ついに「江戸の羊羹」を食べた

煉り羊羹(ねりようかん)にハマっている。煉り羊羹が出現したのは江戸時代寛政年間(1789~1801)と言われている。日本橋で喜太郎という和菓子職人が、それまでの蒸し羊羹とは違う、寒天を使った煉り羊羹を作り、それが江戸で大評判になった。と言われている。

また別の説では、それより遡ること約200年前、豊臣秀吉の時代に鶴屋善右衛門(その後の駿河屋)が初めて煉り羊羹を作り、秀吉を大いに喜ばせた、とある。このあたりの事情はややこしいので、今回は深くは突っ込まない。これからゆっくりと調べる予定なので、楽しみにしてほしい。

という前置きから、江戸時代の煉り羊羹を食べたという話に移る。すでに佐賀・小城市の村岡総本舗や日光「ひしや」の煉り羊羹は賞味しているが、製法が江戸時代を引き継いでいるとはいえ、どちらも明治維新後の創業。厳密に言えば、江戸の煉り羊羹そのものとは言えない。だが、ここにまさかのサプライズ、が起きた。
          太田甘池堂 
      江戸の煉り羊羹3種

ある会合で、今やメディア界の重鎮となった甘辛酔人が「江戸時代からの秘伝の製法のまま」の煉り羊羹を手土産にしてくれたのである。埼玉・秩父小鹿野に創業が享和3年(1803年)の老舗和菓子屋「太田甘池堂」が存在することは知っていたが、その秘伝の「古代秩父煉羊羹」が目の前にある。それも「本煉(ほんねり)」「田舎(いなか)」「柚子(ゆず)」(各税込み220円)が2個ずつ。台風の中を秩父に小旅行してきたとのこと。「ついでですが、村長にぜひ食べてほしい」とひと言残して月光仮面のごとく去って行った。夢かうつつか、村長は目がウルウル。

「太田甘池堂」は「これから行かねばならぬ和菓子屋リスト第6位」の店だった。以心伝心、何かようかんとはこのこと。翌々日、ウマズイめんくい村で賞味することにした。一刻、江戸にタイムスリップ・・・。極上の玉露を入れ、まずは本命の「本煉」から。何を隠そう、この「本煉」こそが江戸時代から続く秘伝の煉り羊羹なのである。
          太田甘池堂① 
       これが秘伝「本煉」

これが意外や、小豆ではなく白インゲン豆の煉り羊羹だった。空気に触れると、表面が白く結晶化するために、真空パックしている。パックを取ると、白煉りの表面から透明な蜜が滴るようだった。そのなめらかなテカリ。黒文字でススと切ってから口中へ。北海道産インゲン豆の風味とねっとりとした食感が歯のすき間からあふれてくるようだった。やや甘めだが、ほどよい甘さ。村岡総本舗のような表面のヒビ割れもザクっとした歯ごたえもない。
         太田甘池堂② 
      江戸日本橋の香り
         太田甘池堂④ 
       白インゲンだって?
         太田甘池堂1 
     おうよ、知らなかっただとォ?

玉露をズズズと飲んでから、続いて「田舎」へ。柔らかな粒あんがぎっしり詰まった素朴な羊羹で、村長はこれが一番気に入った。最後の「柚子」は「本煉」に柚子を加えた煉り羊羹で、飴色のテカりとほのかな柚子の香りがとてもいい。上質の味わい。
          太田甘池堂⑦ 
          「田舎」のテカり
          太田甘池堂⑧ 
          オオオの世界
          太田甘池堂⑨ 
          小豆の風味

だが、謎も多い。村長は「太田甘池堂」に電話してみた。現在は10代目だが、運よく先代と話すことができた。

「すごい歴史ですねえ」

「当家の2代目が江戸日本橋の『甘林堂』で羊羹づくりの修業をして、秘伝を伝授され、故郷の秩父に帰ってきて、羊羹を作り始めたんですよ。店の名前は一字をもらって『甘池堂』としたんです。それが享保3年のことです。それ以降ずっと同じ作り方をしてるんです」

「白インゲンが本煉とは驚きですね。京都伏見の駿河屋の紅煉(べにねり)も白インゲンに紅色を付けてますね」

ええ、白インゲンを使っていると思います。それこそが当時からの煉り羊羹そのものだと思います」

「『田舎』と『柚子』は後から、ですか?」
          太田甘池堂11 
          「柚子」の上質
          太田甘池堂13 
          飴色の技

「そうです。ウチではここ50年ほどの歴史で、比較的新しいものです。本煉りが江戸からの秘伝の味なんですよ」

「小城羊羹や日光ひしやのように真空パックしないで、竹皮で包んでヒビ割れを出した方が江戸の雰囲気が出るんじゃないですか?」

「買った後に真空パックを外して数日置いてから食べる方もいらっしゃいますよ。そうすると、空気に触れて、同じように表面が糖化するんです。それはお好みで、ということです(笑)」

煉り羊羹は江戸時代、特に文化文政期(1804~1830)に「最高ランクのスイーツ」として人気となった。武家や公家、商人などが主な客だったようだ。庶民のスイーツはまんじゅうや餅菓子。煉り羊羹は戦後、洋菓子などに次第に人気を奪われ、東京・本郷の老舗名店「藤むら」なども先ごろ羊羹づくりをやめてしまった(理由は不明)。だが、ここに来て羊羹の美味さが再注目され始めている。よう食わん、はもうすぐ過去になるはずだ。

本日の大金言。

現在、煉り羊羹と言えば「虎屋」が有名だが、虎屋は元々は酒饅頭で、江戸期まで煉り羊羹といえば、「鈴木越後」や「金沢丹後」「船橋屋織江」などが有名だった。だが、それらは明治維新後、歴史の舞台から忽然と消えてしまった。その消息やいかに?




                 太田甘池堂14 

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

赤羽彦作村長

Author:赤羽彦作村長
あの!エンターテインメント新聞で記者、デスク、編集プロデューサーとして活躍。思うところあって、原発で揺れるヤポネシアを辺境から見つめ直すべく、イカダを組み、オンボロ旗を揚げ、組織を脱出。荒海に乗り出す。「B級うまいものの宝島」を目指して、櫂をガタガタと漕ぎ出すことにした。一か八か泥船となるか、間違って宝船となるか?
特に麺類と和菓子にはうるさい。「舌の上から斜めに世界を見る」などとほざいている。はっきり言ってバカの3乗である。年齢不詳。乙女座、AB型。村民を募集している。

最新記事
カテゴリ
彦作のつぶやき
最新コメント
月別アーカイブ
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR