花火を仰ぎ見ながら向島で徳太楼のきんつば

 今日7月28日(土)は「隅田川花火大会」である。毎年7月の最終土曜日に開催されている。この隅田川花火にはさまざまな思い出がある。今回は「向島の料亭」「徳太楼のきんつば」、そのふたつについてさり気なく書いてしまおう。


         徳太楼② 


彦作村長がまだ宮仕えだったころ、それはかのエンターテインメント新聞社時代。作家や連載物も担当していた。時代小説家の早乙女貢さんもその一人。早乙女さんはお会いするときはいつも和服姿で、夏は着流しだった。着こなしや立ち姿が自然体で、あの瀬戸内寂聴さんが月刊文芸春秋で渡辺淳一さんと対談した際に「和服がよくお似合いの作家と言えば、渡辺淳一さんと早乙女貢さん」と話していたほど、和服を上手に着こなしていた。

その早乙女さんを毎年隅田川花火大会の日に、暑気払いもかねて向島のとある料亭で接待していた。それも彦作村長の宮仕え時代の大事な仕事だった。酒席での早乙女さんは実に洒脱だった。尊大で偉ぶったところがなく、その場を、軽妙なジョークで笑いに誘う。話の内容は多岐にわたり、その場にいた大殿やご家老ばかりでなく、若いきれいな芸者さんたちまでを引きこんでしまう。

今から4年前の2008年7月26日(土)の隅田川花火大会。その日はいつもと違った。身だしなみがすっきりしていて、泰然としていた早乙女さんが、この日はかなり疲れているようだった。小粋な浴衣姿だったが、どこかよれていた。それでも話し方や内容はいつものように洒脱だった。料亭の屋上で夜空に向かって打ち上げられる花火。それを見上げる早乙女さん・・・。彦作村長の心に何か引っかかるものを感じた。

早乙女さんはその年の12月23日、胃がんで亡くなった。82歳だった「ボクはねえ、最低でも100歳までは生きるよ。連載のことは心配するな、ハハハハ」そう言っていたが、年齢を感じさせない頭脳と軽やかな足腰。彦作村長は、本当に100歳まで現役というのも「この先生ならありうる」そう思っていた。

それが、この年の晩秋に胃の検査で入院。12月に入って、バタバタと容体が悪化していった。胃潰瘍がやがて胃がんとなり、ついには亡くなってしまった。後でわかったことだが、早乙女さんは最愛の奥さんを7月20日前後に亡くしていた。早乙女さんにはお子さんがなく、ご本人もおっしゃっていたことだが、天涯孤独ということもあったのだろうか、誰にも連絡せずに、一人で奥さんの葬儀を執り行ったという。

彦作村長は驚いた。7月26日、料亭で隅田川花火大会を見たときにはすでに奥さんを亡くしていたことになる。そんな大変なことをおくびにも出さずに、隅田川の夜空に打ち上がった花火を見ていたのである。そのときの早乙女さんの心情を知ることはできないが、心のどこかに切ないものが残る。

あれほど華やかな人脈を持っていて、交友も楽しんでいた文壇の大御所の一人でもある作家が誰にも言わずに死と向き合う。後でそのことを知った大殿が、その数か月後になる早乙女さんの孤独な死を悼みながら、「作家の魂はすごいね。永井荷風の最後みたいだ」と話していた。

その向島の料亭でお土産として、女将がいつも用意していたのが、「長命寺の桜餅」だった。

だが、たまに「徳太楼のきんつば」ということもあった。彦作村長は「徳太楼」のきんつばを初めて見て、賞味した時の衝撃を忘れることはできない。10年ほど前のその料亭の席で、デザートの一つとして出された。女将が、「このきんつばはお酒の肴にもいいんですよ。甘さは控えめだし、小豆がとってもおいしい。どうぞ、召し上がれ」そう言って、20個入りの箱を開けた。そこには、見事な乳白色の薄い皮に包まれた四角いきんつばが整然と並んでいた。中にうっすらと小倉あんが透けて見える。

黒文字で口に入れると、うっすらとした品のいい甘さの小豆が、舌の上で、さわやかな涼風となる。見た目の美しさとさりげない、奥深い味わい。彦作村長はこれまで金沢・中田屋のきんつばをはじめ、あちこちのきんつばを食べてきたが、「これは最高峰ではないか」実感としてそう思った。あまり食べない早乙女さんもおいしそうに食べていた。

その徳太楼に久しぶりに足を運んだ。創業は明治36年(1904年)。浅草3丁目の目立たない場所でこじんまりと営業している。金沢・中田屋のように大きく支店を広げることもなく、宣伝もほとんどしていない。先日、京都の「亀末廣」をご紹介したが、基本的なスタンスは共通のものがあると思う(亀末廣ほど徹底はしていないが)。


         徳太楼① 


そこで、8個入り(1個130円)を買って、村に帰ってから、美熟女の村民2号と渋茶を飲みながら賞味した。江戸の小粋な包みを開けると、そこにあの美しい、見事な世界が詰まっていた。味はそう変わってはいない。甘みをかなり抑えたいい味だった。しかし、最初の感動はなかった。その間、様々な出来事が身辺に起こった。そうした自身の変化のためか、それとも職人が変わったのか、そのあたりはよくわからない。最高級のうまさなのに、何かが違う。


          徳太楼③ 


隅田川の夜空に一瞬の夢が花開く。「美よ、止まれ」と誰かが言ったが、美は止まらない。向島で見たあのときの花火は二度見ることはできない。

今日も猛暑の中、隅田川の花火が打ち上げられる。去年は3.11で開催が危ぶまれたが、石原都知事と猪瀬副知事の決断もあって、8月27日に日程を変更して開催された。元々が享保17年(1732年)に発生した大飢饉とコレラによる死者を弔うために翌年7月に始まった両国の花火大会。当時はせいぜい20発前後だったらしいが、今では2万発以上の規模となっている。観客も100万人規模に膨れ上がり、周辺は「一夜の夢」を求めて大混雑する。

「鍵屋~」「玉屋~」という掛け声は今でも聞かれる。100万の掛け声とため息が隅田川沿いにこだまする。彦作村長と村民2号はその中に「チャイ!」という掛け声を入れようと思う。

夜空に向かって、鍵屋~、玉屋~、男一匹、犬一匹、チャ~イ~!




本日の大金言。

人生と打ち上げ花火は似ている。誠に人生は一瞬の夢・・・だから、人は無意識のうちに花火に人生を託し、感動するのかもしれない。

         徳太楼⑦
 
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プロフィール

赤羽彦作村長

Author:赤羽彦作村長
あの!エンターテインメント新聞で記者、デスク、編集プロデューサーとして活躍。思うところあって、原発で揺れるヤポネシアを辺境から見つめ直すべく、イカダを組み、オンボロ旗を揚げ、組織を脱出。荒海に乗り出す。「B級うまいものの宝島」を目指して、櫂をガタガタと漕ぎ出すことにした。一か八か泥船となるか、間違って宝船となるか?
特に麺類と和菓子にはうるさい。「舌の上から斜めに世界を見る」などとほざいている。はっきり言ってバカの3乗である。年齢不詳。乙女座、AB型。村民を募集している。

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