消えゆく北千住の宝「石黒の飴(あめ)」

 今回は「かどや」の槍かけだんごと並んで、東京・北千住で彦作村長が愛する「石黒の飴(あめ)」をご紹介しよう。下町の面影が色濃く残る宿場町通りを荒川方面に向かってしばらく行って、左横の通りに入ると、三丁目の夕日のような光景に出会う。昭和にタイムスリップしたような豆腐屋や佃煮屋や八百屋も見える。その中でひときわ異彩を放つのが「石黒の飴」である。映画のセットではありません。本物の歴史が息づいている。

          石黒のあめ② 
          この佇まい

白いペンキ塗りの古い看板には「石黒のあめ」と大きく書かれている。今ではほとんど見ることができなくなった木枠のケースに色とりどりの手作り飴が並べられている。黒飴やべっこう飴、きなこ飴という手書きの文字が見える。100グラムいくらの量り売りで、こうした昔ながらの飴屋は東京でもひょっとして残っているのはここだけかもしれない。その安さにも驚く。

          石黒のあめ③ 
          昭和のまま

以前、彦作村長の気の置けない仲間たちと北千住ツアーをした時に、ここに案内して、ほとんど全員が目を見張り、お土産に好みの飴を買っていった。今回村長は、「きなこ飴」(100グラム150円)と「梅干飴」(100グラム120円)を買い求めた。べっこう飴を買いたかったのだが、売り切れていて、前回も買い逃したことを女将に話したら、世話好きな下町言葉でこう言った。
「それじゃあ、梅干飴がいいわよ。べっこう飴と中身は同じだから」
「えっ、梅干味じゃないの?」
「形が梅干のようだから、梅干飴って言うのよ。中身は同じなのよ」

           石黒のあめ⑤  
           ただ者ではない
           石黒のあめ⑥ 
           タコ糸で切っている

そのうち当主らしいご高齢の男性が出てきて、あれこれ雑談となった。創業は昭和8年(1933年)。飴は毎日昔と同じ銅鍋で作り、タコ糸で一つ一つ切っているという。飴によってはハサミも使う。こうした昔ながらの飴づくりをしている店は昔は都内に20軒ほどあったらしいが、今では「ウチともう一軒くらいしかないようだ」とか。黒糖は沖縄西表島の最上級の黒糖を使い、きな粉も「たまや」のものを使っているという。

           石黒のあめ② 
           シャレている

ウマズイめんくい村に帰って賞味した。ハサミで一口サイズに切られた「きなこ飴」は村長の好みで、自然で素朴なきな粉の風味が口中に広がる。何も足さず何も引かず。大正・昭和の庶民のささやかな楽しみを凝縮したような味わい。柔らかく歯に絡むその自然な旨みはやはり上級の物だと思う。「梅干飴」はタコ糸で切った跡がくっきりと見え、味はべっこう飴そのもの。透明で日にかざすとキラキラする。懐かしい上質の味。

           石黒のあめ④ 
           きなこ飴の存在感
           石黒のあめ⑦ 
           きらり梅干飴

「値段は20年前のまま。消費税が上がっても値段は変えないよ」
「店は私たちの代でもうお終い。あと何年できるか」
後頭部に女将と主人の言葉が突き刺さっている。


本日の大金言。

たかが飴、されど飴。下町の飴屋の言葉を日本のトップの言葉に重ねてみる。この国が危ない。



                   石黒のあめ①
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沁みました。
プロフィール

赤羽彦作村長

Author:赤羽彦作村長
あの!エンターテインメント新聞で記者、デスク、編集プロデューサーとして活躍。思うところあって、原発で揺れるヤポネシアを辺境から見つめ直すべく、イカダを組み、オンボロ旗を揚げ、組織を脱出。荒海に乗り出す。「B級うまいものの宝島」を目指して、櫂をガタガタと漕ぎ出すことにした。一か八か泥船となるか、間違って宝船となるか?
特に麺類と和菓子にはうるさい。「舌の上から斜めに世界を見る」などとほざいている。はっきり言ってバカの3乗である。年齢不詳。乙女座、AB型。村民を募集している。

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