人形町で「京の黒い中華そば」

 東京・兜町の定例編集会議の合間を縫って、午後2時過ぎ、人形町のラーメン店へと足を運んだ。ただのラーメン屋ではない。あの京都の老舗中華そば屋の暖簾分けの店である。

独特の真っ黒いスープと茶色い麺が特徴で、京都では「第一旭」や「ますたに」よりも古い。創業が昭和13年(1938年)。いわば京都ラーメンの源流とも言える存在。その名も「新福菜館(しんぷくさいかん)」。黒い焼きめし(チャーハンとは言わない)も名物で、これをセットで食べるのが通だと言われている。
         新福菜館  
      あの京都の名店が・・・

去年、1月末に東京・麻布十番に進出、それが成功して、8月には秋葉原、そして10月に人形町にも暖簾を下げた。甘酒横丁「玉ひで」のちょうど向かい側。村長は「ますたに」など京都ラーメンの脂のこってり感にハマった時期もある。和食と違って、京都のラーメンは淡泊ではない。豚バラチャーシューが薄切りで、その数が多いことなども特徴。九条ネギの彩りも京都ならでは、だと思う。
         新福菜館2  
         中も京風?

京都町家風の店構えで、引き戸をガラガラと滑らせて中に入ると、意外に狭い。カウンター席が5席ほど。2階もあるようだが、見えない。左手が厨房になっていて、そこに中年の店主と若い男性スタッフがいた。券売機で「お得なセットメニュー 中華そば(並)+焼きめし(小) 950円」を押した。中華そば(並)は単品だと700円、焼きめし(小)は400円。150円ほど安くなる計算。
         新福菜館② 
         安いか高いか

注文を受けてから作っているようで、その後ろ姿に哀愁がある。待ち時間は10分ほど。何とも言えないいい匂いがドンブリから立ち上がっている。噂に違わぬ真っ黒いスープがキラキラと脂を浮かせて湯気を立てていた。大量の九条ネギの下には湯がいたもやし、さらには薄切りのチャーシューが4~5枚ほど見えた。その横には黒光りした焼きめし。ポエム。
         新福菜館③ 
         じゃーん、お出まし
         新福菜館⑤ 
         黒い中華そば

まずはスープ。これが驚くほどまろやかな味わいで、見た目の濃さとのギャップに驚く。鶏ガラと豚ガラ、それだけではない。何か出汁のようなものも潜んでいると思う。ほんのりと甘みさえ感じる。
         新福菜館⑦ 
         これこれ
         新福菜館⑧ 
         麺も独特
         新福菜館⑨ 
         チャーシュー
         新福菜館10 
         京都と同じ

麺がまた独特で、黄土色の中太ストレート麵。モチモチと紙一重のごわごわした食感で、これが悪くない。スープがよく絡む。初代は屋台から始めたそうで、その時の作り方をほとんど変えていないそう。

「この黒は何ですかねえ。まさかイカ墨とか」
企業秘密です、という答えが返ってくるのを承知で聞いてみる。

「いえ、中華醤油ですよ。それ以上は・・・」
と微妙な答えが返ってきた。中華醤油はいろいろあり、「老抽(ラオチョウ)」などはたまり醤油にキャラメルなどを加え、甘くしている。それかもしれないが、確証はない。創業77年の味の秘密は謎のままにしておいた方がいいのかもしれない。
         新福菜館⑥ 
         秀逸な焼きめし

黒い焼きめしは具は卵と九条ネギだけで、肉の姿は見えない。だが、こってり感と一粒一粒のパラパラ感が一つのカオスのように漲(みなぎ)っていた。チャーハン好きの村長もこの旨さには素直に脱帽したくなった。あまり暖簾を広げてほしくないが、東京で京都の独特の味を楽しめるのは悪いことではない・・・としておこう。

本日の大金言。

京都のラーメン文化も屋台の中国人から始まっている。喜多方ラーメンや佐野ラーメンも同じ。それが日本の地で花開いている。政治よりも食文化。そこから日本と中国を見るのも案外面白い。



                 新福菜館11 

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真田の陰で「いもフライと串カツ」

 ゴッドマザーのお見舞いの帰りに、栃木・佐野に立ち寄ることにした。佐野はラーメンの町として有名だが、もう一つ売出し中の名物がある。いもフライ、である。

市内には27もの店舗が「いもフライの会」を作って、ラーメン天下に一旗揚げようとしている。折りしもNHK大河ドラマ「真田丸」の舞台に佐野が登場しようとしている。関ヶ原の合戦に先立って、真田が徳川方に付くか、豊臣方に付くか重大な岐路に立たされる。その舞台が佐野市犬伏(いぬぶし)で、「真田父子犬伏の別れ」としてこれから登場する。
         佐野薬師堂1 
    真田父子別れの舞台〈薬師堂)

そのPRもかねてか、「鶴瓶の家族に乾杯」で、真田昌幸役の草刈正雄と鶴瓶が佐野市を散策している。「真田丸」を毎回欠かさず見ている村民2号がきりにでもなったかのように、「その舞台になった犬伏の『薬師堂』に行かなくっちゃ」と言い出し、足を運んだというわけである。

だが、村長の狙いは美味いもの探し。今回の狙いはB級の星「いもフライ」。「薬師堂」で参拝した後に、周囲をぐるぐる散策することにした。すると、かような場所にという人気のない場所に真っ赤な幟(のぼり)が見えた。六文銭ではなくいもフライの文字。ラッキー、これって犬伏の出会い?
         大島① 
         老舗のいもフライ

それが「大しま」だった。バラック建てのような質素な店構えが気に入った。いもフライの店はこうでなくっちゃ、という哲学がにじみ出ていた。白い暖簾をくぐると、フライを揚げるいい匂いが鼻先をくすぐった。テイクアウト中心のようだが、小さなテーブルが一つ。
         大島③ 
         女将のすご腕

厨房がオープンで、そこにおばちゃん店主ともう一人のおばはんが揚げと仕込みを分担していた。
「ここで食べてもいいの?」
「どうぞどうぞ」
あけっぴろげの雰囲気が心地よい。客がどんどんやって来た。
         大島11 
         メニューがいい

「いもフライ」(60円)二つと、「串カツ」(100円)、それにこの店のオリジナル「梅串カツ」(100円)を頼むことにした。他に「焼きそば」(200円)などもある。ビールが置いていないのがやや寂しいが、「飲み屋じゃないんだから仕方ないでしょ」(村民2号)で、議論にならず。この安さがマル。
         大島⑤ 
       串カツ(右)と梅串カツ(左)
         大島⑦ 
         B級の絶品串カツ
          大島⑥ 
         タマネギと鶏肉

いい匂いとともに「串カツ」と「梅串カツ」が小皿に盛られてやってきた。「串カツ」の方がひと回り大きく、地元の名物ソース「ミツハソース」中濃がたっぷりとかかっていた。これがフルーツ系の濃厚な甘さで、実に旨い。鶏肉と玉ネギが交互に挟んであり、コロモのサクサクカリカリ感がたまらない。油はラードではなく植物油を使用している。村長にとってはこれが一番の収穫で、梅串カツといもフライはフツーに旨い。B級の素朴な美味さにしばしの間、時を忘れる。
         大島1 
         こちらは梅串カツ

「私は梅串カツが気に入ったわ。梅干しがコロモに入っていて、そのまま食べれる。まあアイデアものね」
「いもフライはソースとコロモがやっぱりいいね。ま、こんなもんだろうなという素朴な旨さ。ジャガイモ自体は普通かな」
         大島⑧ 
         じゃーん、いもフライ
         大島⑨ 
         ジャガイモどす

「この店は創業20年らしいわ。佐野では一番古いいもフライ屋だって。さっき店主に聞いたから間違いないわ」
「いもフライ自体がようやく最近認知され出したと思うよ。B級グルメの戦国時代に旗を上げた。真田父子も泉下でビックリしているんじゃないかな。関ヶ原から416年後の犬伏のノボリ・・・伊勢志摩サミットより佐野いもフライ。これぞ平和のシンボルだよ」
「父子の別れよりいもフライとの出会いの方がいいに決まっているわ」
「サノヨイヨイってかあ?」
「・・・・・・」

本日の大金言。

戦国の世の過酷さを思う。同時に今の日本に戦国武将がいたら・・・とも考えてみる。毛利(長州)よりも徳川の功績もまた。



                大島12 


若冲も食べた?にしん棒煮の味

 待ち時間が最大320分(5時間20分!)というアンビリーバボーな「生誕300年記念 若冲展」(東京都立美術館)が本日で終わる。京都にお住いのグルメ先生おすすめの絵画展だったが、村長はあまりの加熱ぶりに恐れをなして、結局行かずじまいだった。

友人と3人で押しかけた村民2号も炎天下の大行列に方向転換、同じ上野公園の東京国立博物館で開催されていた「黒田清輝展」(こちらも混み合っていたそう)を楽しんできた。伊藤若冲の最近の人気ぶりには驚かされる。

NHKが二度にわたって特別番組を組んで放送したことが、ブームの過熱に油を注いだと思う。ここからが本日の本題。

ちょうどひと月前、4月24日(日)に放送された「若冲 天才絵師の謎に迫る」を岩手・一関の安ホテルで見ていた村長はおったまげた。NHKの取材班がこれまで未公開だった京都・信行寺の天井画に入っていたからである。伊藤若冲最晩年の傑作とも言われる作品で、テレビで公開されるのは初めてのこと。

信行寺は浄土宗の古刹で、京都にお住いのグルメ先生の菩提寺でもある。何を隠そう、約3年ほど前に村長はグルメ先生のご案内でこの天井画をこっそり見ていたのである。「この若冲の天井画はほとんど知られていまへん。メディアも知らない。面白いでっしゃろ」グルメ先生の慧眼にはしばしば驚かされるが、今回は輪をかけておったまげた。
         松葉① 
         あの松葉の「鰊棒煮」

そのグルメ先生おすすめの一品が京都「松葉」の「鰊棒煮(にしんぼうに)」(2本入り税込み864円)。「松葉」は創業が文久元年(1861年)で、南座隣に本店を構えている。にしんそばがあまりに有名だが、にしん棒煮をそばに初めて乗っけたのは二代目で、明治になってからのことらしい。

にしん棒煮は山国でもあった京都の伝統料理で、北海道から北前船で運ばれてきた身欠きにしんを、時間をかけて米のとぎ汁に浸し、さらに灰汁抜きをし、日本酒、醤油、砂糖、みりんなどでじっくりと炊いたもの。手間暇がかかり、京都の食文化の粋の一つ。
         松葉② 
         京都食文化の粋

それが目の前にある。若冲が生きていた時代(1716~1800年)ににしんそばは誕生していなかったが、にしんの棒煮はあったかもしれない。そこで村長は、そばではなく、ご飯の上に乗っけることにした。いわばにしん丼、である。
         松葉③ 
         そばではなく黒米で
         松葉⑥ 
       このテカリの凄味
         松葉⑤ 
         裏側の黒さ

ご飯は黒米を使うことにした。これが想像以上に旨かった。にしんの棒煮は多分、そばに乗せた方が味わいが柔らかくなり、京都の食文化に合うとも思うが、レンジで温めることによって、柔らかさが増す。味がかなりこってりとしていて甘い。ガサッとした崩れ方がいい歯触りになる。小骨など気にならない。にしんの風味がじわりじわりと口中に広がってくる。
         松葉⑦ 
         にしん丼にする
         松葉⑧ 
         美味の予感
         松葉⑨ 
       極楽への入り口?

黒米と一緒にかっ込むと、実に旨い。京都食文化の歴史と凄味が柔らかな津波となって味覚中枢に押し寄せてくる。伊藤若冲がもしこれを食べていたとすると、不思議な気分になる。そう考えた方が面白い。

「そんなアホな。若冲はんは青物問屋の倅で、金持ちやったから、黒米ではなく白米やった思うで。第一、会津の足軽の末が松葉のにしんの棒煮を食べること自体がありえんこっちゃ。不謹慎いうこっちゃで。ひっひっひ」
西の方から妙な声が聞こえてきた。

本日の大金言。

「にしんそば」は明治15年(1882年)、松葉二代目が考案したもので、関東の人間にとっては驚きのそばだった。にしんの棒煮自体は関東以北でも食べられていたようだが、それをそばに乗っけるのは、当時はミスマッチの極みだったようだ。伊藤若冲が評価されたのもごく近年のことで、若冲自体「私の絵は千年後に理解される」と半ばあきらめていた節がある。にしんの棒煮と若冲のこじつけ二題話、お終い。


                松葉10

池袋の「和風フレンチトースト」

 一週間ほど時計をさかのぼるが、天空先生と酔拳官長、それに赤門翁と東京・練馬で待ち合わせて、翻訳家のM才女行きつけの蕎麦屋「176」で会食した。

ビールを飲み、はも天をつつきながら、盛り蕎麦をたぐる。ぜい沢なひと時だった。M才女は思ったよりも元気で、その後2時間ほど歓談して、三々五々別れた。5つの人生がそれぞれの人生へとばらけていく。5色のビー玉がばらけるようなもの? 一寸先は誰にもわからない。感慨深い思いが沸き起こってくる。
         三原堂 
         池袋三原堂

その一つ、くすんだ色のビー玉村長が向かった先は池袋西口の「三原堂」。人形町「三原堂本店」(明治10年創業)から、昭和12(1937年)年に暖簾分け。一階がどら焼きなどの和菓子売り場で、2階が喫茶室となっている。村長は人形町の本店にはたまに行っていたが、池袋の方は初めて。
         三原堂② 
         パラダイス?
         三原堂① 
        これこれ

狙いは喫茶室の「和風フレンチトースト」。コーヒー付きで870円(税込み)。老舗和菓子屋のフレンチトーストというのは珍しい。以前から一度食べてみたかったもの。

「少しお時間を頂きますが」と女性スタッフ。注文を受けてから作っているようで、待ち時間はかなり長く、到着まで20分はかかった。コーヒーではなく、紅茶にしてもらった。
         三原堂1 
         20分待ち

「フレンチトースト」は想像以上に本格的なものだった。牛乳と卵液にしっかりと漬けられた食パンが4切れ。フライパンでこんがりと焼かれていて、その上からパウダーシュガーがかかっていた。見事なあんことバニラアイスが添えられていて、思わず「こりゃ絶景だわ」と叫びたくなるほど。さらに黒蜜がたっぷり入った容器が。ポエム、ポエム。
         三原堂⑤ 
         ポエムだっぺ
         三原堂11 
         本格的だった

フレンチトーストは噛んだ瞬間、バターの風味が立ち上がり、それだけでも美味い。バニラアイスはそれなりだが、あんこが風味も含めて申し分ない。さすがは老舗和菓子屋のあんこという他ない。

いくつかの組み合わせを楽しむ。至福の時間。黒蜜をかけると、美味さの陰影が広がった。黒蜜はそれぞれの個性を殺してしまうことが多いのだが、どうしたことかそれがない。それどころか1+1が3になるような旨みを与えている。黒魔術でもかけたとしか思えない。これを作った人に感謝せねばなるまい。
         三原堂10 
         黒蜜の魔法?
         三原堂⑧ 
         あんこの実力

すっかり食べ終えると、向かい側の「粟ぜんざい」を惜しむように食べていたおばはんと目が合ってしまった。おっさんがフレンチトーストを食べているなんて、とあきれるような眼差し。粟ぜんざいの人生とフレンチトーストの人生。それがほんの一瞬だけ交錯する。穴があったら入りたい。すぐに目をそらす。どうってことのない池袋のどうってことない一コマだが、それがなぜか愛おしく思えるのだった。こりゃ、ハレンチトースト?かもなァ。

本日の大金言。

フレンチトーストまで和風にしてしまう。日本食文化の柔軟性。明治期にあんぱんを発明した日本人のアレンジ能力の伝統は今も衰えていない。




                三原堂12 

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「伝説のラーメン屋」復活を追う

 「お久しぶり。熊谷の伝説のラーメン店『よか楼』が復活再開したこと、知ってますか? 村長も以前、謎だと書いたあの店です(笑)」

麺類シンジケートの知人からメールが入っていた。(笑)が気になる。その後の文章は長くなるのでカットするが、埼玉・熊谷市星川通りにあった「よか楼」は確かに村長がこれまで食べたラーメンの中でも衝撃を受けたラーメン屋の一つである。5年ほど前に食べに行ったら、閉店していた。周辺に取材してもなぜ閉店したのかわからなかった。
         よか楼星川通り店 
     星川通り店は今も閉店したまま

その後、2014年に熊谷市江南で再開したという話が伝わってきたが、村長が行く前に閉店していた。郊外の妻沼に「よか楼本店」(大正13年創業)があることを知り、そちらにも行ってみたが、星川通りのあの味とは違った。ただ、店の女性の話で、「元々はここから出たんです。兄弟が多かったので、数か所で『よか楼』の暖簾分けのような形になったんですよ」という証言を得た。それだけの収穫で、依然星川通り店のその後は謎のままだった。

それから約2年ほど。麺類シンジケートの知人から「復活再開」の情報が入ったというわけである。これは行かずばなるまい。

ポンコツ車を走らせ、星川通りに立ち寄る。店は5年ほど前と同じで、閉店したままだった。野ざらし状態・・・悲しすぎる。その足で、知人が教えてくれた場所、生協病院近くで再開したという「麺匠よか楼 熊谷店」にポンコツ車を滑らせた。再開したのは去年の12月らしい。
         よか楼 
         ここで復活再開

通りに面した一軒家で、「よか楼」の看板とノボリが曇空に屹立していた。本当にあの星川通りと同じ店なのか、やや懐疑的になるが、悪くない店構えで、紺地の暖簾をくぐることにした。「混んでいる」ということなので、午前11時半に到着したが、店内に入ると同時に、次々と客が入ってくる。星川通りよりも広い店内は、カウンター席とゆったりとしたテーブル席が4つほど。
         よか楼② 
         再開もよかろう?

メニューは「目に言う」と表記されていて、これは星川通りと同じだった。定番の「らあめん」(税込み740円)を頼み、餃子も旨かったことを思い出し、一人前(同350円)も追加した。星川通りよりもかなり高くなった印象。
         よか楼③ 
         目に言う

奥の厨房に初老の店主らしき人がチラと見えた。職人のいい雰囲気。星川通りの店主かどうか確認できない。奥さんなのか中年女性もいる。12~13分ほどで「らあめん」がやってきた。「餃子はもう少しお待ちくださいね」と女性スタッフ。応対は悪くない。続いて餃子も来た。
         よか楼④ 
         こ、これは・・・

ドンブリが変わっていたが、ひと目であのラーメンに近いと思った。黄金色の醤油スープに薄っすらと脂の膜がかかり、いい焼き色の豚バラチャーシューが2枚。海苔、メンマ、刻みネギ。ナルトはないが、星川通りにもなかった気がする。
         よか楼⑤ 
         コショウをパラり
         よか楼⑧ 
         黄金のスープ

スープは鶏ガラと豚骨ベースの絶妙な味わいで、星川通りのものとほぼ同じ。美味。麺は黄色みが強い平打ち中太麵で、コシもしっかりとある。だが、星川通りが自家製手打ち麺だった(と思う)のに対し、麵の具合からして多分機械打ちに変わっていた。フツーに旨い。豚バラチャーシューは固めだが、それがいい具合の歯ごたえ。星川通りの時の方がもっと柔らかかった気がするが、悪くはない。メンマもシャキシャキしていて好感。
         よか楼⑦ 
         麺が変わった?
         よか楼⑨ 
        すぐれものチャーシュー
         よか楼12  
        ナイスバディ餃子

餃子(5個)はグラマラスで、きつね色の焼き加減がいい。フツーに旨い。こってり感のあるスープをほとんど飲み干すと、店主のことが気になった。隣りの常連客らしいオヤジと話すと「江南からここに来たんですよ。星川のことは知らないけど、多分同じじゃないかな」。

客が次々と来るので、確認のしようがない。あの時の感動の一杯ではないが、近いのは確か。これは謎のままにしておいた方がいいのかもしれない。星川通りの閉店したままの無残な姿が頭から離れない。

本日の大金言。

星川通りの「よか楼」はかつて埼玉ラーメングランプリに輝いた。1997年のこと。19年の歳月はあらゆるものを変える。だが、星川通り店のあの旨さは舌の記憶として頭の片隅にしっかり残っている。


                 よか楼14 



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下町大衆食堂のポークソテー

 「大衆食堂」という言葉はほとんど死語だが、どっこい東京・下町には実にいい大衆食堂がしっかり生き残っている。

このディープな世界を知らないのは人生の三分の一を損しているようなもの。そう断言してしまいたくなる。

以前、京都グルメ先生、酔拳官長、北欧詩人とご一緒した浅草の「水口食堂」をはじめ、立石の「ゑびすや食堂」、恵比寿の「こづち」などがすぐ頭に浮かぶが、いずれも昭和20年代に「食堂」とか「食事処」という看板を掲げている。戦後日本のシンボルの一つだと思う。

居酒屋のようだが、居酒屋ではない。和食ばかりでなく、洋食メニューもある。手抜きがない。午前10時ごろから店を開け、ビールやホッピー、日本酒、それにツマミ類も手抜きなく出し、地元の常連が昼酒を楽しんでいる。
         天将 
       大衆食堂は不滅だ

十条銀座商店街に入るとすぐのところにある「大衆食堂 天将」もその一つ。慌ただしい一週間を終え、茅場町の御用に行くついでに、回り道して立ち寄ることにした。時刻は午後2時過ぎ。「大衆食堂」の大きな屋号と「和食 洋食」の文字。それに海老茶の暖簾には店名の脇に「お食事処」の文字まで入っている。ここが昭和22年創業の「天将」である。
         天将① 
         ポエムな店先
         天将② 
         ポークソテー!

料理のサンプルケースが浅草「水口食堂」などとほとんど同じ全方位型。店内に一歩踏み込むと、ホッピーを飲む常連客の姿が目に入った。洒落たオヤジが競馬新聞を黙々と読んでいた。若女将(?)が「らっしゃい」とこちらを見る。下町の気さくな応対が心地よい。
         天将⑤ 
         日本の宝か
         天将⑥ 
         暖簾の内外

メニューの中から「ポークソテー」(税込み750円)を頼むことにした。ライスは別料金で小(130円)を頼んだ。「みそ汁はどうなさいますか?」「お願いします」。こちらは50円。合計930円ナリ。サンプルケースの見事なポークソテーが頭の中にあり、その期待で小さな胸(まさか)がふくらんでいる。

正面奥の暖簾の仕切りの向こう側が厨房になっているようで、そこからいい匂いが流れてくる。待ち時間は12~13分ほど。白い洋食皿に盛られたポークソテーは、サンプルケースとやや違っていた。だが、デミグラスソースがたっぷりかけられたポークソテーは厚さが1センチほど、7つに切り分けられていた。自家製のポテトサラダがいい具合に添えられていた。
         天将③ 
         ポークソテーさま
         天将⑦ 
         うわー(歓声)

まずはみそ汁。なめこ汁だが、しじみの出汁が効いていて旨い。浅草「水口食堂」アサリのみそ汁ほどの感動はないが、いいレベル。ポークソテーは見た目はデミグラスソースが濃そうだが、かなりの薄味で、中央の一切れには溶けるチーズがかかっていた。このさり気ない手の込みよう。
         天将⑧ 
         みそ汁の実力
         天将10 
         脂身と赤身
         天将11 
       とろけるチーズが・・・

肉は柔らかく、きれいな脂身がしっかり付いていて、うれしくなった。ライスの旨さとポテトサラダの甘さも印象に残る。途中で、ポークソテーに醤油を数滴垂らしてみたら、村長のツボにハマった。つい醤油好きの本性が出てしまう。明るい若女将の声と常連客のやりとり。いい時間が流れている。

ホッピーを頼みたくなったが、御用仕事が待っているので、我慢がまん。空色の仕切り暖簾の文字にふと目が行く。「楽しいときも 悲しいときも いつも一緒」。苦しいときはどうなんだろう? がんばれ、清原。がんばれ、田高。がんばれ、練馬。お前も、だよ。

本日の大金言。

「大衆」という言葉は戦後、輝かしい言葉だったと思う。格差社会はこの大衆という言葉を奪いつつあるのではないか。数パーセントが富を独占する社会の危うさ。



                 天将3 




高田馬場のB級「中落ち丼」

人の一生というものを考えさせられる出来事がこのところ頻繁(ひんぱん)に起きている。 何とも忙しい週末だった。

三鷹時代の友人をお見舞いに東京・小平市へ行くことになった。高田馬場で乗り換える。ちょうど正午過ぎだったので、ひとまず腹ごしらえすることにした。腹が減っては病院へは行けぬ。高田馬場はラーメンの激戦区で、学生街という場所柄、とんかつ屋など肉系の店も多い。ラーメンもがっつり系が多い。

待ち合わせまで50分ほど時間がある。これから行く相手のことを考えると、がちがちの肉系は気が進まない。あちこちのぞきながらビッグボックスの横の坂道を上ると、「肉ばっか 喰ってんじゃねえよ! 魚喰おうぜ!」という看板が飛び込んできた。
         まぐろんち 
         あれれのれ

やけのヤンパチのキャッチコピーのようだし、計算ずくのあざとさも垣間見える。だが、「肉ばっか 喰ってんじゃねえよ!」のインパクトに軽く好奇心が動いた。ま、時間もないし、この辺で妥協することにした。
         まぐろんち① 
      安さと旨さの関係

その店がマグロ専門店「まぐろんち」だった。5月2日にオープンしたばかり。雑居ビルの地下の居酒屋風の店で、暖簾をくぐると、カウンターとテーブル席があり、男性スタッフが「いらっしゃいませ~」と元気な声を上げた。カウンターの向かいが板場になっていて、そこにも男性が2人ほど。壁には手書きのマグロの解体図が見えた。悪くない雰囲気。
         まぐろんち12 
         「まぐろんち」の店内

ランチメニューの中から「一番人気は中落ち丼ですかねえ」(スタッフ)ということもあり、「中落ち丼」(単品580円)を頼むことにした。セットにすると780円だが、「単品でもちゃんとサラダとみそ汁が付きます」とのことで、こちらにした。人柄のいい店かもしれない。安いに越したことはない。
         まぐろんち② 
        丼ぶりはえらい

10分ほどで着丼。旨そうなみそ汁と小さなサラダ、さらに柴漬けがちゃんとついていた。何よりも中落ち丼が価格の割には立派だった。B級のポエム。マグロは「キハダです」とかで、ドンブリの中央にいい具合にどっかと盛られていた。ひと目で鮮度のよさがわかった。刻み海苔、大葉、万能ねぎ、白ゴマが本格的で、築地にでもいるような錯覚に陥る。
         まぐろんち③ 
         中落ち丼、登場
         まぐろんち④ 
         マグロ山ァ~

醤油が2種類置いてあり、ワサビを溶かしながら、まずは普通の醤油、続いてダシ醤油をかける。かっ込む。ご飯が固めで、ややもするとパサパサしているが、その温もりのような食感が悪くない。中落ちの旨さが固めのご飯とよく合う。ダシ醤油の方が美味。ボリュームもほどよい。
         まぐろんち⑤ 
       ダシ醤油を垂らす
         まぐろんち⑦ 
         あ~ん
         まぐろんち⑧ 
         残りの人生
         まぐろんち⑨ 
         まだまだ

「このキハダの中落ち、旨いね。生みたいだね」
「いえ、冷凍ですよ。解凍の仕方などで美味しくできるんですよ」

スタッフの応対が率直で気に入った。店は3か月ほどテストオープンしてから、5月2日に本格的にオープンしたそう。激戦区高田馬場で生き残ることは大変なようだ。食べ終えてドンブリの底を見ながら、小平の病院のベッドで闘病中の友人を考えようとする。同時に自分の人生も。米粒がどこかに残っていないか、目が泳ぐ。答えは見えない。米粒やーい。

本日の大金言。

回遊魚マグロの人生。止まった瞬間が生からの離脱を意味する。さて、マグロは幸せなのだろうか? 鳥の人生もまた。




               まぐろんち11 



有楽町・地下の「昭和チャーハン」

 チャーハン好きにとって「昭和のチャーハン」の極めつけの一つが、東京・有楽町にある。

ガード下の「谷ラーメン」や「慶楽」など、かつて村長が通った店ではなく、今回は交通会館地下にある「交通飯店」のチャーハンをご紹介したいと思う。約1が月半前にはすぐ近くに東急プラザ銀座がオープンしている。時代は回りながら繰り返す?
          銀座東急プラザ 
      時代は回る?(東急プラザ銀座)

交通会館は開業が昭和40年(1965年)で、屋上の回転レストラン(現在も営業中)は当時大きな話題を呼んだ。今では想像できないが、有楽町界隈は戦後の闇市の面影が残っていた。立ち飲み屋や寿司屋などが並び、怪しげな店もあったようだ。それが交通会館などの出現によって、モダンな街へと変貌していった。戦後の昭和を象徴する建物の一つ。

「交通飯店」はこのビルの地下にある。ここは洋食屋の「キッチン大正軒」や「あけぼの」、長崎ちゃんぽんの老舗「桃園」、甘味処「おかめ」など昭和の知る人ぞ知る敷居の低い名店が並んでいる。村長の好きなスポットの一つでもある。
          交通飯店 
        タイムスリップ?

その奥まった、死角のような場所に「交通飯店」がある。そこに佇むと、どこか場末のさびれた飲食街にでもタイムスリップしたような気分になる。入り口に店主(?)のイラストがあり、「営業中」の文字も見える。メニューのサンプルケースもどこか懐かしい。店は12席ほどのカウンターと小さなテーブルだけ。
          交通飯店① 
         交通飯店の世界

正午から1時過ぎ頃までは、サラリーマンやOLで一杯だが、時刻が2時過ぎだったので、客は二人ほど。村長はここのチャーハンが「谷ラーメン」の半チャーハンの次に好きで、宮仕え時代にはたまに寄ったりした。むろん今回も「チャーハン」(税込み730円)を頼んだ。
          交通飯店③ 
        価格は平成だが・・・

注文と同時に口数の少ない店主が中華鍋をリズミカルに動かし、同時にいい匂いが辺りに立ち込める。7分ほどで、気さくな女将さんが「はい」と盛りのいいチャーハンとスープを置く。真っ黄色のタクアンが二切れ。ポエム。店主の隣りで仕込みをしている若い男は多分ご子息だろう。こちらも黙々と仕事をしている。
          交通飯店④ 
          昭和のチャーハン

レンゲでスープをひと口飲んでから、チャーハンへと進む。スープは濃いめのラーメンスープで、中華料理屋のごくフツーの味。だが、チャーハンはひと口食べた瞬間、職人の技を実感することになる。
          交通飯店1 
          濃いめのスープ
          交通飯店⑤ 
          見事な盛り

具は卵(多分1個)と普通のハム、それに刻んだ長ネギだけ。味は塩味で、やや物足りないほど薄味。だが、ライスの一粒一粒にていねいに火が通っていて、ムラというものがまったくない。つやのあるパラパラ感。脂は多分ラードで、それが見事な旨みの潤滑油に昇華している。薄味なので、つい醤油を点々とかけたくなるが、濃いめのスープでその誘惑を断ち切る。チャーハンの旨みがじわじわと広がってきた。
          交通飯店⑧ 
          ラードの香り
          交通飯店⑨ 
          昭和の断層
          
チャーシューを使わないのが少々残念だが、それは店主のポリシーなのだと思う。女将さんによると、店は「43年ほどになります」とか。すると、オープンしたのは昭和47年(1972年)あたりということになる。あさま山荘事件が起き、田中角栄が首相になった年
          交通飯店10 
      これこれ、黄色いタクワン

かなりボリュームがあるので、食べ終えると腹が一杯になる。懐かしい真っ黄色のタクアンがいいアクセントになっている。聞いてみたいことが沢山あったが、黙々と中華鍋を動かす店主を見ていると、「すべてはチャーハンの中にあるぜ」と無言で言われている気がして、いい余韻を残したまま立ち去ることにした。昭和は遠くなりにけり、ではなく、昭和はしっかり続いている。

本日の大金言。

新橋駅前ビル1号館、東京交通会館など、新橋・有楽町・銀座界隈にはいい昭和がまだまだ残っている。スマホの世界ではなく、自分の足で、安くて職人のいるいい店を探す。そこから「今」を逆照射して見ることも、たまには必要だと思う。


                  交通飯店11 


「元祖カレーパン」90年の味わい

元祖カレーパンを食べに、久しぶりに東京・深川森下町に寄り道した。このあたりは思い出深い。

先月亡くなった画家・谷井健三さんが住んでいた大島4丁目も近い。谷井さんは船の細密画の第一人者で、元々の縁は、作家・高杉良さんの推薦でエンタメ新聞紙上で連載のコンビを組んで頂いたことがきっかけ。人懐こい方で、ジャズが好きということもあり、御茶ノ水「ナル」などに何度かお誘いいただいたこともある。

先月、お線香をあげに来たばかりだが、所用で深川に来たついでに、「カトレア」の元祖カレーパンを思い出し、森下町に足を延ばしたわけである。3月に王子駅前で明治堂のカレーパンを賞味したことが頭にあったのかもしれない。
         カトレア① 
         元祖カレーパン

カレーパン好きにとって「カトレア」(旧名花堂)はある種の聖地で、カレーパンにもハマっている村長にとっては、約10年ぶりの訪問。創業は明治10年(1877年)で、昭和2年(1927年)に二代目がカレーパンを考え出し、実用新案登録した。店名も「名花堂」から「カトレア」に変えている。このときは「カレーパン」ではなく「洋食パン」として登録したようだ。
         カトレア 
         下町のモダン
         カトレア② 
         ホンマに元祖どす

「カレーパンの始まり」については、新宿中村屋の初代が考案したという説など諸説あるが、森下町駅を出て通りに出ると、すぐ「元祖カレーパン」の看板が見える。村長はいかにも下町のパン屋といったいい店構えのドアをくぐる。
         カトレア④ 
       売り切れが早い

まとめ買いする客が多く、あっという間に売り切れになることも多い。運よく「元祖カレーパン」(税別180円)をゲットすることができた。もう一種類「辛口カレーパン」(税別190円)は売り切れ寸前だった。何とか1個ゲット。ツイテル。

揚げ立てが一番美味いが、「カトレア」にはイートインコーナーがない。ほどよい喫茶店を探し出し、そこに滑り込むまで時間がかかってしまった。ツイテナイ?

まずは「元祖カレーパン」を賞味することにした。楕円形のカレーパンで、揚げてから約1時間ほど経過していたので、表面のカリカリ感はほとんどなくなっていた。
         カトレア⑤ 
       元祖(手前)と辛口

だが、手に持った瞬間ずっしりと重い。その重みから中の具の多さが想像できた。手で割った瞬間、明るい黄土色のルーがどっさりと詰まっていた。その圧倒。パン生地は薄い。ガブリと行くと、パン生地のモチモチ感がまず来て、それからカレールーのまったりとした甘さが口中に広がった。甘みは玉ネギの甘みとしても、この旨さは何だ?
         カトレア⑥ 
         元祖の形ダス
         カトレア⑦ 
         たまらん!
         カトレア⑧ 
         圧倒的なルー

肉の姿は見えない。玉ネギの姿も見えない。ニンジンの赤がぽつぽつと見えるだけ。小麦粉とカレー粉の存在。それが十分に炒められ、煮込まれ、その間に玉ネギも溶け込んでしまったかのよう。ほとんど大正2年当時のレシピのままだそうで、後を引く癖になる旨さ。
         カトレア3 
      こちらは辛口カレーパン

「辛口カレーパン」は後に作られたもので、形もまん丸い。こちらはガブリと言った瞬間、辛さとスパイシーさが一挙に噴き出したかのよう。ルーの色も黒っぽく、元祖カレーパンと同じように小麦粉とカレー粉の存在感が強い。パン生地のもっちり感が悪くない。だが、好みで言えば、元祖カレーパンの方に軍配を上げる。90年の歴史はダテではない。

本日の大金言。

王子「明治堂」にしても「カトレア」にしても、暖簾を広げない下町の老舗パン屋のカレーパンは貴重である。その重み。どこかの「幻のカレーパン」などイメージ先行の値段だけ高いカレーパンの軽さ。



                 カトレア5

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佐野正油ラーメンとゴッドマザー

 悲喜こもごもGWはいかがお過ごしだったでしょう。その最終日。ウマズイめんくい村にとってメモリアルデーとなりましたダ。何がって?

上州から小さな愛犬とともにゴッドマザーが1週間ほど滞在、ゴッドマザーは遠出には車椅子が必要だが、気持ちは若い。そこへ花のお江戸で修業中のキオが久しぶりに合流した。上を下への大騒ぎ。ランチをどうするかで調整が必要となった。

「あたしゃ好き嫌いはないけど、ラーメンが食べたいよ」(ゴッドマザー)
「私も。佐野プレミアムアウトレットあたりで買い物もしたいわ」(キオ)
「夜はゴッドマザーの米寿のお祝いで、『食堂カフェ ラフ』を予約しといたから、ランチは軽めがいいわ」(村民2号)
         弁慶② 
    隣りは佐野プレミアムアウトレット

すべてを満たすことは可能か? 佐野ラーメン好きの村長は二日酔いの頭をフル回転させて、佐野プレミアムアウトレットから一番近いラーメン店を提案した。すぐ隣りと言っていい距離。それが「弁慶」である。消去法による選択で、全員が「まあ、いいんじゃない?」。
         弁慶① 
      場所柄混み合っている

約200軒ある佐野ラーメンの店の中でも、ネットなどの評価はさほど高くはないが、何と言っても場所が便利。店も駐車場もかなり広い。午後12時半。店内は結構混み合っていた。

全員が券売機で「正油ラーメン」(税込み650円)を押した。佐野ラーメンにしてはかなり高めの設定。村長が「ジャンボ餃子」(450円)も頼もうとしたが、3人の反対で「却下」されてしまった。村長の権力基盤が揺らいでいる。
         弁慶③ 
         高めのメニュー

この「正油ラーメン」が思ったよりも旨かった。脂がキラキラ浮いたきれいなスープは、醤油と塩が半々のようで、佐野ラーメンにしてはこってりとしたコクがある。鶏ガラだけでなく、豚ガラも使っていると思う。化学調味料の魔法も感じる。人気店の一つ「二代目おやじの店」とよく似た味わい。
         弁慶⑥ 
         高レベルか?
         弁慶⑦ 
         コショウをパラリ
         弁慶⑧ 
         スープのコク

麺は中太の平打ち縮れ麺だが、見た限り青竹打ちではない。多分機械打ち。だが、コシの具合といい、ノド越しといい悪くはない。最近ラーメンにうるさくなったキオが「この麺は旨いわ。でも、これって佐野ラーメンなのかな」と鋭い指摘。村長も佐野ラーメンよりも白河ラーメンに近い印象を持った。
         弁慶10 
       麺は機械打ちだが・・・
         弁慶11 
         見事なチャーシュー

「佐野ラーメンは青竹打ちが本来の看板だけど、本当に青竹をきちんと打っている店は数えるらしいよ」(村長)
「豚バラチャーシューが大きくて、柔らかくて、とっても旨いわ。でも、650円は高いと思う。550円だったらマル」(村民2号)

「佐野はやっぱりレベルが高い。東京だとこの旨さなら毎日食べたいくらい」(キオ)
「あたしゃ、ラーメンなら何でもいいよ。ここはあまり歩かなくていいから気に入った」(ゴッドマザー)

その6時間後、予約しておいた埼玉・加須市「食堂カフェ ラフ」で、ゴッドマザーの米寿のお祝い。ここはロケーションが素晴らしいレストランで、ワインが中心だが、日本酒も置いてある。ワイングラスの純米酒。日本酒好きのゴッドマザーが大いに羽目を外したのは言うまでもない。ああ天国天国・・・。

本日の大金言。

お祝いはその人の人生の肯定だと思う。みんなで集まってその山あり谷ありの人生を祝う。名馬は一日にしてならず。長生きすることも悪くない。



              食堂カフェラフ 









ただ一軒「づんだ餅」頂点の味わい

 今回の東北ポンコツ旅の食べ納めは杜の都・仙台の「ずんだ餅」。3.11後ほぼ4年かけて修復した青葉城公園を見てから、ポンコツ車をプカプカ走らせ、中央郵便局近くの有料パーキングに止める。仙台は大小有料パーキングがやたら多い。東北随一の都会であることを改めて実感する。

以前から一度行ってみたかった餅専門店「村上屋」は裏手の通りにある。ここは知る人ぞ知るずんだ餅の老舗。全国展開している「ずんだ茶寮」とは一線を画し、ひたすら孤塁を守り続けている。餅屋の暖簾を下げたのは明治10年(1877年)だが、それ以前は伊達家の菓子司だったようだ。
         村上屋 
         暖簾を広げない

村長が衝撃を受けた京都・北野天満宮そば「粟餅所 澤屋」(創業天和2年=1682年)も暖簾を広げず、一か所で代々粟餅を作り続けている。その歴史の凄み。「村上屋」も同じ匂いがする。

思ったよりも小さな、地味な店構えで、店先には屋号のように大きく「餅」という文字が見える。ずんだ色のきれいな暖簾が下がっている。期待で胸がときめく。店内は豆大福やくず餅などの餅菓子類が並べられ、左側に木のテーブルが4つほど。店内でも食べれるのがうれしい。
         村上屋2 
         どれにすっべか?
         村上屋② 
         メニュー

時刻は午前11時過ぎ。ランチの前のデザート(ん?)というわけである。村長はむろん「づんだ餅」(税別610円)を選んだ。「ランチの前のデザートなんて冗談じゃないわよ」と言っていた村民2号は、店の本物感に方針を撤回、「三色餅」(づんだ、くるみ、黒ごま 同640円)を頼んだ。

一般的には「ずんだ餅」だが、この店だけは「づんだ餅」と表記している。枝豆を搗(つ)いて砂糖を加えたものがずんだなので、意味的にはこの店の「づんだ」が正しいと思う。老舗のこだわりに舌を巻く。
         村上屋⑤ 
         最高峰か?
         村上屋④ 
         こちらは三色餅

10分ほどで、お茶が置かれ、角盆に乗った「づんだ餅」がやってきた。黒い陶製の器に、ずんだ餅が3個ほど。きれいな淡い色のずんだ餡が下の餅を覆い隠している。箸休めの紫蘇の実の小皿。ポエム。どこか気品のあるずんだ餡の香りが鼻先を撫でるように「おいでおいで」をした。脳の中枢がヨロとよろめくのがわかった。うむむ。
         村上屋3 
         づんだ餡の洗練

ひと口。冷たいずんだ餡の粒のきめ細やかさに驚く。自然で淡い甘さ。「ずんだ茶寮」などの野暮ったいほどの粒つぶ感と甘さとは別世界の洗練された味わい。村長は野暮ったいずんだ餅も大好きだが、この洗練感も捨てがたい。
         村上屋⑧ 
         たまらん
         村上屋⑦ 
         餅の伸び
         村上屋10 
         伝統の重み

女将さんらしき女性によると、「枝豆の薄皮をひとつひとつ丁寧に取り除いている」そう。それがフツーのずんだ餅とはひと味違う、なめらかできめ細やかな「づんだ」を作っている。さらに餅の柔らかさとほどよいコシ。そのバランスが絶妙と言わざるを得ない。
 
ずんだ餅は田舎娘で、づんだ餅はお姫様ってところかしら。好みの問題よね。でも、村長には申し訳ないけど、私はくるみ餅の美味さに惹かれたわ。こんなに美味いくるみ餅は初めてといっていいくらい」

「暖簾のプライドを感じるなあ。田舎娘もお姫様も両方大好きだけど、確かにくるみ餅の美味さは衝撃的だな。単純に比べるのは難しいけれど、京都『澤屋』が西の横綱だとしたら、ここは東の大関クラスだと思う。この味はずっと守ってほしいよ」
              村上屋12 
        「ずんだ」じゃないよ~

「当代は4代目で、跡継ぎがいないそうよ。暖簾の伝統が終わらないことを祈るばかりだわ」
「もし仙台からこの店の暖簾が消えるようなことになったら、日本の損失だよ。首相の代わりはいるけど、この暖簾の代わりはいない」
「確かに。村長の代わりはいくらでもいるけど、私の代わりはいないようなものよね」
「・・・・・・」

本日の大金言。

ずんだ餅は岩手南部、宮城、山形、福島などの郷土料理だが、今やその美味さは全国にまで広がっている。ずんだおはぎやずんだ団子などもスーパーなどで売られるようになった。東北食文化の素晴らしさの一つで、3.11後もその魅力は広がっている。イケイケずんだ!



                仙台②

石巻の伝説カレーライス

 3.11で最も津波被害の大きかった石巻。その年の夏、エンタメ新聞社の夏休みを利用して、曇空の下、ポンコツ車で石巻に向かった。現場を見たいというサガを抑え切れずに、東北道を古川インターで降り、そこから石巻に向かい、規制線をくぐりぬけるように海岸線をできる限り走った。

その途中、トラックが荒々しく行き交い、テレビのニュースで見た凄まじい光景が延々と続いていた。横たわる現実に言葉を失う。痛ましい光景も目にした。自分は一体何をしているんだろう? カメラを持参したのに、ついにシャッターを切ることができなかった。

あれから5年近くたった。晴れ渡った空の下、ほぼ同じコースを同じポンコツ車で走っている。石巻女川線(県道240号)を日和橋方面へと向かう。悪夢のような瓦礫(がれき)は見た目にはきれいに撤去されているが、土地区画整備事業などの工事が今も続いており、考えていた以上に復旧は途上のようだ。工事用塀で遮蔽された道路からは海がほとんど見えない。
         石巻 
         5年後の工場

黙とうしてから、当時壊滅状態だった日本製紙石巻工場、石巻漁港の今をシャッターに納める。漁港は午後1時を過ぎていたので閑散としていた。カモメが3.11などなかったかのようにゆったりと舞っていた。
         石巻漁港 
         石巻漁港

「そろそろ復活したカレーライスを食べに行こうか」
「その言葉、待ってたわ。腹の虫がぎゃあぎゃあ喚いてうるさくてしょうがないわ」

津波にやられた中里地区から須江しらさぎ台へと移転した「コーヒーとカレーの店 豆の木」へとポンコツ車を走らせる。ここは3.11後、営業をやめたが、ファンからの復活を求める声に勇気づけられるように、その約1年後に高台に移転して再オープンしている。ここのオリジナルカレーは石巻でも有名だった。いわば伝説の店。
         豆の木② 
         復活した「豆の木」

場所はわかりにくかったが、何とかたどり着く。クリーム色のヨーロッパのロッジ風の一軒家で、入ると、イージーリスニングのピアノ曲が流れ、木の匂いのするどこか心が落ち着く店だった。

メニューから定番の「特製オリジナルカレー」(ミニサラダ付き レギュラーサイズ600円=税込み)選んだ。ランチタイムなので、コーヒー(プラス200円)も頼んだ。
         豆の木③ 
         復活したメニュー
         豆の木④ 
         落ち着く

10分ほどでミニサラダ、特製オリジナルカレーの順でやってきた。カレーは香ばしく、色が濃い目。インドカレーのようにかなりの辛さで、その複雑なスパイスがしばらくすると、口中にいい余韻を残す。具はゴロンとした肉が一個。玉ネギや具の姿はない。擂(す)っているか、煮込まれているか、その両方だと思える手間ひまをかけた旨味で、地元の人が愛した理由がそれとなくわかる。
         豆の木⑤ 
       オリジナルカレー登場
         豆の木⑦ 
         辛みと辛酸
         豆の木⑨ 
       デカい肉の存在感

「ライスがいいわ。ササニシキだと思うな。この肉は多分牛肉よ
鶏肉じゃないかな。辛さが思ったよりくるけど、ふっくらと炊かれたライスとの相性がいい。ミニサラダは普通かな」
「鶏肉のはずがないでしょ」

あわや内紛ぼっ発。女性スタッフに聞いてみると、「豚肉です」

食後のコーヒーもマイルドで美味かった。その後、ママさんと雑談。地震で不思議な因縁。

「店は1978年の宮城沖地震の年に中里で始めたんですよ。それが3.11で終える結果になってしまった。地震で始まり地震で終わった。主人が亡くなり、もう店はできないと思っていたんです。それがお客さんの声に押されるように復活できたんです」

きれいに平らげたカレー皿を前に、極楽とんぼが二匹。ただ旨いだけではない。そこに重い記憶が詰まっていた。合掌。

本日の大金言。

月日は恐ろしい。3.11は記憶の中から次第に消えかかっている。だが、実際に足を運ぶと、それは深い傷跡となって隠れていることが実感できる。忘れていいことと忘れてはいけないことがある。たまには東北へ。

               豆の木11

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藤の花と絶品草餅の点点生活

 GW真っ盛り。このシーズンは藤の花がいい。ちょっくら疲れたので東北の旅は休んで、樹齢約400年の藤の花と草餅を箸休めにお届けしよう。
         玉敷神社① 
         玉敷神社の藤祭

観光客でにぎわう埼玉・加須市騎西町玉敷神社の大藤を見にポンコツ車を走らせた。藤祭り真っ最中。コンテストで選ばれた「ミス藤むすめ」をモデルに中高年のアマチュアカメラマンが大挙してシャッターを押していた。全員男性というのが微笑ましい。平和はええのう。
         玉敷神社② 
         人類、いずこへ向かう?

その足で、隣町の北本市西高尾にある「御菓子司 岡乃家」に向かった。ホントの狙いはこちら。ここの草餅が安いうえに絶品なのである。東京・十条銀座商店街で「あまおう草餅」の余韻がまだ口中に残っている。
         岡乃家 
         草餅へと向かう

岡乃家は昭和37年、東京・赤羽で創業。47年、埼玉・北本に移転。現在の店主は二代目。北本の名産トマトを使った「トマト大福」(1個税別120円)はメディアなどでも取り上げられ、この店の人気の一つになっている。
         岡乃家③ 
         安くて美味い?

村長は店頭で「トマト大福」を賞味し、本命の「草もち」(1個同110円)はウマズイめんくい村に持ち帰って賞味することにした。ついでに「柏餅」(同120円)も買った。トマト大福はそれなりだったが、他は期待通りか?


         岡乃家⑥  
         いい景色やなあ

草餅はつぶあんとこしあんがあるが、村長の好みはつぶあん。草餅はつぶあんに限る。渋茶をすすりながら、見事なよもぎの草餅をガブリと行く。上新粉を使った餅が手にくっつきそうになるほど伸びやかで柔らかい。よもぎの香りがいい。
         岡乃家⑦ 
         正座して食え

さらにつぶあんのレベルが相当高い。ぎっしり詰まっていて、小豆の風味が実に素晴らしい。110円という価格設定が信じられない。ふくよかでほどよい甘さと風味がよもぎ餅と絶妙の甘い関係を作っている。きれいな余韻が秀逸。禁断の味わい、と言いたくなるほど。
         岡乃家⑧ 
         あんたはエライ
         草餅 
         見事な世界
         岡乃家11 
         残りの人生?

あまりに美味いので、つい電話してあれこれ聞いてみた。怪しい電話と間違えられないか、不安がかすめる。
「あんこの美味さが半端ではないですね。何か秘密でも?
二代目店主は警戒しながらも、当方を信用したのか、ぼそりぼそりと教えてくれた。

「秘密ねえ。うん、あえて言うと、砂糖です。ザラメでも一番の鬼ザラメを使っているんですよ。小豆は北海道産です」

「鬼ザラメとはすごい。この値段でよくやってますね」
「このあたりではあまり高くはできないですよ。添加物を何も入れてないので、今日中にお召し上がりくださいね」
「もう食べました」

高くて美味いは当たり前、安くて美味いは裏がある。だが、まれに高いレベルを維持したまま、儲けをギリギリに抑えた和職人が存在する。この店もその貴重な一つだと思う。埼玉の果てにもいい職人がいる。帰りの川で、流れに棹差すように一匹の亀が木枝に止まっていた。思わずシャッターを押した。がんばれ亀ちゃん。

本日の大金言。

一方に熊本地震があり、一方に草餅がある。それが同時並行に存在している。不合理。だが、否が応でもその点の上で日々生活するしかない・・・と思う。その点では人間も亀もそう変わりはない。天の下と点の上。そして、その天と点はどこかで繋がっている。宇宙の中の、銀河系の中の、太陽系の中の、地球の中の、日本列島の中の、天の下の点の上・・・。何言ってんだか。

亀くん 



気仙沼ふかひれ寿司の夜

 陸前高田から気仙沼へポンコツ車を走らせた。気仙沼も3.11で大きな被害を受けた。まずは魚市場に行って、黙とうすることにした。時間が午後4時過ぎだったので、閑散としていた。魚の残りを狙っているのかカラスが多い。鳶(とび)とウミネコもいる。空の世界も生存競争が激しいようだ。
         気仙沼市魚市場④ 
         気仙沼市魚市場

漁港に隣接している「海の市」の自販機の上に「東日本大震災 津波浸水ここまで」の表示があった。見上げる。高さ約6メートルほど。周辺からは一見3.11の痕跡は消えているように見えるが、その表示を見上げながら、改めて大津波の凄まじさを想像する。だが、想像は現実に到底届かない。
         気仙沼市魚市場② 
         津波の高さに驚く

「この表示がなければ、実感がわかないわ。空も海ものどかで、3.11が夢の世界に思えてくる。でも、それは現実で、その深い傷跡にいまだに苦しんでいる人が沢山いる。私たちは呑気なものね」
「あちこちの道路の歩道橋にもこの表示があったなあ。そのたびにギクリとする。記憶を風化させてはいけないという地元の強い意志を感じるよ」
「最近物忘れのひどい村長にはもってこいね。日本中が村長のようになったら困るわ」
「そう来たか。一億総認知症化なんて嫌だよ」

安ホテルにチェックインして、気仙沼のもう一つの目的「ふかひれ寿司」を食べに行くことにした。ふかひれは忘れない。

気仙沼は日本一のふかひれの産地で、マグロやカツオやサンマなど遠洋・沖合漁業の水揚げも3.11後に一時中断したもののその後徐々に復活している。もともと三陸海岸は世界三大漁業地帯の一つで、気仙沼市魚市場はその中心をなしている。
         ゆう寿司① 
         渋い店構え

どこの寿司屋に行くか、歩き回った末に福幸通り近くの「ゆう寿司 田谷店」を選んだ。創業が昭和53年(1978年)で、気仙沼でも有数のお寿司屋さん。地味で渋い店構えが気に入った。有田焼の湯飲み茶碗がさり気なく飾られている。

メニューの中から「ふかひれ食べくらべセット」(3カン2000円=税別)と「上にぎり寿司」(2000円=同)を頼んだ。安くはないが、気仙沼に来たからにはこれは欠かせない。その他にもいくつか肴と生ビール(中ジョッキ600円)もしっかりと頼んだ。
         ゆう寿司③ 
         清水の舞台?
         ゆう寿司② 
         どれにすんべか
         ゆう寿司④ 
         開始のゴング

「上にぎり寿司」はマグロの中トロが絶品だった。いい脂の乗り。女将さんに聞くと「生の本マグロです」とか。道理で旨いはず。酢飯は宮城産ササニシキ。ウニ好きの村民2号が黙々と食べまくっている。毒舌が止まっているのがありがたい。
         ゆう寿司⑦  
         見事な上にぎり寿司
         ゆう寿司⑧ 
         中トロの美味

最後になって、ようやく「ふかひれ食べくらべセット」が登場した。「注文を受けてから作り始めるので、かなりお時間を頂いてるんです」と女将さん。トロリと煮込んだ中華風のヨシキリザメの最高級下ビレ「トロふかひれ」1カンと「クズレ」2カン。この店のオリジナルで、トロふかひれは口中に入れた瞬間、オーバーではなくとろけるようにノド奥へと消えて行った。濃厚で甘い余韻。サメも人間には敵わない。
         ゆう寿司11 
         トロふかひれ寿司
         ゆう寿司13  
         ヨシキリザメのクズレ
         ゆう寿司⑨ 
         ふかひれスープ

「クズレ」はこってり感とシャキシャキ感があり、こちらはこちらで悪くない。だが、村長はマグロの中トロとお通しに出た「しらすの釜揚げ」の旨さの方が特に印象に残った。どちらも築地で食べるより旨いと思った。

「3.11の時は津波が大川から氾濫してきて、店が衝立(ついたて)の高さまで浸水したんですよ。私たちは高台まで逃げて何とか助かったんです。再開するまで大変でした。それでも海岸から離れていたのでこの程度で済んだんです。魚市場近くにあった本店は流されてしまいました。今はそちらは移転してバイパス店として復活してます」(女将さん)

生ビールを飲み、旨い寿司を食べ、ふかひれを味わえる幸せがジワリじわりと押し寄せてくるのだった。

本日の大金言。

熊本地震の被害は続いている。3.11のほぼ5年後。日本はどこにいても被災者になる可能性があると思う。原発の問題。霞が関と永田町の想像力の欠如が恐ろしい。強欲と現実感覚の希薄さ。



                 ゆう寿司14 





プロフィール

赤羽彦作村長

Author:赤羽彦作村長
あの!エンターテインメント新聞で記者、デスク、編集プロデューサーとして活躍。思うところあって、原発で揺れるヤポネシアを辺境から見つめ直すべく、イカダを組み、オンボロ旗を揚げ、組織を脱出。荒海に乗り出す。「B級うまいものの宝島」を目指して、櫂をガタガタと漕ぎ出すことにした。一か八か泥船となるか、間違って宝船となるか?
特に麺類と和菓子にはうるさい。「舌の上から斜めに世界を見る」などとほざいている。はっきり言ってバカの3乗である。年齢不詳。乙女座、AB型。村民を募集している。

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