浅草志乃多寿司の「まぜ」
東京・浅草に立ち寄ったついでに、浅草志乃多寿司(しのだずし)でいなりを手土産にしようと思った。以前、立ち寄ったら、たまたま休みで、ガッカリしたことがある。「おいなりさん」は村長の好みのシンプルフードで、京都の名店「乙羽(おとわ)」のものを賞味した時はそのまろやかな甘味と旨さに「京都のおいなり文化、恐るべし」とため息が出たこともある。
関東と関西のいなり寿司は形も味付けもかなり違う。関東は主に俵型で、味付けは全体的に濃い。関西(特に京都)は油揚げ文化の頂点で、昆布出汁が効いた薄口が特長的。形も三角形が基本。
浅草志乃多寿司
という前置きから、浅草志乃多寿司のいなりに移る。志乃多寿司は人形町総本店(明治10年創業)が元々の暖簾で、そこから神田志乃多寿司、四谷志乃多寿司、そして浅草志乃多寿司と暖簾分けしている。いずれも明治から大正にかけての創業で、東京のいなりの灯を守っている。
浅草志乃多寿司は雷門一丁目にあり、神田志乃多寿司から暖簾分けしているようだ。人形町や神田ほど大きな店舗展開はしていず、持ち帰り専門でこじんまりと営業しているのが、村長の好みの世界でもある。いなりとのり巻き(かんぴょう)を一定の量しか作らず、そのため夕方には売り切れ終了の札が下がる。
庶民がいる
立ち寄った時間が午後2時だったが、5~6組ほどが待っていた。女将さんらしき女性が「お時間がかかりますが、よろしいですか?」。ここまで来て、異論はない。「まぜ8個入り」(税込み720円)を頼んだ。いなりが4個とかんぴょう巻きが4個。「まぜ」という表記がポエム。注文を受けてから板場で男性(三代目)が詰め始める。
東京のいなり
その「まぜ」をウマズイめんくい村に持ち帰り、ビールを飲みながら賞味となった。これが実に美味かった。京都のいなりを賞味してからというもの、東京のいなりは京都にはかなわないなあ、と思っていた。
包みは江戸風?
たまらん世界
だが、「作りたて」ということもあるのか、浅草志乃多寿司のいなりは油揚げに厚みがあり、ふっくらと煮込まれていてジューシー。色は濃い目だが、味はまろやか。京都のような昆布出汁の奥行きはないが、日本酒と砂糖と味りんのバランスがとてもいい。以前、日本橋高島屋地下で「人形町志乃多寿司総本店」のいなりを買ってきて賞味したことがあるが、油揚げは薄くて、ふっくら感が感じられず、中の酢飯も固めで、期待していた分、ガッカリしたことがある。
二色の秀逸
油揚げの秀逸
裏側の秀逸
甘めの酢飯
浅草志乃多寿司のものは、酢飯もふっくらしていて、油揚げのふくよかな重量感がとてもいい。女将さんが「志乃多寿司はチェーン店ではないので、店によって作り方も味も違います」と話していたが、それが実感できる旨さ。酢飯には白ゴマも何も入っていず、煮汁が滲んでいる。直球勝負というのも潔い。
バランスがいい
のり巻きもバランスがいい。かんぴょうも素材にこだわり長時間煮込んでいることがわかる。ただ、のり巻きは千住「松むら」の方が村長の好みだが。ビールを飲み飲み食べ終えると、「どうでえ、東京のいなりも捨てたもんじゃないだろ?」という声が、胃袋の底から湧き上がってきた。
本日の大金言。
江戸時代天保年間に庶民のファーストフードとして、主に屋台で売られていたいなり寿司。それが明治・大正・昭和・平成へと受け継がれている。今でも庶民のB級フードとしての立ち位置は変わらない。おにぎりと並んで、日本の誇る米文化の粋だと思う。
関東と関西のいなり寿司は形も味付けもかなり違う。関東は主に俵型で、味付けは全体的に濃い。関西(特に京都)は油揚げ文化の頂点で、昆布出汁が効いた薄口が特長的。形も三角形が基本。
浅草志乃多寿司
という前置きから、浅草志乃多寿司のいなりに移る。志乃多寿司は人形町総本店(明治10年創業)が元々の暖簾で、そこから神田志乃多寿司、四谷志乃多寿司、そして浅草志乃多寿司と暖簾分けしている。いずれも明治から大正にかけての創業で、東京のいなりの灯を守っている。
浅草志乃多寿司は雷門一丁目にあり、神田志乃多寿司から暖簾分けしているようだ。人形町や神田ほど大きな店舗展開はしていず、持ち帰り専門でこじんまりと営業しているのが、村長の好みの世界でもある。いなりとのり巻き(かんぴょう)を一定の量しか作らず、そのため夕方には売り切れ終了の札が下がる。
庶民がいる
立ち寄った時間が午後2時だったが、5~6組ほどが待っていた。女将さんらしき女性が「お時間がかかりますが、よろしいですか?」。ここまで来て、異論はない。「まぜ8個入り」(税込み720円)を頼んだ。いなりが4個とかんぴょう巻きが4個。「まぜ」という表記がポエム。注文を受けてから板場で男性(三代目)が詰め始める。
東京のいなり
その「まぜ」をウマズイめんくい村に持ち帰り、ビールを飲みながら賞味となった。これが実に美味かった。京都のいなりを賞味してからというもの、東京のいなりは京都にはかなわないなあ、と思っていた。
包みは江戸風?
たまらん世界
だが、「作りたて」ということもあるのか、浅草志乃多寿司のいなりは油揚げに厚みがあり、ふっくらと煮込まれていてジューシー。色は濃い目だが、味はまろやか。京都のような昆布出汁の奥行きはないが、日本酒と砂糖と味りんのバランスがとてもいい。以前、日本橋高島屋地下で「人形町志乃多寿司総本店」のいなりを買ってきて賞味したことがあるが、油揚げは薄くて、ふっくら感が感じられず、中の酢飯も固めで、期待していた分、ガッカリしたことがある。
二色の秀逸
油揚げの秀逸
裏側の秀逸
甘めの酢飯
浅草志乃多寿司のものは、酢飯もふっくらしていて、油揚げのふくよかな重量感がとてもいい。女将さんが「志乃多寿司はチェーン店ではないので、店によって作り方も味も違います」と話していたが、それが実感できる旨さ。酢飯には白ゴマも何も入っていず、煮汁が滲んでいる。直球勝負というのも潔い。
バランスがいい
のり巻きもバランスがいい。かんぴょうも素材にこだわり長時間煮込んでいることがわかる。ただ、のり巻きは千住「松むら」の方が村長の好みだが。ビールを飲み飲み食べ終えると、「どうでえ、東京のいなりも捨てたもんじゃないだろ?」という声が、胃袋の底から湧き上がってきた。
本日の大金言。
江戸時代天保年間に庶民のファーストフードとして、主に屋台で売られていたいなり寿司。それが明治・大正・昭和・平成へと受け継がれている。今でも庶民のB級フードとしての立ち位置は変わらない。おにぎりと並んで、日本の誇る米文化の粋だと思う。
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