秀吉夢の跡で「いか丼」食らう
なごやじょう・・・ 名古屋城ではなく、名護屋城。歴史好きなら知っている人も多いと思う。豊臣秀吉が「唐入り」と称して、唐津の先、玄界灘の突端に築いた巨大なお城、である。ただの前線基地ではない。当時は大坂城に匹敵する規模で、その周囲には徳川家康を始めほとんどの大名が屋敷(陣)を構えた。お城はたった半年で完成したと言われるが、にわかには信じがたい。
とうとう来た
文禄(ぶんろく)の役だけで約15万もの大軍が玄界灘を渡って朝鮮に入り、当初は目覚ましい戦果を挙げたものの、次第に形勢が悪化し、いったんは休戦したものの、その後の慶長の役の最中に秀吉が死去、そこから豊臣の時代が崩壊していった。
名護屋城は「豊臣秀吉」という名の一人の狂人(誇大妄想狂?)の夢の跡でもある。徳川の時代になって、お城は徹底的に破却された。今では世界史の中でも稀有な幻の巨城となっている。芭蕉の名句、むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす、が頭をよぎる。
石垣が残っている
その秀吉の夢の跡は想像していたよりスケールが大きく、石垣も伝えられるよりも多く残っていた。ずっと追い続けている戦国武将・蒲生氏郷の影をかすかに見ることはできたが、その間に流れた420年以上の歳月はあまりに遠い。
何が見える?(天守閣跡地)
名護屋城跡を見る・・・今回の九州の旅の目的の一つを終え、玄界灘の風を受けていると、冬姫・・・じゃなかった村民2号が「お腹すいたわ。何時だと思ってるの?」の声で現実に引き戻された。慌てて時計を見る。午後1時を優に過ぎていた。
腹が減って戦が・・・
期待が高まる
狙い定めていた「呼子お魚処 玄海(げんかい)」へ。名護屋城跡からレンタカーで数分。「呼子に行ったらイカが美味いですよ。秀吉も食べたかもしれませんよ(笑)」(唐津観光協会)で、白羽の矢を立てた店。この時期は剣先イカ(ヤリイカ)のシーズンで、店のすぐ前が港になっていて、店内にも巨大な生簀(いけす)がある。期待できる展開。
さらに期待が・・・
メニューの一部
ここで食べたのが「いか丼」(税込み 1080円)である。「いかの活き造り発祥の店」の看板。昭和44年(1969年)創業とか。
これが本場のもので、質量ともに満足のレベルだった。「ついさっきまで泳いでいた剣先イカをほぼ一杯分使ってます」(女性スタッフ)というもので、生卵の黄身が中央に乗っていた。刻み海苔が敷かれ、白ゴマと醤油ダレ、それにワサビがいい具合。お吸い物は鯛のアラ汁。漬け物付き。
着丼!
絶景かな
よだれは禁物
アラ汁
剣先イカはねっとり感があり、甘みが強いと思う。グニュッという歯ごたえ。甘めの醤油ダレと白ゴマが柔らかめに炊かれたご飯とよく合う。ご飯はもう少し固めが好きだが、悪くはない。卵の黄身は微妙。混ぜるとクリーミーになるが、イカ自体の美味さが少し減ると思う。絵柄的には素晴らしいが、個人的には卵はない方がいい。
呼子のイカ
醤油ダレをさらに・・・
イケイケ
あっという間に丼ぶりの底に達してしまった。腹九分の満足感。「期待していたほどではないけど、潮の香りと窓から見える海がとってもいいわ」とにわか冬姫。夢の跡から400年以上、往時の面影の消えた漁港で、2匹の極楽とんぼがしばしの間、時空を超えてそれぞれの思いの中に沈むのだった。
本日の大金言。
秀吉の妄想は形を変えてその後も日本史の中に忽然と現れる。明治維新後、戦前の大本営・・・そして前線に送られるのはいつも無名の兵隊だと思う。歴史は繰り返す。人間、この不思議なる生き物・・・合言葉は、まずトップから戦場へ。
とうとう来た
文禄(ぶんろく)の役だけで約15万もの大軍が玄界灘を渡って朝鮮に入り、当初は目覚ましい戦果を挙げたものの、次第に形勢が悪化し、いったんは休戦したものの、その後の慶長の役の最中に秀吉が死去、そこから豊臣の時代が崩壊していった。
名護屋城は「豊臣秀吉」という名の一人の狂人(誇大妄想狂?)の夢の跡でもある。徳川の時代になって、お城は徹底的に破却された。今では世界史の中でも稀有な幻の巨城となっている。芭蕉の名句、むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす、が頭をよぎる。
石垣が残っている
その秀吉の夢の跡は想像していたよりスケールが大きく、石垣も伝えられるよりも多く残っていた。ずっと追い続けている戦国武将・蒲生氏郷の影をかすかに見ることはできたが、その間に流れた420年以上の歳月はあまりに遠い。
何が見える?(天守閣跡地)
名護屋城跡を見る・・・今回の九州の旅の目的の一つを終え、玄界灘の風を受けていると、冬姫・・・じゃなかった村民2号が「お腹すいたわ。何時だと思ってるの?」の声で現実に引き戻された。慌てて時計を見る。午後1時を優に過ぎていた。
腹が減って戦が・・・
期待が高まる
狙い定めていた「呼子お魚処 玄海(げんかい)」へ。名護屋城跡からレンタカーで数分。「呼子に行ったらイカが美味いですよ。秀吉も食べたかもしれませんよ(笑)」(唐津観光協会)で、白羽の矢を立てた店。この時期は剣先イカ(ヤリイカ)のシーズンで、店のすぐ前が港になっていて、店内にも巨大な生簀(いけす)がある。期待できる展開。
さらに期待が・・・
メニューの一部
ここで食べたのが「いか丼」(税込み 1080円)である。「いかの活き造り発祥の店」の看板。昭和44年(1969年)創業とか。
これが本場のもので、質量ともに満足のレベルだった。「ついさっきまで泳いでいた剣先イカをほぼ一杯分使ってます」(女性スタッフ)というもので、生卵の黄身が中央に乗っていた。刻み海苔が敷かれ、白ゴマと醤油ダレ、それにワサビがいい具合。お吸い物は鯛のアラ汁。漬け物付き。
着丼!
絶景かな
よだれは禁物
アラ汁
剣先イカはねっとり感があり、甘みが強いと思う。グニュッという歯ごたえ。甘めの醤油ダレと白ゴマが柔らかめに炊かれたご飯とよく合う。ご飯はもう少し固めが好きだが、悪くはない。卵の黄身は微妙。混ぜるとクリーミーになるが、イカ自体の美味さが少し減ると思う。絵柄的には素晴らしいが、個人的には卵はない方がいい。
呼子のイカ
醤油ダレをさらに・・・
イケイケ
あっという間に丼ぶりの底に達してしまった。腹九分の満足感。「期待していたほどではないけど、潮の香りと窓から見える海がとってもいいわ」とにわか冬姫。夢の跡から400年以上、往時の面影の消えた漁港で、2匹の極楽とんぼがしばしの間、時空を超えてそれぞれの思いの中に沈むのだった。
本日の大金言。
秀吉の妄想は形を変えてその後も日本史の中に忽然と現れる。明治維新後、戦前の大本営・・・そして前線に送られるのはいつも無名の兵隊だと思う。歴史は繰り返す。人間、この不思議なる生き物・・・合言葉は、まずトップから戦場へ。
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