消えた「もち膳」、拾いの神おばさん
3.11から5年が経ち、熊本地震のニュースが連日流れる中、のうのう暮らしの村長はフンドシを締め直すことにした。東北へ鎮魂の旅をかねてポンコツ車を走らせることにしたのである。食べることも鎮魂、と無理やり自分に言い聞かせて。
会津若松で叔母の四十九日法要を終えたその足で東北道をひた走り、岩手・一関に降り立った。すでに夜6時半を回っている。安ホテルにチェックインし、顔を洗うのもそこそこに、「三彩館ふじせい」に向かった。ここは一関の郷土料理「もち御膳」の名店のはず・・・だった。だが、営業しているはずが「午後は臨時休業」の悲しい知らせ。
「せっかく餅の町に来て、もち料理が食えないなんて、一関の神さまは何を考えているの?」
村民2号が怒りで髪を逆立て、村長もフンドシがハズレそうになるほどのショックを受けている(どういうショックか意味不明)。
街中を歩き回り、もち料理の店を探したが、見当たらない。歩いている人もほとんどいない。東北の夜は寂しい。時計を見ると、午後7時半を過ぎている。あきらめてホルモンの店にでも入ろうか、と考え直していると、一人の地元のおばさんが目の前を通り過ぎようとしていた。このおばさんが拾いの神だった。
ダメもとと、ワラにもすがる思いで、「もち料理の店をご存じありませんか?」と聞くと、しばらく考えてから「ひょっとしてまだやってるかもしれね」と言いながら、ウマズイめんくい村の怪しい一行を「自宅が近いから」と案内してくれた。さらに20分ほど歩く。暗闇の先に灯り・・・それが「蔵元レストラン せきのいち」だった。
拾いの神はいる?(蔵元レストランせきのいち)
すでに営業を終えていて、地元の団体客だけが座敷で帰り支度をしていた。拾いの神おばさんが店のスタッフに「この人たち、遠くから来たの。もち料理だけでも食わせてあげらっせ」と交渉、凛とした女将さんらしき人が出てきて、「もち膳だけでしたら、どうぞ」と言ってくれた。何という展開か。村長も村民2号も目がウルウル。拾いの神おばさんは名前も教えずに去って行った。
「蔵元レストラン せきのいち」は大正7年(1918年)創業の酒蔵「世嬉(せき)の一」酒蔵が営むレストランで、敷地内には「いわて蔵ビール」のマイクロブルワリーまである。「一関もち膳」(税込み1300円)と、ついでに珍しいオリジナルの山椒ビール(700円)も頼んだ。
一関もち膳さまァ~
日本でここだけ山椒ビール
まずは山椒ビールがやってきた。「和食に合うビールということで、国際コンクールで優勝したんですよ」と女性スタッフ。ほのかに山椒の香りと味がしていて、それが意外に美味い。続いて「一関もち膳」の登場。漆塗りの見事な器に小分けにされたこしあん、ずんだ、ごま、沼えび4種類の餅がにっこりとほほ笑んでいた。
これも神さまだ?
見事な世界
それに温かいお雑煮、小鉢が3種類。麹(こうじ)の甘酒まで付いていた。餅は弾力があり、こしあんもずんだも甘さが自然で控えめ。ごまは塩気が強く、黒ごまの風味が口中で広がる。この地方の郷土料理に欠かせない沼えびは油で揚げたオキアミのようで、その食感が意外に餅とよく合う。
こしあん餅
ずんだ餅
ごま餅
沼えび餅
お雑煮の美味さ
「雑煮がとっても美味いわ。昆布出汁のつゆと鶏肉、それに水菜が柔らかいお餅を引き立てている。洗練された味で、一関の食文化の奥深さがよくわかる。それと甘酒が気に入ったわ。奥州藤原氏の夢の跡が感じられる。拾いの神おばさんのおかげでいい思い出になったわ」
「何という夜だべ。人生、悲観ばかりしてられないなあ。東北の旅の幕開けとしては最高の滑り出しだよ。これから陸前高田の奇跡の一本松に会いに行かなきゃならないし、石巻にも4年ぶりに行かなければ・・・」
「食べてばかりじゃ神さまに愛想を尽かされるもんね」
「祈りながら食べるんだ。食べながら祈るんだよ」
「あらまあ、格好つけちゃって・・・ずいぶん器用なお方。少しは財布の中身も考えてね」
「・・・・・」
本日の大金言。
食べれることは生きてる証し。生きてる証しは? そこが重要な問題だが、答えは早々には見つからない。食べながら探すしかない。
会津若松で叔母の四十九日法要を終えたその足で東北道をひた走り、岩手・一関に降り立った。すでに夜6時半を回っている。安ホテルにチェックインし、顔を洗うのもそこそこに、「三彩館ふじせい」に向かった。ここは一関の郷土料理「もち御膳」の名店のはず・・・だった。だが、営業しているはずが「午後は臨時休業」の悲しい知らせ。
「せっかく餅の町に来て、もち料理が食えないなんて、一関の神さまは何を考えているの?」
村民2号が怒りで髪を逆立て、村長もフンドシがハズレそうになるほどのショックを受けている(どういうショックか意味不明)。
街中を歩き回り、もち料理の店を探したが、見当たらない。歩いている人もほとんどいない。東北の夜は寂しい。時計を見ると、午後7時半を過ぎている。あきらめてホルモンの店にでも入ろうか、と考え直していると、一人の地元のおばさんが目の前を通り過ぎようとしていた。このおばさんが拾いの神だった。
ダメもとと、ワラにもすがる思いで、「もち料理の店をご存じありませんか?」と聞くと、しばらく考えてから「ひょっとしてまだやってるかもしれね」と言いながら、ウマズイめんくい村の怪しい一行を「自宅が近いから」と案内してくれた。さらに20分ほど歩く。暗闇の先に灯り・・・それが「蔵元レストラン せきのいち」だった。

拾いの神はいる?(蔵元レストランせきのいち)
すでに営業を終えていて、地元の団体客だけが座敷で帰り支度をしていた。拾いの神おばさんが店のスタッフに「この人たち、遠くから来たの。もち料理だけでも食わせてあげらっせ」と交渉、凛とした女将さんらしき人が出てきて、「もち膳だけでしたら、どうぞ」と言ってくれた。何という展開か。村長も村民2号も目がウルウル。拾いの神おばさんは名前も教えずに去って行った。
「蔵元レストラン せきのいち」は大正7年(1918年)創業の酒蔵「世嬉(せき)の一」酒蔵が営むレストランで、敷地内には「いわて蔵ビール」のマイクロブルワリーまである。「一関もち膳」(税込み1300円)と、ついでに珍しいオリジナルの山椒ビール(700円)も頼んだ。

一関もち膳さまァ~

日本でここだけ山椒ビール
まずは山椒ビールがやってきた。「和食に合うビールということで、国際コンクールで優勝したんですよ」と女性スタッフ。ほのかに山椒の香りと味がしていて、それが意外に美味い。続いて「一関もち膳」の登場。漆塗りの見事な器に小分けにされたこしあん、ずんだ、ごま、沼えび4種類の餅がにっこりとほほ笑んでいた。

これも神さまだ?

見事な世界
それに温かいお雑煮、小鉢が3種類。麹(こうじ)の甘酒まで付いていた。餅は弾力があり、こしあんもずんだも甘さが自然で控えめ。ごまは塩気が強く、黒ごまの風味が口中で広がる。この地方の郷土料理に欠かせない沼えびは油で揚げたオキアミのようで、その食感が意外に餅とよく合う。

こしあん餅

ずんだ餅

ごま餅

沼えび餅

お雑煮の美味さ
「雑煮がとっても美味いわ。昆布出汁のつゆと鶏肉、それに水菜が柔らかいお餅を引き立てている。洗練された味で、一関の食文化の奥深さがよくわかる。それと甘酒が気に入ったわ。奥州藤原氏の夢の跡が感じられる。拾いの神おばさんのおかげでいい思い出になったわ」
「何という夜だべ。人生、悲観ばかりしてられないなあ。東北の旅の幕開けとしては最高の滑り出しだよ。これから陸前高田の奇跡の一本松に会いに行かなきゃならないし、石巻にも4年ぶりに行かなければ・・・」
「食べてばかりじゃ神さまに愛想を尽かされるもんね」
「祈りながら食べるんだ。食べながら祈るんだよ」
「あらまあ、格好つけちゃって・・・ずいぶん器用なお方。少しは財布の中身も考えてね」
「・・・・・」
本日の大金言。
食べれることは生きてる証し。生きてる証しは? そこが重要な問題だが、答えは早々には見つからない。食べながら探すしかない。

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