駅弁「元祖天むす」の驚き

 名古屋帰りのグルメ友人が駅弁を手土産にウマズイめんくい村にやって来た。名古屋名物「みそかつ弁当」(税込み880円)にオオッとなったが、友人はむふむふと笑いながら、「こっちの方が貴重なんだよ」ともう一つの地味な駅弁を差し出した。それが元祖天むす」(5個入り720円)だった。

三重県津市「千寿本店」の元祖天むすで、若草色の紙包みを解くと、紙経木が現れ、さらに銀紙(アルミホイル)に包まれた天むすが5個、お行儀よく並んでいた。ポエム。夕ご飯には少し早いが、純米酒「花菱」を用意し、みそかつ弁当と元祖天むすを賞味することにした。
         晩飯① 
      みそかつ弁当と元祖天むす
         みそかつ弁当② 
         名古屋名物

みそかつ弁当はそれなりの味だったが、元祖天むすの素朴な旨さに驚いた。天むすの歴史はそう古くはない。昭和30年年代、津市にあった天ぷら定食屋「千寿」初代が、賄い料理として作っていた裏メニュー。海老天をおにぎりの具にしたものだが、その味に惚れ込んだ名古屋の藤森時計店が何度も足を運び、暖簾分け。「めいふつ 天むす 千寿」の名前が少しずつ浸透していった。めいぶつではなくめいふつ。

店舗を広げない、という「千寿」初代の方針で、津と名古屋周辺でしか販売していない。津市の方が「元祖」を名乗り、棲み分けしている。目の前にあるのはその元祖の天むす。
         元祖てんむす 
         元祖天むす様
         元祖天むす③ 
         素晴らしき世界
         元祖天むす④ 
         元祖の味わい

小ぶりだが、海苔で巻かれた天むすは、何よりもそのご飯のふっくら感と透明なツヤツヤ感が際立っている。ガブリと行くと、中から小海老の天ぷらが顔をのぞかせた。おにぎりの塩加減が絶妙で、ご飯の美味さを見事に引き立てている。小海老の天ぷらにも薄く味が付いていて、コロモの食感も冷たくなっているのに、いい味わい。シンプルなのに、実に美味い。
         元祖天蒸す⑦ 
         具は中に
         元祖天むす⑧ 
         ご飯の秀逸
         元祖天むす⑤ 
       キャラブキの存在

添加物をあまり使っていないのも好感。箸休めに添えられているキャラブキ(蕗の佃煮)がいぶし銀で、天むすによく合っている。調布先生おすすめの京都駅の駅弁「魚沼産コシヒカリ 目刺し弁当」にも引けを取らない。いや、それ以上かもしれないシンプルな美味さ。
         元祖天むす10 
      中から小海老の天ぷら
         元祖天むす1 
         絶妙な素朴

このご飯ってどういう米かしら。噛むほどに甘みがあるわ」
「伊賀産のコシヒカリのようだよ。魚沼産に負けていない。目刺し弁当よりは高いけど、1000円以上はする最近の駅弁と比較すると、いろんな意味で原点の美味さとは何かを思い起こさせてくれる。そんな気がするよ」

ウマズイめんくい村の素朴すぎる会話を、グルメ友人はニヤニヤしながら黙って聞いているのだった。食えない奴だよ。

本日の大金言。

おにぎりの素朴な魅力を見直したい。異常な駅弁ブームであきれるほど高級化が進んでいる。日本人よ、どこへ行く? 素朴なおにぎりがそんな問いかけを発している、気がする。



                 元祖天むす11 







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幻の羊羹と「赤鶏の中華そば」

 幻の煉り羊羹「藤むらの羊羹」を求めて、東京・本郷へ。加賀前田家ゆかりの「藤むら」は、羊羹界では知る人ぞ知る名店だったが、すでに忽然と店を閉じている。理由は不明だが、後継者がいなかったとも言われる。夏目漱石や森鴎外も愛した超老舗和菓子屋で、「20年ほど前からシャッターを下ろしてましたよ」(近所の古老)とか。その後、一部の予約客だけに羊羹を作り続けたという話もある。
         藤むら 
    幻の羊羹屋「藤むら」の今

藤むらの羊羹を食べ逃してしまったことが悔やまれる。京都伏見「駿河屋」と並ぶ歴史的な煉り羊羹。せめてその名残りを・・・と本郷三丁目に足を延ばしたわけである。隣りは本郷三原堂で、藤むらがあった場所はシャッターが下りたまま、看板すらなくなっていた。前田利家の時代にまでさかのぼる羊羹屋の跡地には、人気のない建物と自転車が置いてあるだけだった。夢の跡にしては切ない。
         ねむ瑠1 
         遅めのランチ

ため息交じりに空を仰ぐと、お腹の虫が「羊羹もいいけど、オレを忘れてもらっちゃ困るよ」とわめき始めた。時計を見ると、午後1時ちょい過ぎ。久しぶりにラーメンを食べたくなった。すぐ近くに「中華そば」の提灯が見えた。2~3人ほどが並んでいた。「麺屋 ねむ瑠(ねむる)」の屋号が小さい。店構えからいい雰囲気が伝わってきた。
         ねむ瑠① 
         悪くない店構え

入り口に置いてある立て看板が実に美味そうだった。「赤鶏と蛤(はまぐり)の淡麗中華そば」。ここに決まり。5分ほどで中に入ると、13席ほどの変形カウンターだけで、2人の男性スタッフが麺づくりに励んでいた。BGMは懐かしいR&B。券売機で「赤鶏と蛤(はまぐり)の淡麗 煮卵入り」(税込み880円)を選んだ。醤油味と塩味があるが、醤油にした。
         ねむ瑠10 
         メニューの一部

ここは「烏賊(いか)煮干中華そば」が定番で、オープンしたのが「去年の9月です」(スタッフ)。まだ新しい店なのに、すでに人気店になっているようだ。10分ほどで、煮卵入りの「赤鶏と蛤の淡麗中華そば」がいい匂いとともにやって来た。
         ねむ瑠② 
         絶品か?

逆三角形の白い磁器ドンブリに透明な醤油スープ。鶏油がキラキラ浮いている。それだけで心が躍る。ローストビーフのようなピンク色のチャーシュー(豚ロース肉?)が一枚。それに三つ葉と刻み玉ネギ、白っぽいメンマという構成。煮玉子(単品だと100円)がポカリと乗っている。ビジュアル的にはかなりのレベル。
         ねむ瑠③ 
         きれいな中華そば

まずはスープ。これが絶妙だった。最初のアタックは「醤油が少しきつめかな」だったが、すぐにまろやかな旨味が口中に広がった。岩手産赤鶏と蛤(はまぐり)の出汁がじんわりと滲み込んできて、そこに鶏油の甘みが入り込んでくる。化学調味料は使っていないそうで、それでこれだけの旨みを出している。このスープだけで半分満足した気分になる。
         ねむ瑠④ 
       鶏油と蛤(はまぐり)
         ねむ瑠⑤   
         まろやかな秀逸
         ねむ瑠⑥ 
         中細ストレート麵

麺は中細ストレート麵で、小麦の風味とほどよいコシがこのスープによく合っている。自家製麵ではなく村上朝日製麺所の特注麵を使用しているようだ。
         ねむ瑠⑦ 
       きれいなチャーシュー

チャーシューは見た目は大きいが、かなり薄い。せめて二枚にするか、厚みを1.5倍くらいにしてほしいね。柔らかくて旨いだけにちょっと残念。メンマと刻み玉ネギはまずまず。煮玉子は中の黄身がとろとろで、かなりの技術だと思う。好みで言えば、半熟くらいがちょうどいいと思うが、これもこの店の売りなので、仕方がない。
         ねむ瑠⑧ 
         とろり煮玉子

一滴残さずスープまで飲み干すと、いい余韻が口中に残った。全体的に洗練された味わいだが、ボリュームが少し足りない。味付きの替え玉(180円)を頼んで、ようやくお腹がいっぱいになる。

外に出ると、青空が広がっていた。藤むらの羊羹はきれいな藤紫色だったそう。それが店名の由来で、江戸・明治・大正・昭和を通して、暖簾を守り続けた。気の遠くなるような歴史・・・それをついぞ食べ逃してしまった。志ん生を生で見れなかったことと合わせて、悔いが残る。ぐやじいのう・・・。

本日の大金言。

後悔先に立たず。虎屋の羊羹はせいぜい明治維新以降の歴史しかない。気がついたときには手遅れになる。そういう経験はきっと誰にでもある。ひょっとしてそれは現在進行形でもある。




                ねむ瑠⑨ 

幻の「煉り羊羹の元祖」を求めて

今日は天気がいいので、煉り羊羹(ねりようかん)の旅の最初のクライマックスを書くことにしよう。あまりにややこしいので、さらりとご紹介したい。京都・伏見「駿河屋本店」の紅煉り羊羹である。あの豊臣秀吉が大茶会に出して、居並ぶ大名を驚かせた羊羹も紅色だったと言われている。もっとも当時は寒天がまだなかったので、それは煉りではなく、蒸し羊羹の一種だったようだ。
         駿河屋本店 
     伝統を受け継ぐ「駿河屋本店」

駿河屋総本家(旧鶴屋)は創業が室町時代にまで遡り、秀吉が伏見指月城を築いたときに伏見に「饅頭所」として店を構えている。駿河屋は秀吉御用達の店だったようだ。秀吉の命で作った紅煉り(蒸し羊羹?)も駿河屋が工夫して作っている。

その五代目岡本善右衛門の代(江戸初期)に初めて寒天を使った「煉り羊羹」を考案したと言われている(諸説ある)。駿河屋総本家はその後、分家・暖簾分けを繰り返し、バブル以降に経営不振に陥り、トラブル続きで、直近の平成26年にいったん閉鎖している。
         駿河屋本店① 
     幻の紅煉り羊羹が・・・

今回ご紹介する伏見「駿河屋本店」の方は十代目善右衛門から天明元年(1781年)に分家、煉り羊羹の作り方や伝統をもっとも受け継いでいる、と言われている。その幻の紅煉り羊羹を求めて、伏見下油掛町にある本店を訪れた。京町にも新しい総本家があるのでややこしいが、村長の本命は油掛町の本店。幻の紅煉り羊羹は「その昔」という名前でひっそりとオーラを放っていた。
         駿河屋本店④ 
         歴史の詰まり方
         駿河屋本店② 
         紅煉り羊羹めっけ

当主は十一代目岡本善吉。店構えは江戸末期のもので、敷居が高そうに見えるが、入ってみると、家族的で街の老舗和菓子屋さんのよう。目的の「その昔」(半棹1本850円=税別)を買い求めた。竹皮でないのが少々残念だが、その中身が驚くべきものだった。
         駿河屋本店③ 
       ついに賞味の時が

羊羹の賞味期限は約1か月。ウマズイめんくい村でゆっくり賞味となった。きれいな紙包みを解くと、透明なラップに覆われた淡いピンク色の紅煉り羊羹が現れた。桃色と表現した方がいいかも。表面は砂糖が結晶化していて、白い雪がかかったよう。村民2号がお茶を入れながら「わあ、きれいね」と声を上げた。
         駿河屋本店④ 
         驚きの桃色
         駿河屋本店⑤ 
         包丁を入れる

ラップを取り、包丁を入れると、ザクッとした感触が伝わってきた。小皿に移してから、黒文字でひと口。きれいな風味で、ほどよい甘みが口中に広がる。糖化した表面のガサッとした歯触りがとてもいい。中はほどよいねっとり感。
         駿河屋本店⑨ 
         ため息が出る
         駿河屋本店2 
         秀吉も食べた?
         駿河屋本店10 
         半分かじる

調べてみると、備中白小豆と十勝白小豆を使っていた。インゲン豆の3~6倍はする高価な白小豆で、清流を思わせる風味が素晴らしい。さらに砂糖も和三盆というこだわり。余分な添加物は使用していない。淡い桃色はクチナシで着色している。桃山文化を思わせるような華やかできれいな味わい。そう表現したくなる。

駿河屋本店に電話してみる。たまたま十一代目岡本善吉さんが出た。ツイテいる。

「江戸時代初期に寒天を使った現在の羊羹が完成したようです。それを再現したものですが、まったく同じではありません。当時は砂糖はそんなになかったので、甘さは今ほどはなかったでしょうね。竹の皮に包んでお出ししていたようですが、現在は紙で包んでます。秀吉が食べたのも紅煉りと言われてますけど、よくわかりません。おそらく蒸し羊羹を工夫したものだったと思います」
         駿河屋本店⑦ 
         紅煉りの頂点

ついつい長話になってしまった。お客が来たような雰囲気だったので、失礼を詫びてから、慌てて電話を切った。目を閉じて、2016年10月26日から400年以上前の桃山文化と江戸文化に想いを寄せてみた。だが、悲しいかな、桃色の紅煉り羊羹は歴史の闇の奥に浮いたまま、こちらに向かって謎の矢を放ってくるのだった。

本日の大金言。

寒天を使った煉り羊羹の元祖は他にも江戸発祥説がある。寛政年間(1798年~)に日本橋で喜太郎という和菓子職人が作った、という説も有力。だが、寒天が京都伏見で誕生していることを考えると、駿河屋説の方が実感として説得力がある気がする。



                駿河屋本店7 

浅草志乃多寿司の「まぜ」

 東京・浅草に立ち寄ったついでに、浅草志乃多寿司(しのだずし)でいなりを手土産にしようと思った。以前、立ち寄ったら、たまたま休みで、ガッカリしたことがある。「おいなりさん」は村長の好みのシンプルフードで、京都の名店「乙羽(おとわ)」のものを賞味した時はそのまろやかな甘味と旨さに「京都のおいなり文化、恐るべし」とため息が出たこともある。

関東と関西のいなり寿司は形も味付けもかなり違う。関東は主に俵型で、味付けは全体的に濃い。関西(特に京都)は油揚げ文化の頂点で、昆布出汁が効いた薄口が特長的。形も三角形が基本。
         志乃多寿司① 
         浅草志乃多寿司

という前置きから、浅草志乃多寿司のいなりに移る。志乃多寿司は人形町総本店(明治10年創業)が元々の暖簾で、そこから神田志乃多寿司、四谷志乃多寿司、そして浅草志乃多寿司と暖簾分けしている。いずれも明治から大正にかけての創業で、東京のいなりの灯を守っている。

浅草志乃多寿司は雷門一丁目にあり、神田志乃多寿司から暖簾分けしているようだ。人形町や神田ほど大きな店舗展開はしていず、持ち帰り専門でこじんまりと営業しているのが、村長の好みの世界でもある。いなりとのり巻き(かんぴょう)を一定の量しか作らず、そのため夕方には売り切れ終了の札が下がる。
         志乃多寿司 
         庶民がいる

立ち寄った時間が午後2時だったが、5~6組ほどが待っていた。女将さんらしき女性が「お時間がかかりますが、よろしいですか?」。ここまで来て、異論はない。「まぜ8個入り」(税込み720円)を頼んだ。いなりが4個とかんぴょう巻きが4個。「まぜ」という表記がポエム。注文を受けてから板場で男性(三代目)が詰め始める。
         志乃多寿司② 
         東京のいなり

その「まぜ」をウマズイめんくい村に持ち帰り、ビールを飲みながら賞味となった。これが実に美味かった。京都のいなりを賞味してからというもの、東京のいなりは京都にはかなわないなあ、と思っていた。
         志乃多寿司③ 
         包みは江戸風?
         志乃多寿司⑤ 
         たまらん世界

だが、「作りたて」ということもあるのか、浅草志乃多寿司のいなりは油揚げに厚みがあり、ふっくらと煮込まれていてジューシー。色は濃い目だが、味はまろやか。京都のような昆布出汁の奥行きはないが、日本酒と砂糖と味りんのバランスがとてもいい。以前、日本橋高島屋地下で「人形町志乃多寿司総本店」のいなりを買ってきて賞味したことがあるが、油揚げは薄くて、ふっくら感が感じられず、中の酢飯も固めで、期待していた分、ガッカリしたことがある。
         志乃多寿司④ 
         二色の秀逸
         志乃多寿司⑥ 
         油揚げの秀逸
         志乃多寿司⑦ 
         裏側の秀逸
         志乃多寿司14 
         甘めの酢飯

浅草志乃多寿司のものは、酢飯もふっくらしていて、油揚げのふくよかな重量感がとてもいい。女将さんが「志乃多寿司はチェーン店ではないので、店によって作り方も味も違います」と話していたが、それが実感できる旨さ。酢飯には白ゴマも何も入っていず、煮汁が滲んでいる。直球勝負というのも潔い。
         志乃多寿司11 
         バランスがいい

のり巻きもバランスがいい。かんぴょうも素材にこだわり長時間煮込んでいることがわかる。ただ、のり巻きは千住「松むら」の方が村長の好みだが。ビールを飲み飲み食べ終えると、「どうでえ、東京のいなりも捨てたもんじゃないだろ?」という声が、胃袋の底から湧き上がってきた。

本日の大金言。

江戸時代天保年間に庶民のファーストフードとして、主に屋台で売られていたいなり寿司。それが明治・大正・昭和・平成へと受け継がれている。今でも庶民のB級フードとしての立ち位置は変わらない。おにぎりと並んで、日本の誇る米文化の粋だと思う。




                  志乃多寿司15 


ゴッホ後の「ふわふわオムライス」

 食欲の秋と芸術の秋。この二つを同時に堪能することにした。東京・上野「都立美術館」で開催されている「ゴッホとゴーギャン展」を観に行く。ゴッホとゴーギャン、この同時代の天才同士の運命的な交流がわかりやすく展示してあり、思ったほど混んでいないのが素晴らしい。
         都美術館①  
         ゴッホとゴーギャン展へ

特に村長はゴッホの人物画に感銘を受けた。村民2号はタヒチに移住する前のゴーギャンの作品に「へえー、ゴーギャンにこんな世界があったとはね」と驚きの表情を浮かべた。

ゴッホがゴーギャンのために用意した椅子の絵が頭に残ったまま、食欲の秋へと移動することにした。
「疲れたから2階のレストランにしましょ」
村民2号が思い出したように言った。
「私の知ってるフレンチのシェフが昔ここで修行したのよ。きっと美味いはずよ」
         ミュージアムテラス6 
         食欲の秋の行方

だが 、そのフレンチレストランはとうの昔に経営が変わっていて、今は「ミュージアムテラス」という店名のモダンな高級レストランになっていた。ダークブラウン基調の開放的で広いレストラン。7~8組が並んでいた。雰囲気は悪くはない。「もう歩きたくないわ。ここで妥協しましょ」
         ミュージアムテラス② 
         美味そう!

安くはないが、ゴッホとゴーギャンを観た後だから、「ま、いいか」と村長。窓側のいい席に案内されて、村長はメニューの中で比較的安い「ふわふわ玉子のオムライス」(税込み1250円)を、村民2号は「たっぷりキャベツのメンチカツ」(同1380円)を頼んだ。メニューの写真が実に美味そうだった。
         ミュージアムテラス④ 
         当たりか?
         ミュージアムテラス⑥  
         見かけは悪くない
         ミュージアムテラス⑤ 
     たっぷりキャベツのメンチカツ

5~6分ほどで料理がやって来た。早すぎる。嫌な予感。「ふわふわ玉子のオムライス」は卵を3個ほど使っているそうで、それがケチャップライスの上に覆うように乗っかっていた。デミグラスソースが山の麓に揺蕩っている。悪くはないが、カップスープくらいは欲しい。
         ミュージアムテラス⑦ 
         ふわふわか?

スプーンを入れると、あれれ、ふわふわ玉子がフワフワしていない。むろんトロトロもしていない。デミグラスソースは本格的で、味わい自体はまずまず。だが、ふわふわ玉子がぶかぶか玉子では看板が泣く。シェフの腕なのか、店の方針なのかはわからないが、ゴッホとゴーギャンの感動がやや冷めてしまった。ゴホゴホと咳が出てきそう。ゴーマンなオムライス、そんなダジャレフレーズが頭をクルクル回り始めた。
         ミュージアムテラス⑧ 
         ま、ひと口
         ミュージアムテラス10 
         いい匂い

気を取り直して、ケチャップライスにスプーンを入れる。具はチキンとマッシュルーム。ケチャップライスの濃い色と味わいは悪くはないが、ライス自体にツヤがない。ボリューム感も見た目ほどはない。あえて言うと、一粒一粒にドライなビジネスの匂いがする。下町の洋食屋が懐かしくなる。
         ミュージアムテラス⑨ 
         意外な世界

「メンチカツも悪くはないけど、期待していたのと違った。キャベツたっぷりって、中に入っているのかと思っていたけど、添えられた千切りキャベツのことなのね。それも特にたっぷりではない。値段を考えると、コスパはいいとは言えないわね。でもまあ、場所代だと思えば、こんなものかなって思うわ」

「このレストランは外食産業が経営しているレストランのようだ。座席も100以上ありそう。床もテーブルもダークブラウンで高級感があり、ゆったりしていて、悪くはない。女性スタッフの応対も悪くない。この雰囲気代が加算されているのかもな。でも、経営が変わる前に来たかったなあ。そのシェフは去年若くして亡くなったんだよね」

「期待しすぎるのがよくないのよ。人気美術館のレストランに過剰に期待しすぎてはいけない」
         ミュージアムテラス5 
         ロケーションはいい

テーブルの上には「ゴッホとゴーギャン展」のPRカードが置いてあった。天国のゴッホは何を思う? 窓の外には上野の森の緑。ロケーションは素晴らしい。芸術の秋と食欲の秋を両方同時に楽しもうというのがそもそも間違いだった? ゴホゴホゴーマンの刃がこちらに返ってきた。

本日の大金言。

美術館のレストランは評価がわかれる。村長の個人的な経験では、値段はそれなりで、味わいもそれなり、が多い。満足のレベルを下げるくらいがちょうどいいと思う。



                 ミュージアムテラス11 











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秩父名物「わらじカツ丼」に並ぶ

 食欲の秋、真っ盛り。今回テーブルに乗せるのは、知る人ぞ知る秩父名物「わらじカツ丼」である。わらじのようなデカい豚カツ・・・聞いただけでヨダレが出てくる。その本場が小鹿野町。人口1万2000人ほどの小さな町に、わらじカツ丼を出す店が17軒もある。これは行かずばなるまい。

「紫雲山 地蔵寺」を見たいというシバの女王とそば仙人をポンコツ車に乗せて、国道140号線をぷかぷか飛ばした。ダイエットに励む村民2号はお家でお留守番。色付き始めた秩父の山奥に入ってから、国道299号線に入って、さらに行くと、小鹿野町役場が見え、その先に目的のわらじカツ丼の元祖「安田屋」が視界に入った。今にも倒れそうなセピア色の古い家屋。ポエム。
         安田屋 
         元祖の店の佇まい
         安田屋① 
         食堂には見えない

平日だというのに、十人ほどの行列。「オレ、行列に並ぶのは初めてだよ」そば仙人がボヤく。「名物のわらじカツ丼を食べるにはこのくらいの行列はフツーよ」肉好きのシバの女王が最後尾に並んだ。村長も行列は嫌いだが、ここまで来たからには諦めが肝心。

20分ほどの待ち時間で店内に入る。田舎の食堂そのもので、むしろ殺風景な昭和の世界。テーブルは7つほど。見えないが、奥が厨房になっているようで、そこから豚カツを揚げるいい匂いが漂ってくる。
         安田屋② 
         メニューはこれだけ

並んでいるときにやや無愛想な女性スタッフが注文を取りに来て、全員「わらじカツ丼」(2枚入り850円=税込み)を頼んでおいた。隅っこのテーブルに案内され、そこでさらに7~8分待つ。
         安田屋③ 
         昭和が充満
         安田屋⑤ 
         おおおの世界

目の前にドンと置かれた「わらじカツ丼」は、蓋の隙間から豚カツが一部はみ出していた。ドンブリが正統派の磁器ドンブリ。いい風景。豚汁とタクワン付。蓋を取ると、確かにわらじのようなデカい豚カツが2枚、ドンブリを覆うように折り重なっていた。まさに揚げたてで、タレをくぐらせた絶妙な匂いが半径60センチを支配した。食欲中枢が刺激され、生つばを飲み込む。下のご飯は見えない。
          安田屋⑥ 
       ひれ伏したくなる

「すごいわねー。大きいので、一枚は蓋に置いて食べるのがここの食べ方よ」

シバの女王がそば仙人に教えている。村長は濃いめの豚汁をひと口飲んでから、一枚目にかぶりついた。醤油ベースの穏やかな甘辛ダレが利いている。掛け値なしに旨い。サクサク感の残っている薄いコロモと肉の柔らかさがとてもいい。肉の厚さは7~8ミリほどと薄めだが、国産豚のロース肉を使用しているそう。多分ラードで揚げているようで、その旨味が口中に広がる。
         安田屋⑧ 
         よっこらしょ
         安田屋⑨ 
       一枚は蓋へ移動
         安田屋11 
         たまりませーん

店は店主によると、「昭和の初期からやっています」とか。元々は肉屋だったようで、店の入り口に消えかけた「精肉店」の文字が見えた。一枚でも十分に満足できるボリューム。炊き立てのご飯に甘辛ダレがほどよくかかっていて、どんどんかっ込みたくなる。あっという間に半分を食べる。キャベツなど余分なものは一切敷いていないが、思ったほどの飽きが来ない。タクワンがいい箸休めになっている。
         安田屋12 
         タレの絶妙
         安田屋14 
         残りの天国

2枚目で残りをかっ込む。福井のソースかつ丼に似ているが、ベースがウースターソースではなく醤油というのがいささか違う。むしろ新潟のタレカツに近い味わい。だが、その美味さは福井や新潟の名店に引けを取らない。秩父恐るべし。あっという間に食べ終えると、腹周りが2センチほど広がった気がした。

シバの女王とそば仙人がまだ格闘していた。仕方なく男子トイレに行くと、トイレまであの懐かしい昭和の匂いを放っていた。

本日の大金言。

小鹿野町の名物「わらじカツ丼」は店によって若干の違いがあるようだ。だが、元祖「安田屋」は実にシンプル。くせになる美味さで、それ故に人気なのだと思う。行列は嫌だが、一度は食べてみる価値があると思う。暖簾を広げず、初心を忘れなければ、年に数回は通いたくなる。




                 安田屋15 





「神田まつや」のかけそば

 週末、久しぶりに江戸に出た。切り絵作家の小宮山逢邦さんを交え、敏腕編集者M氏と上野で居酒屋会議を行うため。気心の知れた相手なので、少々時間に遅れてもブーイングはない。

神田神保町に立ち寄ってから、小一時間ほど時間があったので、一杯飲む前に、須田町の「神田まつや」に立ち寄りたくなった。「かんだやぶそば」と並ぶ都内でも有数の老舗そば屋。創業は明治17年(1884年)。江戸の面影を残す数少ないそば屋でもある。
         まつや① 
         タイムスリップ

宮仕え時代に大ボスがまつやはいいぞ。相席だから肩を寄せ合って食べる。それがいいんだ。ぬる燗をやってから、締めのかけが美味い」と言っていたことを思い出したからである。
         まつや② 
         暖簾の先は?
         まつや③ 
         かけ、に限る
         まつや④ 
      明治が滲み込んでいる
         まつや⑤ 
         待つ時間
 
夕方5時ちょい前。この時間帯は比較的客が少ないので狙い目。もう少し時間が遅いと行列、になる。わさびかまぼこで一杯、と考えたが、後のことがあるので我慢して、「かけそば」(税込み650円)だけをかっ込むことにした。江戸言葉でいうと「手繰る(たぐる)」。酒抜きとは野暮の極み。

至福の一杯とは、まさにこのかけそばのことを言うのではないか。年季の浸みこんだ黒光りしたテーブルと竹壁、天井・・・隅々からも江戸の匂いを放っている。柱時計が明治・大正の面影を残している。「相席ですけど、よろしいですか」「もちろん」女性店員のきびきびした自然な動きと対応が心地よい。

注文してから10分ほどの待ち時間。斜め向かいの着物姿の中年女性も「かけ」を食べていた。自然で隙のない動き。村長とは月とすっぽん、ここに来るにはまだ人生修業が足りないかもなあ、そんな思いが頭をかすめる。
         まつや⑧ 
         シンプルの極み
         まつや⑥ 
      何も足さず、何も引かず

角盆に乗ってやって来た「かけそば」は、鰹出汁のいい匂いをゆったりと放ちながら、黒光りするテーブルに納まっていた。ゆったりとしながら、隙というものがない。それに小皿の刻みネギ。シンプルの極み。

つゆはかえし(醤油ベース)がきつめに見えるが、ひと口すすると、穏やかでまろやかな旨味がじんわりと来る。心にまで滲み込んでくるよう。単なる鰹出汁とかえしだけで、ここまで深い味わいは出ないと思う。百年以上の技がそのシンプルの奥に潜んでいる? これ見よがしに説明していないことが、凄味となっている。あんた、粋だけど、憎いねえ、と言いたくなる。
         まつや10 
         江戸の匂い
         まつや11 
         シンプルな深み

そばは挽きくるみで、村長がこれまで食べた手打ちとはいささか違う。エッジがさほど立っていず、丸みさえある。だが、コシといい、ノド越しといい、申し分がない。見落としそうになるほどさり気ない。空気投げのような、達人の味わいとでもいう他はない。
         まつや12 
      慌ててそば湯を入れる

気がつくと、一滴残らずつゆを飲み干していた。途中でそば湯を入れるのを忘れてしまうほど。体中に温かいいい余韻が沈み込んでいる。そのまま、ヨタヨタと上野へと向かうのだった。極楽とんぼめ。

本日の大金言。

シンプルの中に深みがある。かけそばにそれを感じるのは稀だと思う。池波正太郎は「まつや」について、「昔の東京をしのばせるに十分」と書いている。爪の垢を煎じたい。



                 まつや14 



松阪牛串と絶品刺身の夜

 三重県松阪市といえば、まず思い浮かぶのは松阪牛だろう。高いけど食いたい、食いたいけど高い。

揺れ動く心のまま、午後7時過ぎ、東横インにチェックイン。いざ夕飯へ。松阪を訪れたのは3年ぶり。3年前に行った小料理屋はすでに消えていた。頭を切り替えて、通りを歩くサンダル履きのオッサンに情報収集することにした。すると、まずまずの情報をゲット。「魚の美味い居酒屋」が近くにあり、松阪牛も食べられるそう。「美味いでっせ」とオッサンがニッと笑った。しかも、そう高くない、とも。期待しすぎず、すぐ近い京町へと向かった。
         松阪白③ 
      何思う?松阪城の石垣

松阪は戦国武将・蒲生氏郷が切り開いた城下町で、その後、氏郷は秀吉によって会津若松へ移封された。今でいうと、ポストは上がったものの地方へ飛ばされたようなもの。12万石から91万石の大大名となり、その後、39歳の若さでこの世を去る。「限りあれば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風」という美しい、暗号のような辞世の句を残している。その意味を解くのが村長の秘めたワークでもある。

いかんいかん、つい脱線してしまう。この場は美味いもの探し、である。さて、その貴重な情報こそ「和風居酒屋 梅一(うめいち)」だった。雑居ビルの一階奥に赤ちょうちんが見え、海老茶の暖簾が下がっていた。赤ちょうちんには「寿し」の文字。
         梅一① 
         当たりかハズレか?

入るとすぐ右手が一枚板の長いカウンターになっていて、対面には年季の入った店主と女性、それに配膳係の女の子が二人ほど。雰囲気から地元客が多く、結構混み合っていた。左側には半個室のテーブル席もある。
         梅一② 
         松阪牛の文字

ここで食べた「松阪牛串し」(1本700円)が美味だった。量は少ないが700円なら、めっけもんだと思う。串焼きで、味付けは塩だけ。それにワサビ。生ビールを飲みながら、かぶりつくと、松阪牛特有の甘い脂が口中に広がった。焼き加減はウェルダン。頭に星が宿る。女性スタッフは愛きょうがよく、肉のランクを聞くと、「ウチの大将はいいものしか置いていないので、A4以上です」と軽く言った。
         梅一④ 
         おっ、いい匂い
         梅一2 
         ガブリと行け

だが、村長は、その後に頼んだ「造り 5種盛り」(900円)がさらに気に入った。本マグロの赤身、イカ、鯛、ワタリガニ、ボラ、カツオのたたき、それに鱧(はも)の湯引きまで。5種盛りのはずが、二つ多い。女性スタッフに言うと、「大将のおまけです」。うむむ。
         梅一⑨ 
         思わぬ世界が・・・
         梅一12 
         黄金の時間

大将は元々は寿司職人で、8年ほど前に、ここで和風居酒屋を開いたそう。料理のこだわりが見て取れる。京都の地酒「徳次郎」(1合600円)をチビチビと飲みながら、本マグロの刺身、イカ、鯛・・・と箸がすすむ。特別純米酒「徳次郎」は品のいい濃厚で柔らかな美味さ、京都の酒の実力を改めて思い知らされる。
         梅一10 
         一級品だよ
         梅一14 
         鯛の美味
         梅一13 
         鱧(はも)の湯引き
         梅一15 
         イカの美味

刺身は鮮度といい、旨味の凝縮といい、文句のつけようがない。特に気に入ったのはイカ。甘みとこってり感がひと味違う。聞いてみると「赤イカです」。イカの中でも特に美味と言われる絶品イカである。美味いはずだよ。近くには魚市場もあり、松阪が松阪牛だけではないことを思い知らされる。
         梅一5 
         赤イカだった
         梅一⑧ 
         地酒の中に・・・

ふと地酒の中に「写楽」があることに気付いた。会津若松の地酒で、蔵元は蒲生氏郷が造った鶴ヶ城のすぐ近くにある。それがこの松阪にあることにある種の感情が湧き起こった。蒲生氏郷繋がりではないか? 高揚したままの面持ちで女性スタッフに聞いてみると、「へえー、そうなんですか。知らんかった」というすげない反応。天を仰ぐと、遠くで蒲生氏郷が高笑いしている気がするのだった。

本日の大金言。

松阪と会津若松。今ではこの二つの街の関係を知る人は少ない。戦国武将・蒲生氏郷の造った街が五百二十二年の時を超えて、夜空で交差する瞬間もある。松阪城の石垣と鶴ヶ城の石垣はよく似ている。



                梅一16

伊勢うどん元祖の深い味

 これまで何度か伊勢うどんについて、そのコシのない意外な凄味を書いてきたが、その本場伊勢には行ったことがない。知人でコラムニストの石原壮一郎さんが「伊勢うどん友の会」作って活発にPR活動していて、「一度はゆるりと伊勢に行ってみては?」と話したこともある。

奈良まで足を延ばしたその足で、その本場に短い足を延ばすことにした。これまで東京で賞味した伊勢うどんとはひと味違う? 江戸時代に流行した「一度は行きたい伊勢詣で」を遅ればせながら、実行することにした。ぎっくり腰持ちでコシのない男がコシのないうどんを食べに行く。案外ポエムかもしれないぞ。
          伊勢神宮内宮 
        伊勢神宮内宮

伊勢神宮内宮に初参拝してから、外宮に戻って、周辺をブラ歩き。何人かの地元のおばはんと仲良くなり、「観光客が行かない地元の人が行く店」を聞き出した。「中むら」「山口屋」「まめや」などメディアに取り上げられることの多い店は「地元の人はあまり行かへん。うちらが行くのは・・・」と教えてくれたのが、「ちとせ」だった。
          ちとせ① 
       本場の元祖に到着

伊勢市駅から歩いて10分ほど、むしろ宇治山田駅の方が近い。おばはんが教えてくれた通りに行くと、昭和の田舎の食堂のような店構えが見えた。小雨が降っていたこともあり、どこかうら寂しく見えた。「名物伊勢うどん そば」と染め抜かれた紺地の暖簾もすすけている。当たり、の予感。
          ちとせ1 
          地元客がほとんど
          ちとせ15 
          ええのう
          ちとせ6 
        中華そばまである

一歩踏み入ると、すぐ左手が板場になっていて、そば屋の板場のよう。黒光りした木製テーブルが7つほど。午後1時半過ぎだったこともあるのか、客の入りは七分ほど。メニュー札を見ると、伊勢うどんだけではなく、そば、とんかつ定食、カレーライス、チャーハンまである。

若い女性店員に「伊勢うどん」(税込み500円)を頼んだ。地元おばはんは「伊勢うどんを楽しむなら、卵とか肉とか、余計なものは入れずに、素の伊勢うどんが一番ええよ」と教えてくれた。その助言に従うことにした。
          ちとせ⑤ 
        一見フツーだが・・・

6~7分で、お盆に乗って、伊勢うどんがやってきた。待っている間に古い新聞記事が飾ってあったので、目を通すと、この店の創業が大正の初めで、先日亡くなった永六輔さんがこの店を気に入り、「伊勢うどん」と命名したことがわかった。それまで、伊勢うどんという名称はなく、ただ「うどん」とか「宇治山田のうどん」と言っていたらしい。つまり、ここは伊勢うどんの元祖とも言える。
         ちとせ④ 
         湯気の向こう側

むろん、宇治山田のうどん自体は江戸時代よりももっと遡るようだ。それがお伊勢さん参りが盛んになる江戸時代に口コミ知られるようになった。釜で長時間茹で、溜まり醤油でズズズと食べる。その歴史的な流れのままの「伊勢うどん」が目の前でシュウシュウと湯気を立てていた。
          ちとせ⑧ 
          かき混ぜると・・・

ぶっとい麺と溜まり醤油、上には刻みネギというシンプルな構成。だが、これが絶品だった。箸で混ぜると、釜から揚げたばかりの、見るからにモチモチしたうどんが黒々と染まっていく。溜まり醤油の何とも言えないいい匂いがほんわかと立ち上る。濃厚な色がどこか禍々しいほど。
          ちとせ⑨  
        おおおの世界
          ちとせ10 
          ま、食べてみなはれ

ひと口。何というもっちり感・・・鰹(かつお)出汁の効いた溜まり醤油とともに、コシのない、ふくよかなもち肌が口中の粘膜に「どないでっか」とささやきかけてくる。色は濃いが、味は濃くない。何とも言えない穏やかな旨味が口中から体全体にじんわりと広がってくるよう。ほどよい甘み。東京で食べた伊勢うどんとはふた味違う・・・。ひょっとして鰹の他にいりこも入っているかもしれない。
         ちとせ11 
         溜まり醤油の深み
         ちとせ12 
         出汁の効き方

シンプルだが、手間ひまのかかり具合が見て取れるような、奥の深い味わい。ひと昔前、コシのないうどんなんてうどんじゃない、と言われた時代があった。だが、さぬきとは対極に位置するこの伊勢うどんを食べると、世界観が変わるかもしれない。コシがなくてもいいじゃないか。安倍首相も参拝する伊勢神宮の近くで、コシのないうどんの深過ぎる味わい。これは哲学的なうどん、かもしれないぞ。口中に残るいい余韻を噛みしめながら、村長はぎっくり腰を押さえて立ち上がろうとした。だが悲しいかな、よろっと来てしまった。

本日の大金言。

東京で食べる伊勢うどんは冷凍が多いが、さすが本場は生麺を長時間茹でる。その時間は約一時間ほど。さぬきのコシのあるうどんより茹でる時間は長い。ただ単にコシがない、とはわけが違う。うどんも人間もコシだけでは判断すると、世界を見間違うかもしれない。



                ちとせ13 


秀吉も食べた「うぐいす餅」の元祖

本日は気の遠くなるようなあんこ生菓子をご紹介することにしよう。明治や江戸がつい先日、と思えるような和菓子「御城之口餅(おしろのくちもち)」である。何せ関白豊臣秀吉が初めて賞味し、そのあまりの美味さに「鶯餅(うぐいすもち)」と命名したというエピソードが残っている。

この手の話は裏が取れない分、「証拠はあんの?」と突っ込まれれば、ちと困ってしまうが、その店が奈良・大和郡山市にある「本家菊家」となると、話が違ってくる。創業が天正13年(1585年)頃、現在の当主が26代目。川端道喜には負けるが、亀屋陸奥や虎屋に続く歴史をもつ超老舗御菓子司。しかも京都ではなく、大和郡山市。これは実際に行って食べるしかない。
         本家菊屋1 
     店構えにため息が出る

というわけで、当麻寺から近鉄線で、大和郡山駅まで足を延ばすことにした。駅から歩いて5~6分ほど、市役所のちょうど向かい側に「本家菊家」の古い木造の建物が見えた。その佇まいに気後れしてしまった。商家造りの大きな店構えで、何度か火事に遭い、現在のものは江戸時代末期の建築とか。
         本家菊家② 
         タイムトンネル

入り口が開放的な造りで、縁台(戸板を倒すと縁台になる仕組み)に歴史がしみ込んでいる。柿色の水引暖簾がポエムである。その下をくぐって石畳の敷いてある店内に入ると、左側が事務所になっていて、その仕切りの部分に、「御城乃口餅」など商品が陳列してあった。奥がどうやら板場のよう。右手が小上がりになっていて、銅製の茶釜や古い看板(年代は不明)などが置いてある。ふと見ると、干菓子の木型がさり気なく壁や天井に並んでいる。数百年の歴史を否応なく感じさせられる。
          本家菊家⑤ 
          御城之口餅さま

「あのう御城乃口餅を食べたいんですけど、ここでは食べられませんか?
事務所に一人いた女性に恐るおそる尋ねてみた。賞味期限が1~2日ほどなので、ここで食べるしかない、と考えたからである。

「そちらでよかったらどうぞ。1個からでも食べれますよ」
「1個おいくらですか?」
「百円です」
「では5個くださいな」

そちら、と指差されたのは、緋毛せんが敷いてある小上がり部分のちょっとしたスペースだった。ポエム。7~8分ほど待っていると、陶器の皿にきな粉がたっぷりかかった「御城之口餅」が5個運ばれてきた。大きさはウズラの卵大で、現在の鶯餅よりもかなり小ぶり熱いほうじ茶が付いている。このサービスが自然体で、感心させられる。
          本家菊家2 
       鶯餅の元祖「御城之口餅」

黒文字でひと口。きな粉は国産青大豆で、いい香りが口中に広がる。それに餅の柔らかさ。そして、中のつぶしあんがやや甘めだが風味がとてもいい。美味。聞くと、丹波大納言小豆を使っているそうで、きれいなこしあんにふっくらと炊いた大納言を加えたようなていねいな作りがわかる。
          本家菊家⑦ 
         上質の味わい
         本家菊家⑧ 
         アーユー秀吉?

秀吉の兄・豊臣秀長が大和大納言になった後、秀吉を迎えるときに、「本家菊家」の初代に命じて作らせたのがこの生菓子だった。秀吉はどうやら和菓子好きだったようだが、そのあまりの美味さに感動、形状から「鶯餅(うぐいすもち)と命名せよ」となったそう。

それがやがて徳川の時代になり大和郡山城の大門前に店があったことから、「御城之口餅」と名前を変えたようだ。徳川の世になり、秀吉の命名では具合が悪いということもあったのではないか。 
         本家菊家⑨
         言葉はいらない
         本家菊家10 
         見事な世界
         本家菊家11 
             あーん

これだけの老舗が敷居を低くして、怪しい旅人に1個百円で店の中でも食べさせてくれることに驚かされる。少し前までは手包みで作っていたようだが、店の規模が大きくなり(奈良県内に10店舗)、さすがに手包みから器械包みに変えたようだ。ちょっと残念。

とはいえ、本店の中で食べる鶯餅の元祖はひと味もふた味も違った。熱いお茶を飲みながら、あっという間に5個平らげる。不意に茶釜の前に千利休が座って、こちらをじっと見ている気配がした。なんちゅう汚い食べ方、しはりまんのや。はよう村に帰りなはれ・・・。

本日の大金言。

形は小さいが、約430年前の鶯餅は今のものと変わらない。それどころか、一ランク上の味わい。秀吉の舌の肥え方が偲ばれて面白い。

                本家菊家12 

「よもぎ餅の最高峰」に涙の再会

京都から奈良・葛城市にある古刹「当麻寺(たいまでら)」までトコトコと足を延ばすことにした。本当の目的は当麻寺ではなく、よもぎ餅界の総本山(と勝手に言っている)「中将餅本舗」で、作り立ての中将餅を賞味すること。
          当麻寺① 
     「古刹当麻寺」にごあいさつ

近鉄線を二つほど乗り継いで、当麻寺駅で降りる。百メートルほど先に古い入母屋造りの建物が見えた。中将堂本舗、である。創業はさほど古くはなく、昭和4年(1929年)。だが、その歴史の風雪に耐えてきたような外観と「よもぎもち」と染め抜かれた白地の暖簾を見た瞬間、思わず目頭が熱くなる。思えば遠くに来たもんだ。
          中将堂本舗① 
        ついに中将堂本舗
          中将堂本舗② 
          ポエムやのう

去年5月のこと。東京に舞い降りた当麻寺先生が手土産に持参してきたものが中将餅だった。当麻寺にしか店を出していないことと、賞味期限が1~2日しかないために、村長にとっては幻のよもぎ餅だった。その時の驚きと感動はすでにこのブログ(2015年5月19日付)で書いているので詳細は省かせていただきますダ。

さて、実際に店で食べる中将餅はどんなもんだろう? 午後には売り切れてしまうこともあるので、1週間前に2人分(1人分では足りない)を予約しておいた。暖簾をくぐると、すぐ売り場兼板場になっていて、そこに白衣姿の女性が6~7人ほど、作業を分担していた。一人が搗きたてのよもぎ餅を手でちぎって、それにヘラでこしあんを擦り付けている。職人芸。ポエム。
          中将堂本舗2 
          引戸の先
          中将堂本舗④
               夢の世界?
          
中将堂本舗19 
              あんこ様作り

右手奥が喫茶コーナーになっていて、そこに腰を下ろして、5分ほど待っていると、出来立ての中将餅がやって来た。煎茶とセットで一人前(2個)300円。2個追加(160円)しているので合計460円ナリ(税込み)。一人で二人前を注文している客は他にいない。何故かつい優越感を感じる。ほとんどビョーキかも?
          中将堂本舗⑥ 
         メニューはこれ一つ

まずは煎茶をガブッと飲み、おもむろに中将餅に黒文字を伸ばした。去年、当麻寺先生が持ってきたものよりもこしあんの色が淡い気がした。よもぎ餅がいい色で、その伸びが半端ではない。ややオーバーに言うと、搗きたて出来立ての中将餅が黒文字から垂れ落ちそうになるほどの柔らかさ。
          中将堂本舗⑦ 
        中将餅、ご登場
          中将堂本舗⑨ 
          きれいなこしあん
          中将堂本舗13 
          言葉は不要

口中に入れると、きれいなこしあんの風味とよもぎの香りが広がった。ほどよい甘さ。よもぎは葛城に自生するよもぎを使っているそう。絶妙な美味さだが、村長の脳内に期待したほどのそよ風が吹いてこない。どこか物足りない。前回はこってり感も感じたが、今回はそれではなくむしろ品のいい、ピュアな味わい。
          中将堂本舗4 
          た、たまらん
          中将堂本舗16 
          よもぎ餅

素朴な、どこか葛城の里を思わせる野暮ったさが昇華してしまっている・・・そう感じるのは気のせいか? 好みの問題かもしれないが、去年の方が村長の好みで、ひょっとして一日経たのと作り立ての微妙な違いなのかもしれない。どら焼きも一日置いた方が味がなじんで美味い。
          中将堂本舗17 
          どうどす?

あっという間に二人前を平らげる。店の人にあれこれ聞いてみる。記者根性がいまだに抜けない。小豆は北海道産大納言小豆を使い、砂糖は白ザラメだそう。去年電話で聞いたときは確か「丹波大納言小豆も少し入れてます」と話していたが、丹波産は止めたのだろうか。

もう一人前追加しようか、迷っていると、あんこの神様が耳元でささやいた。十分な美味さやろ。満足が肝心やでェ。それに次があるやろ、大和郡山の本家菊家。襟を正して、正座して食べなあかんでェ。

本日の大金言。

ワインにもそばにも微妙な出来不出来がある。毎日100パーセントはありえない。その差を少しでも縮めるのが職人の技だと思う。そしてまた、微妙な違いを楽しむのもまた楽し、である。




                中将堂本舗18

恐るべき京都、花街の「洋食弁当」

 本日テーブルに乗せるのは、京都の花街・宮川町の老舗洋食店で食べた「洋食弁当」である。

グルメ先生と大出氏との待ち合わせ場所が四條南座前となった。グルメ先生は歌舞伎通で、待ち合わせ場所に南座前を指定することが多い。夕方6時前、待ち合わせ完了。グルメ先生はいつもながらオシャレな帽子。大出氏はフランクなスタイル。村長はヨレヨレの綿スーツ姿。

夕暮れが忍び寄る鴨川を遠目に見ながら、グルメ先生の先導で宮川町通りに入った。宮川町は上七軒や先斗町、祇園などとともに京都五花街の一つ。

まるでグラビアのような絵になるお茶屋が並ぶ石畳を歩く。グルメ先生の渋い講釈と毒舌が続く。中国人観光客の多さに辟易しているのが伝わってくる。
          富久屋② 
       花街の一角?

グルメ先生が案内してくれたのが「グリル 富久屋(ふくや)」だった。丸太町の食堂に案内する予定だったようだが、ちょっとした行き違いで、南座で待ち合わせとなってしまったために、歩いて行ける距離にあるこの洋食屋になったようだ。
          富久屋① 
          地味な佇まい
          富久屋③ 
          ポエムやで

だが、この洋食屋がなかなかの店だった。入り口にある、やや寂し気なサンプル棚が古き良き街の洋食屋の必須条件を満たしている。サンプル棚にはわざとらしさがあってはいけない。明るすぎてもいけない。敷居が高くないのも好感。

三条商店街にある、グルメ先生行きつけの「ちから」もそうだが、京都の街の古い食堂の底力には驚かされる。この「富久屋」も創業が明治40年(1907年)。だが、どこにも百年以上の歴史があることを表記していない。「京都では百年くらいの歴史で老舗言うたら笑われます。そんな恥ずかしいことあらしまへんで」祇園の和菓子屋「松葉屋」の店主の言葉が耳に残っている。
          富久屋⑤ 
          メニューの一部

さて、「洋食弁当」(並1360円=税込み)
。グルメ先生は「高い」と言ったが、場所柄仕方がないと思う。生ビールを飲みながら、待っていると、12~3分ほどで、その「洋食弁当」がやってきた。楕円形の漆器の弁当で、ひと目でその実力の高さがわかった。きめの細かい、揚げ立てのフライがいい色で納まっている。店主の姿は奥の厨房の中にあり見えないが、腕のいいコックなのは間違いない。
          富久屋6 
          さり気ないぜい沢
          富久屋⑦ 
          盛りつけの妙

タルタルソースがかかった小ぶりの海老フライが2本、ひと口カツが2枚、それにデミグラスソースで包んだミニハンバーグが二つ。さらに正体不明の唐揚げのような大きめのフライも。ミニトマト、それにシシトウ、レモンも添えられていた。艶やかに炊かれたライスには黒ごまがパラパラとかかっている。タクワンが二切れ。盛りつけも素晴らしい。手抜きがどこにも見られない。ポエム。
          富久屋⑧  
          不思議なフライ
          富久屋⑨ 
          白身魚の正体は?
          富久屋11 
       サクッと揚がったヒレカツ
          富久屋14  
          手抜きがない

正体不明の大きなフライは、プルンとした白身魚で、実に美味い。女将さんに聞くと「ボラです」。海老フライ、ひと口カツ、ミニハンバーグもフツーに美味い。この「フツーに美味い」がフツーに存在していることが京都の凄味ではないだろうか。スマホ片手の観光客が殺到する店などにはない世界だと思う。

街なかに潜む百年洋食屋の底力と、こういう店をフツーに知っているグルメ先生の底力に素直に脱帽することにしよう。

本日の大金言。

東京は下町の洋食屋がいい。京都も裏通りの洋食屋がいいと思う。入り口に余分な飾りやこけおどしのない店がいい。入り口が狭くて奥の深い文化。その先の迷路。別の見方をすると、恐ろしい世界でもある。



                 富久屋15

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卵サンド変じて「すき焼き弁当」

 ペンの仕事で久しぶりに京都へ。開始までに1時間ほど時間があったので、卵サンドの伝説的な店「コロナ」(すでに閉店)の作り方を受け継いでいる「喫茶マドラグ」に立ち寄ることにした。烏丸御池で降りて、押小路通りへ。

だが、スマホ片手の行列があまりに凄いので、方針を転換することにした。近くをブラ歩き。時間も限られている。すると、京町家の料理屋が視界に入った。「牛の助」の看板と暖簾。ちょうどランチタイムで、「すき焼き弁当」(850円~)の文字が「おこしやす」とささやいた(気がした)。入り口にいろんなものが貼ってあるのが少々気になったが、そう悪くはない雰囲気。時間もないことだし、ここいらで妥協することにした。
         牛の助①  
         ディス・イズ・キョート?
         牛の助② 
         掘り出し物か

古い京町家を改修した造りで、引き戸を開けて入ると、左手にテーブル席と掘りごたつ席が見えた。座敷もあるようだ。右手奥が白木のカウンター席になっていて、そこに案内された。対面にいい雰囲気の料理人が二人いた。うむ。

メニューから「すき焼き弁当定食(並)」を選んだ。850円というのは国産和牛切落とし70グラムで、90グラムになると950円(税込み)。少々見栄を張って、90グラムにした。
         牛の助③ 
         財布と相談・・・


10分ほどの待ち時間で、いい匂いとともにすき焼き弁当がやって来た。生卵、ご飯、味噌汁付き。90グラムの切落とし和牛は見るからに旨そうで、ボリュームもある。焼き豆腐、長ネギ、糸こんにゃくもいい色で湯気を放っていた。思わずヨダレが出かかる。山菜のおひたし、千切りキャベツ、煮豆、柴漬けなど脇役陣も気が利いている。悪くない構成。
         牛の助④ 
         すき焼き弁当さま
           牛の助⑤ 
         たまらん
         牛の助10 
         和牛の切落とし

表面がプルンとした生卵を溶いて、まずはそこに熱々のすき焼きをくぐらせる。京都のすき焼きは砂糖を多めに加えるので、東京より甘い気がする。ラードを敷き、そこに肉を入れて軽く焼き、砂糖と醤油をそのまま入れる。割下を使う東京流とはいささか違う作り方。そのためか、意外と味が濃い。
         牛の助11 
         ゆっくりと急げ
         牛の助⑨ 
       秀逸な糸こんにゃく
         牛の助6  
         長ネギの存在

だが、生卵につけると、それがいい味加減になる。和牛の切落としは値段の割には柔らかくて旨い。店のスタッフに聞いたら、店主の実家が京都・美山の牛飼いで酪農家だそう。そのために「安く和牛を提供できるんですよ」。オープンして7年になる。

糸こんにゃく、長ネギ、焼き豆腐もまずまずの旨さ。ご飯が艶やかに炊かれていて、ボリュームもほどよい。途中で炊き立てのご飯にのせ牛めしにして食べる。じんわりと幸せ感が胃袋のあたりから立ち上がってくる。
         牛の助13 
         どないでっか?
         牛の助14 
         秀逸な煮豆

東京・人形町「今半」ほどの満足感ではないが、値段を考えると、これはめっけもの。京都の底力を感じる。脇役の煮豆の美味さも気に入った。夜はグルメ先生と落ち合うことになっている。元国会議員秘書・大出氏も一緒。京都はいつ来てもスリリングで奥が深い。

本日の大金言。

京都が日本の食の最高峰であることに意義はない。だが、最近、スマホ片手の観光客が多すぎる。どうしたものか。グルメ先生は中国人観光客の多さとマナーの悪さに顔をしかめている。おこしやす文化は繊細の上に成り立っている。




                 牛の助15 

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プロフィール

赤羽彦作村長

Author:赤羽彦作村長
あの!エンターテインメント新聞で記者、デスク、編集プロデューサーとして活躍。思うところあって、原発で揺れるヤポネシアを辺境から見つめ直すべく、イカダを組み、オンボロ旗を揚げ、組織を脱出。荒海に乗り出す。「B級うまいものの宝島」を目指して、櫂をガタガタと漕ぎ出すことにした。一か八か泥船となるか、間違って宝船となるか?
特に麺類と和菓子にはうるさい。「舌の上から斜めに世界を見る」などとほざいている。はっきり言ってバカの3乗である。年齢不詳。乙女座、AB型。村民を募集している。

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