うどんにカシワ手したくなった。


         伊勢うどん① 


冷やし刀削麺に見た中国の恐るべき実力

あまりの 残暑で「ウマズイめんくい村」が住民ごと干し上がってしまうかと思われたある日、「家出娘」のキオから手紙が届いた。キオは村長や村民2号の心配をよそに、しっかりと社会人になっていた。


 拝啓 

村長と村民2号におかれては相も変わらずおバカな日々をお過ごしかと存じます。連絡もせず、これまでの非礼の数々、お詫びがてらに、おいしい西安料理をごちそういたします。初めてのボーナスの残りで、ささやかに恩返ししたいと存じます。

                                         敬具

                                         キオより


村民2号が目をウルウルさせている。彦作村長はいつもの作務衣姿から、スーツに着替えている。宮仕えを終えて以来、久しぶりの正装だった。コソ泥みたいなほお被りも取っている。キオに指定されたのは、西新宿にある「シーアン 新宿西口店」。雑居ビルの中にあったが、午後1時を過ぎているのに、人気店なのか混んでいた。


          刀削麺シーアン③ 


ここは刀削麺(とうしょうめん)がとっても旨いよ。うちの会長はかなりのグルメで、ここはお気に入りの店。スゴイのは中国の特級麺点師がいること。これは国家資格で中国でもこの資格を持っている人は少ないのよ。他の刀削麺の店とはレベルが違う。とにかく食べてみて」
久しく会わないうちに、見違えるように「一人前」になっていたキオに、毒舌の村民2号もただニコニコしているだけ。彦作村長もなぜかかしこまっている。

刀削麺は水で練った小麦粉の生地を、くの字に曲がった独特の包丁で沸騰した湯に削り落とす。かなりの熟練を要するワザで、元の時代に山西省あたりで発祥したと言われている。麵の太さは様々で、それが独特の食感を生み出す。

残暑が厳しいのと冷やし好きの彦作村長は、夏季限定メニューから「棒棒鶏のせ冷やし刀削麺」(880円)を注文。村民2号とキオは「あっさりスープの野菜刀削麺」(700円)を注文した。


          刀削麺シーアン① 


「体にいいのよ。添加物も使ってないし薄味の野菜スープは絶品よ。ここの温麵は食べてるだけできれいになってく気がするくらい。楊貴妃になれるかも(笑い)」
キオの解説に、村民2号の目がキラキラしだした。
「ワタシ、これ以上きれいになったらどうしよう?」
「ワシもきれいになるのかなあ」
「だいじょうぶよ。お互いにもう相手がいないから」

金属の器に入った「棒棒鶏のせ冷やし刀削麺」がやってきた。きゅうり、トマト、半分に切った茹で卵、クラゲ、香菜などがいい布陣で乗っかっている。その中心には棒棒鶏が「うふふふ」と笑みを浮かべている。ごま味噌だれのいい匂いが鼻腔をくすぐる。箸をいれると、半分透き通った見事な刀削麺が「ニーハオ」と出てきた。うどんのような太さもあれば、包丁で削った麵なので、切り口がワンタン状になっている麵もある。このバランスがいい。ごま味噌だれをからめて口に運ぶと、つるりとした感触ともっちりしたコシ、そこに小麦粉のいい香りが合いの手を入れ、絶妙の歯ごたえとともに何とも表現のしようがない天上の至福を現出させてくれるようだ。彦作村長は広東料理が好みだが、西安も悪くない、と思った。


         刀削麺シーアン② 


棒棒鶏は柔らかくてコクもある。すべての材料が全体の調和の中で役割を果たしている。
西安は四川にも近く、その影響も受けているのか、辛みと香辛料も四川を感じさせる。人によってはタイ料理を思い起こす。明時代の前までは西安は長安と呼ばれ、様々な王朝の首都として大いに栄えた。遣隋使や遣唐使、さらにはマルコ・ポーロもこの地で暮らしていた。ここから、周辺地域に味の影響を与えていった可能性もある。日本のソバやうどんもこのあたりがルーツだ、という説も根強くある。

村民2号とキオは「野菜刀削麺」を黙々と食べている。彦作村長がひと口所望すると、しぶしぶ応じてくれた。
あっさりとした薄味。身体にじんわりと染み入ってくるようだ。マッシュルーム、アスパラガス、きくらげ、ニンジン、キャベツ、厚揚げといった女性好みの具がつるりとコシのある刀削麺を引きたてている。品のいい味わい。

「ああ満足、満足。エアコンが効きすぎているのが気になったがね」
「村長は寒がりだから。財布の中も寒いけど」
満足した村民2号が、本性を現し始めた。村長はあわてて、キオにうながした。
キオ、今日はありがとう。まさかキオにごちそうになるなんて」
「一度くらいはね。あれ、財布が・・・。持ってくるの忘れちゃったみたい。村長、ごめん。代わりに払っといて」
厳しい夏はまだまだ続きそうだ。



本日の大金言。

尖閣諸島問題があっても、日本と中国の庶民レベルの交流を絶やしてはいけない。麺の交流の歴史は長い。頭より胃袋の直感。細く長い交流こそ、だと思う。



         刀削麺シーアン④ 

田園の中にポツンと一軒、孤高のどら焼き

 埼玉・春日部と言えば、江戸時代は日光街道の宿場町として栄え、今では「KOダイナマイト」WBA世界スーパーフェザー級王者・内山高志の出身地として知られている。クレヨンしんちゃんの作者・臼井儀人が住んでいた街でもある。あまり関係ないが、高倉健主演の「あなたへ」で脇役として熱演していSMAP・草彅剛の出身地でもある。

この春日部の郊外に「変わった和菓子屋がある。売り切れ御免で、知ってる人はまだ少ない。彦作村長、最近はネタ不足だろう。行ってみたらどうじゃな」と教えてくれたのは文吾ジイだった。

いつものことだが、突然ふらりとやってきて、勝手に家に上がり込み、「ああ、暑い、ビールでも出してくれ」ふんどし姿で、ウチワをパタパタさせて、美熟女の村民2号が出す生ビールをうまそうに飲みこんでから、「つまみがない」「冷凍の枝豆でない枝豆はないか」などと大騒ぎしながら2時間ほど居座った後、帰り際にぼそっと言ったのだった。
どら焼きが特に絶品で、あのうさぎやに負けないうまさじゃよ。このワシが言うんだから、間違いない」

彦作村長は和菓子、特にあんこマニア。豆大福、きんつば、鹿の子・・・うまいと聞けば、東奔西走、地獄の果てまで行きかねない。正直に言うと、どら焼きは村長の中では豆大福ほどではない。とはいえ、日本橋「うさぎや」、浅草「亀中」、門前仲町「梅花亭」など、最高峰といわれれる老舗の味は堪能している。その「うさぎや」に負けないとは・・・。


          春日部・細井② 


「ワシが言うんだから間違いない、というところが返って心配だけど、義を見てせざるは勇なきなり、ともいう。行ってみるか」
「村長、意味が違うでしょ。義じゃなくて欲でしょ。単に食い意地が張ってるだけのくせに
ぶつぶつ言う村民2号を振り切って、ポンコツ愛車で国道新4号線を南下する。

春日部市上金崎。田園風景が広がっている。田んぼの中の一軒家。まさかここが・・・と思うくらいの古い民家。看板もないので通り過ぎそうになる。実際、通り過ぎてしまった。幟(のぼり)が2本立っているが、なぜか裏返し。「どら焼き」「営業中」と書かれているが、よく見ないとわからない。

「細井」と書かれた表札を入ると、入口には、白いノレンが下がっている。そのあまりのシンプルさ。白木の引き戸を滑らせて中に入ると、これもまた白を基調にした空間。飾りつけは凧だけで、あとは何もない。それでいて、隅々まで神経が行き届いている。何やら「利休」の茶室が隣にあるような、ワビサビの佇まい。まさか予算がなかった、とは思えない。


          春日部・細井① 


「ごめんください」
声を上げると、奥から30代くらいの若い和菓子職人が出てきた。
「ご用意してあります。遠いところをありがとうございます」
腰が低く、応対がていねい。メニューはどら焼きの他、水ようかん、酒まんじゅう、鮎菓子など数点のみ。
売り切れ御免で、午後になると、すべてなくなる日もあるという。

どら焼き5個の包みを手にする。賞味期限はあの「うさぎや」と同じ2日間。こんな田んぼのど真ん中で、これだけの雰囲気を持った和菓子屋があるとは・・・。彦作村長は新聞記者上がりの好奇心に駆られて、しばし雑談することにした。
「和菓子の修業は東京の阿佐ヶ谷でしました。ええ、今36歳です。30の時にここで店を始めたんですよ。自宅を改造したんです。少しずつお客さんが増えてありがたいです。すべて手作業ですので、一日に作れる数が少ない。売れ切れになってしまうことも多くて申し訳なく思ってます。餡は北海道産の小豆を使ってます」


         春日部・細井③ 


36歳にして、この孤高。そのどら焼き(1個140円)の味わいは「うさぎや」に近い繊細で品のある絶妙さ。うさぎやは1個200円。彦作村長は浅草の「亀十」(1個315円)より日本橋「うさぎや」のどら焼きが好みだが、はちみつ入り皮のふわふわ感といい、いい小豆を熟練のワザで炊いた餡(あん)のさわやかでふくよかな甘さといい、文句のつけようがない。

「うさぎや」よりもひと回り小ぶりだが、皮と餡(あん)1+1が見事に3になっている。さらに驚くべきは時間をおけば置くほど、皮がしっとりとしてきて餡とのハーモニーが増してきたこと。オーバーではなく、味覚の粘膜に愛をささやきかけてきた。翌日、残りの2個を食べてその不思議に脱帽することとなった。この価格にしてこの味、「うさぎや」に負けていないと言わざるを得ない。

クルマでしか行けない田園風景の中(もちろん歩こうと思えば行けないことはないが)の「小さなありえない世界」。その禅の世界に通じるようなあまりにシンプルな佇まい。衒い(てらい)も驕り(おごり)も感じさせない。


          春日部・細井④ 


彦作村長は、自分のバカさ加減を棚に上げて、なぜか「日本の三十代もまだまだ捨てたもんじゃない」と思った。テレビでは連日、永田町のドタバタ喜劇を伝えている。いつまで続くのか、笑えない喜劇・・・。永田町の毒まんじゅうより野中の一軒家のどら焼き。面の皮の厚い政治屋より、皮までうまい和菓子づくり職人の未来に幸あれ。



本日の大金言。

メディアに取り上げられるものを疑え。最後は自分の目と足と直感を信じるしかない。田園の中のどら焼きにこそ真実は宿っている。

          



              春日部・細井⑥ 
             
プロフィール

赤羽彦作村長

Author:赤羽彦作村長
あの!エンターテインメント新聞で記者、デスク、編集プロデューサーとして活躍。思うところあって、原発で揺れるヤポネシアを辺境から見つめ直すべく、イカダを組み、オンボロ旗を揚げ、組織を脱出。荒海に乗り出す。「B級うまいものの宝島」を目指して、櫂をガタガタと漕ぎ出すことにした。一か八か泥船となるか、間違って宝船となるか?
特に麺類と和菓子にはうるさい。「舌の上から斜めに世界を見る」などとほざいている。はっきり言ってバカの3乗である。年齢不詳。乙女座、AB型。村民を募集している。

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